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小説を書くのって難しいよね #呑みながら書きました

 一応、タグ入れとこうな。後夜祭?にギリギリ間に合うかどうかってとこだけどまあ気にするな。こまけぇこたぁいいんだよ。

 さて。なんかnoteにアップされる創作論はためになるしみんな真摯に書いてるので読んでて楽しいね。
 なんかなろうとかカクヨムとかはさ、「高尚なこと言って啓蒙してやろう」みたいなのばっかりで読んでてつまらんのです。私が読みたいのはそういうんじゃねぇんだよーマウンティング視線とか説教臭いのとかじゃなくてー「俺は!私は!こう思うんだけど!どうかな?!」みたいなの読みたいの。真っ向から向かい合ってるのをね、拝読してぇのよ。そんで「私はこうだな!どうよ?!」みてぇなのを返したい。いや、返すってんじゃなくてもいいな、虚空に向かって放つ感じでもいいな。

 創作論ってことで、Twitterで

 こんなこと口走りました。もちょっと長く書こうかなって。

 まあね、分かるよ、好きな言葉めっちゃ盛りたいよね。盛り盛りにしたいよね。でもねえ、それって何も考えずに盛りすぎたパフェみてぇなもんで、甘いケーキに甘い苺乗っけちゃってるようなもんで、もう一口で「いらん」ってなっちまうんだなあ。「もういいよ、十分です」って。
 あとさ、盛り盛りにする方ってなんかみぃんな似たような感じになるよね。要はさ、そういうのが好きな人がそういうのを読んで、自分もやる!ってなるから似たようなやつスパイラルになるんだろうね。私はあんまりそういうの好みじゃないので、うん、結構です。

 そういう盛り盛りなんじゃなくて、然るべきシーンに然るべき美しさで描かれる文章が読みたい。ゴテゴテのモリモリのでっけえ派手な花器のもっさり生け花じゃなくて、薄く広い花器一面に展開する水仙だけの生け花という圧倒感を感じたい。
 昔少しだけ生け花をかじってたことがあって、その時に見たんだ。水仙だけの作品。一面の水仙。自然のようでありながら、それはやはり人が切って人が活けたものだから、自然のものとは違う美しさがある。限界まで自然のようであり、しかし光景を切り取ったのとは違うその空間だけの美しさ。
 そういうのが好き。もしくは、上記のツイートの「自然界の花の美しさ」みたいなやつ。

 自然界の花の美しさってさ、人間のために美しくなった訳じゃないだろ?その世界で生きて種を残すために特化した形と色と香り。それが結果として、人である私達が美しいと感じる。
 そういう美しい文を書く人がいる。研ぎ澄まされた文。然るべきものを然るべき形で表現した結果、美文とか麗文というものになる。少なくても足りなくなるし、多すぎれば重荷になる。そういう地の文が好き。物語やそのシーン、積み重なって折り重なってできた「重み」を支えるに十分な文字で編む土台。
 そういうのってさ、するするーっと読めるんだよね。過不足なく頭ん中に叩き込まれる感じ。

 で、次は水仙だけの生花の方ね。人が手を入れたが故の美しさ。自然に近く、しかし自然ではない。そういう文。
 もー緻密な計算が必要になると思う。私そういうの書けないから分からんのだけど!
 自然な感じで読み進めて、しばらく経ったあとであるとか、繰り返し読んだ後なんかに「手を入れた部分」の緻密さや美しさに圧倒される。そういうやつ。頭をブン殴られたような衝撃が来るやつ。たまらんよな。だいすきだそういうの。

 そういう文に対する憧れが強いから、ただひたすら盛ってるだけの装飾過多文は苦手なんだ。「うへぇつまんねぇなこれ」ってなってしまう。
 私は文章で殴られたい。殴られたときの威力と、後から更にやってくる衝撃とでボロボロになりたい。打ちのめされたい。
 あ、打ちのめされても筆を折ったりしないっすよ?全然そういう考えには至らんなぁー寧ろ楽しくなるだけだなぁ。殴り返そうっていう気にもならない。ただ、同じ威力の正拳突きを打てるようになったら嬉しいなあって思う。

 あーそうだ、ピントの美しさのことも話そうね。
 写真の情報量が多くてさ、でも、ガチッとピントが合っている部分が鮮烈に網膜へ焼き付く。そういう美しさ。
 例えに出した忍殺はやっぱり、「人の心の動き」にピントが合ってるんじゃないかなって感じる。時代や世界観を問わず、この「人の心の動き」ってのは変わらない。故にピントが合っている。

 付け焼き刃っつうか、記号論的に性格設定が成されているキャラとか物語って苦手。薄っぺらいの。「あー作者さんはここでこうさせたかったんだねぇ……根拠うっす……どうしてそうなった……」みたいなの読んでるとさ、うーん、これ苦手って言うより悲しくなってくるんだな。
 逆に、そこらへんがしっかりしてると世界観がトンチキでも問題なく行けちゃう。

 でもさ、もうこんなの全部「個人の好みです」「個人の意見です」でケリがついちゃうんだよなあ……
 人それぞれの好みがあるからね、どれがいいとか悪いとかじゃないよね。それぞれの楽しみかたでエンジョイアンドエキサイティングできればいいよね。
 だからこそ、「美文麗文やめろマン」とか、逆の「読みやすいって感想が嫌いマン」とかに対しては顔面をブン殴っていきたい。榊さんはすーぐ殴るから。凶暴。


 いかん、酔っぱらげ度数が高くなるより前に、まず眠くなってきた。
 時間も時間だしこの辺にしといたろ。書いた文章は読み返さない。このままドーンだ、ガハハハハどうにかなるだろガハハハハ!

恵みの雨に喜んだカエルは、三日三晩踊り続けたという。 頂いたサポートは主に創作活動の糧となります。ありがとうありがとう。