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 目澤は、出身大学の付属病院で外科の研修医として活動していた。が、卒業直後からその腕前を随分と買われ、半年もしないうちに東京の大学附属病院に移動させられる。まるで野球選手のトレードのように。
 東京に移動してからは数カ月のスパンで病院を転々とし、借りたアパートに帰る暇さえ無く、ほとんど病院に泊まり込む生活。学生時代に付き合っていた女性と卒業時に結婚したものの、これまたほとんど放置状態でひたすらに働いていた。部屋に帰る暇があるなら、妻に連絡する時間があるなら、一人でも多くそして早く施術すべきだと考えていたからだ。
 今思えば、それほど妻に興味はなかったのだろう。随分と酷いことをしたものだ。


 その時期は、高名な外科医のアシスタントをしていた。
 彼は一箇所の病院に所属せず、全国を巡って手術を行っていた。施術は施設が整っている病院を間借りし、診察はホテルを数フロア貸し切って行う。勿論、ほとんどのフロアはやってきた患者と家族の宿泊施設として利用されるのだ。
 そんな医師が東京に来るとなると患者数は膨れ上がる。こなさなければならない手術も膨大になるし、病院の手術室を間借りして施術するだけに不慣れな部分も多数出てくる。そのため、優秀な補佐役が必要なのだと名指しで召喚され、気が付けば一年が過ぎていた。

 結局、外科手術は体力勝負だ。体力が残っていなければ冷静な判断も施術も行えない。そのような意味で、自分は合格したのだろう。体力だけなら自信がある。そんな風に目澤自身は思っていた。
 その医師の手術からは学ぶことが山程あった。その知識が、技術が、目澤には宝石のように思えた。学びたい、吸収したい。自分も、同じくらいになりたい。秒単位での判断を要求される命の現場で、目澤は夢中になって彼の全てを身に付けようとしていたのだ。

 だが、東京に留まる期間は一年と最初から決まっていた。そろそろ一年が過ぎようとしており、目澤は決断を迫られていた。この地に留まるか、先生について行くか。
 で、あるので、当の先生から呼ばれた時はてっきりその話だと思い込んでいた。

 ノックしてドアノブに手を掛ける。が、どうぞと呼ぶ返事は先生の声ではなかった。

「失礼します」

 疑問に思いつつドアを開ければ、そこにいたのは先生と、もう一人。患者の事務受付を行っているメンバーの一人、朝霧という男だった。
 地味な人物である朝霧であったが、目澤は少し彼のことを気にしていた。朝霧という男の体型は鍛えている人間のものだったからだ。格闘技経験があるのだろうか、だったら話をしてみようか。そんな風に思ったことが一度ある。一度だけで終わってしまったのはやはり忙しかったからという理由。あとはやはり、彼の存在感の薄さだった。
 立ち上がって頭を下げる朝霧を見て、ようやく彼が結構な高身長であったことに気付く。

 その後に受けた説明は中川路と全く同じものだ。ただし、勧誘を受けたのは目澤のみであった。話には納得したが、やはりどうしても湧く疑問。

「何故、先生ではなく自分なのでしょう?」

 当時の目澤は若かった。故に、脊髄反射的に聞いてしまった。

「正直申し上げますと、この話は危険を伴います。特に目澤先生、貴方にお願いしたい内容は危険度が最も高いものになります。桜井先生は今の日本医療界にとって大変重要な人物ですので、国外に放出したくはありません。対象物に外科的措置を施した際の反応について、詳しい説明は資料の八ページをご覧下さい」

 実にあけすけな物言いをする男だ。桜井は死なせる訳にはいかないが、目澤ならまあいいだろう。要はそういうことだ。が、言葉はまだ続く。

「それに、目澤先生なら大丈夫でしょう。私はそう判断しました。ある程度の心得がある方ですし、日頃の所作を拝見している限り、鍛錬は欠かすこと無く積まれているとお見受けしました」
「ああ、まあ」
「そのような経験も必要になる、そういう現場であることが予想されます。ですから、目澤先生の他にこの部署の適任者はそうそう居ないでしょう。少なくとも、私が見てきた範囲では目澤先生のみが該当者に当たります。桜井先生ではなく、貴方です」

 朝霧は静かに、ローテーブルの上の書類を差し出す。

「詳しいことはこちらに」

 目澤は書類を受け取る。渡した朝霧も、渡された目澤も、互いの行動に疑問を抱かない。既に気持ちは固まっていた。この誘いこそが己にとっての答えなのだと、決断なのだと、目澤は既に心の何処かで悟っていたのかもしれない。


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恵みの雨に喜んだカエルは、三日三晩踊り続けたという。 頂いたサポートは主に創作活動の糧となります。ありがとうありがとう。