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14-9

 事の発端は、戦闘が収まりかけた大ホールからだ。

 一瞬、気が逸れた。そのごく一瞬の間に、例の三人が大ホールからの脱走を図ったのである。慌てて追いかけると平気な顔をして彼等はこう言った。

「いや、ちょっと用事があって」
「いやいやいや、用事って何ですか、危ないですよ!」
「だよねー。あっぶないよねー」

 眼鏡を掛けた男が呑気に言う。

「でもね、どうしてもやんなきゃいけないんだよねぇ」
「今しかチャンス無いからな」
「仕方あるまい」

 ただの一般人でないことは分かる。彼等は妙に荒事慣れしている。そして、止めても聞かないだろうことも分かる。
 網屋は諦め気味に尋ねた。

「一体、何をするんですか」
「えっとねえ、相手に直にお話聞かせてもらいたいの。できれば、偉い人とか、こう、中ボスクラスの人に」
「雑魚だと話にならないんでね」

 これまたあっさりと返されて言葉を失う。
 大ホールで戦闘が始まる直前に「伏せろ」と言葉を発した時点で、彼等が普通ではないとは思っていた。佐嶋もそれを感じたから、網屋に対し彼等に貼り付けと言ったのだ。
 に、しても。予想の遥か斜め上に行き過ぎな気もする。

「申し訳ないんだが、手伝ってもらってもいいかな」

 クラウディアをナンパしていた色男に拝み倒されて、網屋は頷くしかできなかった。


 で、現在に至る。どうしても警察に捕まる前に確保したいと言い張る彼等のために、網屋は突入してきた後詰の一部隊を相手に銃撃戦を繰り広げる羽目になったのだ。どちらにしろ銃撃戦にはなっただろうが。

「そろそろ、間ができると思います」

 弾倉の交換や様子見で、どうしても開く「瞬間」。仲間内がもう一人か二人いれば、その間を故意的に作り出すこともできるのだが。

「そしたら突撃しますんで」
「自分も行こう」

 オールバックの男性がひらりと手を上げる。加勢する、と先程言っていた人物だ。

「火器は扱えないが、近接格闘ならなんとかなる」
「あ、助かります。可能な限りフォローします。相手は九人、三人は黙らせたので、残り六人」

 手持ちの銃を二丁とも弾倉交換すると、ふう、と息をつく。
 鉄火場のど真ん中はいつだって恐ろしい。恐怖心を完全に拭い去ることはできない。前よりも多少、慣れたというだけだ。
 その点からすれば自分はプロとは言い難い。戦場の最中で笑っている人間もいるというのに、自分ときたらどうか。素人同然だ。
 しかし、その恐怖心こそが自分を生き残らせている。恐怖心とは即ち危機察知能力だ。それを失ってはいけないと思う。自分の場合は、だが。

 銃をぶっ放しながら心底笑っている時なんて、ロクなことはない。ロクな状態ではない。

 ふと、音が止んだ。即座に通路へ飛び出して走る。全速力でだ。彼我距離約二十メートル、真っ直ぐに駆け抜け、敵が隠れる曲がり角へと飛び込んだ。

 弾倉を交換したばかりと思わしき、奥にいる男の足の甲を撃つ。次いで手の甲。まず一人。

 すぐ横で鈍い音がする。男性の右膝が短機関銃を持った敵の腹に綺麗に入っていた。これで二人。

 男性はすかさず、前のめりになる被害者の体を他の敵に投げつけた。避けるか受け止めるか、ほんの僅かな迷い。その間に網屋の銃口が肩に狙いを付けていた。三人目。

 しゃがんでいた敵の、その頭部を躊躇いなく踏み抜く男性。頭と床が激突してあっけなく気絶する。四人。

 彼の背後、持ち上げられた銃の、その銃口が見える。正確に言うなら「持ち上がる最中の銃口」だ。だが、こちらの方が早い。敵は狙いが定まることもなく崩れ落ちる。撃ち抜いたのはやはり肩。五人目。

 自分の左後方に気配。銃口がまっすぐこちらに狙いを定めている気配だ。ごく僅かな時間ではあるが、明確にその殺意が分かる。そのむき出しの殺意にこちらも銃口を向けようとする。
 が、双方とも遅かった。もっと速い人間がいたのだ。男性が網屋の反応より遥かに速く飛び込んでくると、敵が構えた銃のスライドごと掴んで素早く捻り上げる。あまりの速さに相手は銃を離すこともできず、自らの握力によって自らの指をへし折ることとなる。その後、掌底が下顎にヒット。これで、六人。

