01_先輩と引越し蕎麦

01-4

 電話相手が指定した食事処は、相田達が最初に入ろうとしていたうどん屋であった。カーチェイスを繰り広げた道路上に店はあったのだ。彼らはこの一晩で市街地をぐるりと回って一周したことになる。

 車もまばらになった店舗の駐車場に、ひときわ目立つ真っ赤な高級外国車。相田達の車が入ってくるのを確認して、中から一人の男が現れた。
 仕立ての良さそうなスーツを隙無く着こなした中年男性。整った顔立ちと相まって、まるで車の広告写真のようだ。
 さらに、後部座席から二人の男。こちらも中年の男性だった。すらりと背の高い方はやたら姿勢が良く、オールバックの髪型に鋭い目つきが威圧感を煽る。
 もう片方はごくごく一般的な、人受けの良さそうな顔をしている。とっつきやすそうなのは彼だろうな、と誰もが思うだろう。

 車から降りた網屋に「お疲れ様」と三人とも声をかけてきた。

「とりあえず中に入ろう」

 運転席から出てきた男性が促し、店の最奥にあるテーブル席につく。上着を脱いだ三人は疲労もあらわに崩れ落ちた。

「あああー疲れた。死ぬかと思った」
「大変だったねー」
「お前は何もやってないだろうが」
「そっちだってそうじゃーん」

 出された水を飲み干し、めいめいが好き勝手なことを言い合っている。言葉の軽さとは裏腹に、疲労は声から滲み出していた。
 網屋はジャケットを脱がない。脱げないのだと、相田は知っている。

「網屋君、本当にお疲れさん。こちらの彼は?」

 三人の視線が集中し、相田は少し身を硬くした。

「俺の後輩の、相田雅之っていいます。運転手をやってもらいました」

 人の良さそうな男性の、大きな目が眼鏡越しに相田をじっと見つめた。威圧感は無いが、なぜかやたらと緊張が増した。

「巻き込んじゃった感じ、かな? もしかして」

 図星だ。半ば、相田自ら首を突っ込んだようなものだが。それを自己申告する前に、眼鏡の男性が両手を合わせて申し訳なさそうに笑う。

「うああーゴメンねぇー、ビックリしたでしょ」
「びっくりなんてもんじゃないだろう。普通はこんな目には遭わん」
「申し訳ないことしたね。まあ、奢るから好きなもの食べて」
「やった、川路ちゃんのオゴリ?」
「お前が一番何もやってなかったろうが。塩野の奢りだ」

 イケメンが司会、眼鏡がボケ、オールバックがツッコミ。相田は脳内で彼等に名札をつけた。

「いや、本当に気にせず食べちゃっていいからね。それくらいしかできないし」
「待った!」

 と深刻な顔で網屋の静止が入る。

「あんまり安請け合いしない方がいいですよ! こいつ、際限無く食いますからね?」
「大丈夫だよ、あんまり深く考えなくっていいって。とりあえず頼んでしまおう。すみませーん」

 当たり障りの無いセットものと、運転しない人間達が飲むビールとつまみとを次々に注文する。ほいどうぞ、と最後に振られた相田は慌ててメニューをめくった。

「えーと、とんかつセット、で」
「それだけで足りる?じゃあ、季節の野菜天付き板そばも頼もう」

 有無を言わせずイケメンが差し挟む。いや悪いですよと二人は断ろうとしたが、笑顔で押し切られた。

「二人とも若いんだし、胃袋に余裕あるでしょ。気にしない気にしない」

 支払うのは眼鏡であるのに、さも当然の如く言い放つイケメン。オールバックも突っ込まない。眼鏡は脱いだ上着から財布を取り出してちらりと中を覗き込んだ。

「ウン、ダイジョーブ」

 ぎこちない返事は気のせいか。これもまた皆がスルーしていたので、相田もそれに倣う。

 あらかた注文が終わったところで、ようやっと空気が落ち着く。イケメンが上着から何かケースを取り出すのを、相田はそれこそモデルの写真撮影でも眺めるような気持ちで見つめていたのだが、それが名刺ケースであることに気付いたのは中身を見た後だった。

「さて、ちゃんと名乗ってなかったので。中川路正彦(なかかわじまさひこ)です」

 眩いほどの全力イケメンスマイルでイケメンから名刺が差し出される。名刺には『陣野病院 内科医師 内科部長 中川路正彦』と書いてあった。医師であったのかと驚く間も無く、次の名刺。

「目澤朗(めざわあきら)と申します」

 こちらはオールバックの方だ。『陣野病院 外科医師 外科部長 目澤朗』とある。
 さて残りの一人、眼鏡はどうしているかというと、上着のポケットを必死に漁っていた。

「名刺は常備しとけって言っただろうが……」

 ツッコミこと目澤が呆れ気味に漏らす。探すのを諦めた眼鏡は、満開の笑顔で口頭による自己紹介を始めた。

「えっと、塩野鎮鬼(しおのしずき)って言います! 塩鮭の塩に野放しの野で塩野、鎮まりたまえェ~の鎮に鬼畜の鬼で鎮鬼です! ヨロシクッ」

 バチコーン! と自分で擬音を付けてのウインクも飛んでくる。眼鏡こと塩野のインパクトが一番酷かった。名刺が無くともこれなら一発で覚える。嫌でも、覚える。

「陣野病院って知ってる? 石原駅の近くにある陣野病院。そこのね、精神科の先生やってまぁす! ぶちょーです。癒し系です。三人そろって、網屋君のご主人様です!」
「ただの雇い主だ。誤解を招くような発言はやめろ」
「目澤っち、言うことがつまんなーい」

 自分以外の三人全員が全く動じていないところを見ると、これが塩野の通常運転であるようだ。いちいち驚くのはやめておいた方が良さそうだと、相田は静かに悟った。

「僕のこと、しおのっちって呼んでもいいんだよ! あみにゃんもそう呼んでいいんだよ!」
「あみにゃんて何ですかあみにゃんて。初めて聞きましたよその呼び方」
「じゃあ、のんたんはどうだろ。みんな大好きノンタ……」
「今日の引き金はとびっきり軽いのでご注意下さい」
「んもーぅ、やだァー、怖いよゥ網屋くぅん」

 既に右手がジャケットの下に入っている網屋。井戸端会議のオバチャンのような喋りと動きでいなす塩野。

「でもまあ、逆らったら一番怖いのは塩野先生ですからね。変な事はしませんよ」

 両手を上げて抵抗の意思が無いことを示して見せると、網屋はへらへらと笑って見せた。

「いいか相田、よーく覚えとけ。この先生に逆らうと、恐ろしいことになるんだぞ」
「マ、マジっすか」
「クッソつまらないオヤジギャグなのに笑いが止まらない体質とか、そういう改造されるぞ」
「……怖ッ! 何それ怖ッ!」


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恵みの雨に喜んだカエルは、三日三晩踊り続けたという。 頂いたサポートは主に創作活動の糧となります。ありがとうありがとう。