 ほぼ瞬時と言っても良いだろう。二人はその場の制圧に成功する。残る二人を呼び寄せ、それでも網屋は警戒を解かず周辺を見回した。
 後からやってきた二人のうち片方、眼鏡の男が最も軽傷な者を見繕う。だがしばらく顔を見つめて「違うかな」と一言、別の人間に興味を移した。

「多分こっち。隊長さん、聞こえてるよね? 返事できる?」

 最後に倒された人物だ。しゃがみ込んだ眼鏡の男が、倒れ伏している相手の顔を覗き込む。表情は笑顔。

「返事できないならそれでもいいか。壊しながら聞くから」

 物騒だがよく分からない内容の言葉に、網屋は少しだけ眉根を寄せた。

「まずは直球弾。ねえ、君達の上はだぁれ? ……言う訳ないよね。これですぐに言っちゃうような相手なら、僕達の目的なんて果たされないんだけど。ねー? ……ん、あれ?」

 顔を見つめていたその表情が僅かに曇る。

「ごめん川路ちゃん、ちょっと見てくれる? 前のアレと同じ反応が出てるかもしれない」
「お、出やがったか。当たりだな」
「まだ確証は無いよ?」

 色男が出てきたかと思うと、おもむろに敵の下瞼をめくる。両方の目を確認すると次は口をこじ開け中を見る。袖を捲りあげ肘の内側と手首周辺をチェック、これも両腕だ。

「視診の範疇では微妙、としか言いようがないな。塩野としてはありか?」
「うん。前の人ほど強くはないけど、この独特の反応が鈍い感じ。踏み込もうとしても暖簾に腕押しっていうか、もっと物理的なところから阻害されてるっていうの? この変な感じは多分……」

 言葉の途中で、何かが動く気配。大人しくなされるがままであった男が、突如腕を動かしたのだ。その手には巨大な牙、カランビットナイフ。
 冷水を掛けられたような感覚。付近に居た二人は死を覚悟し、離れていた二人は手を伸ばす。

 が、男の刃は自分自身を狙った。一欠片の躊躇いもなく首の横に突き刺し、その鉤爪のような刃を手前に引く。刃は握り込んだ柄の辺りまで深く刺さっており、しかもそれを手前に引いたため、頸動脈が切れて噴水のように血液が飛び散る。
 付近にいた二名は咄嗟に回避するが、それでもやはり返り血を浴びるのは避けきれない。少し離れていた二人でさえ。

 頸動脈を切るという行為は容易ではない。頸動脈というものは表皮から二〜三センチは奥にある上、筋組織や頑強な血管に阻まれるため、簡単に切ることなどできない。しかも、それには強烈な痛覚が伴うのだ。
 であるにもかかわらず、男は迷いなく切った。男の死に顔は異様なまでに安らかで、微笑んでさえいた。

「……やられた!」

 眼鏡の男性が忌々しそうに吐き捨てる。

「ああっ、もう、どこで地雷を踏んだんだろ……それとも時限式だったのかな。ああ、もう……」

 血の付いた眼鏡を上着の裾で無理矢理拭いて掛け直し立ち上がる。死に対してまるで動揺していない彼等に、網屋は思わず口笛を吹いた。

「随分、荒事に慣れてますね」
「まあ、ね。さて、どうしよっか」
「他の部隊を狙うしか無いだろう」

 オールバックの男性が事も無げに言い放つ。思わずぎょっとして彼等の顔をまじまじと見つめてしまうが、全く意に介した様子もない。

「申し訳ないね、もうちょっと付き合ってもらえないか」

 色男が微笑みながら言う。クラウディアに向けていたものとは全く違う、諦念と攻撃性がないまぜになったような。
 網屋は頬にまで飛んできた血を手の甲で乱暴に拭って、こう返した。

「時間外手当を出していただけるなら、いくらでも」


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恵みの雨に喜んだカエルは、三日三晩踊り続けたという。 頂いたサポートは主に創作活動の糧となります。ありがとうありがとう。