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 そして、一周年パーティ当日。

「なんのかんの言ってさあ、結局はキメてきてんじゃなーい川路ちゃん」

 皺が残るスーツを着て、取り皿に目一杯食べ物を載せている塩野。やたら姿勢良く立って、三着いくらのスーツもなんだか良さそうに見える目澤。
 そんな彼等より遅れて会場に現れたのは、かなり良い三つ揃いスーツを着た中川路。

「まあな。やるんだったら徹底的に」
「何を徹底的にするんだか」
「んなもん決まってるだろ、麗しい淑女と素晴らしい一晩を過ごすんだよ。……やめろ、そんな目で俺を見るな」

 へらへらと笑いながらじゃれあう三人。会場、と言っても各部署をつなぐ中央のホール部分なのだが、そこには簡易的にステージが作られていた。自前の楽器なのだろうか、集まった楽団員達が演奏をしている。会場の方は踊る者もいれば食事に興じる者、それらを眺めて楽しんでいる者、様々だ。

「さぁて、誰から攻略しようかな……」
「おー、揃ったな三馬鹿大将! 待ってたぞお!」

 標的を狙い定める寸前、聞き慣れた声が中川路の狩りを阻んだ。

「つっこしゃーん、おっきい声出したらびっくりしちゃうよー」
「えっへへ、ごめんごめん。遠くにいたからさ、大きい声出さないと聞こえないかなって思って」

 手を振りながら駆けてくる月子。その姿に、中川路は目を奪われた。夜空のような紺色のロングワンピースをまとい、きちんと髪を整え、薄く化粧をした彼女は驚くほどに見違えていたのだ。

「うぅおつっこしゃん、気合入ってんねー!」
「入れた! 気合入れた! ホレ見ろこのワンピを、お星様の刺繍入ってるんだぞ」
「アストロバイオロジー的に?」
「イエスイエス。朗君ご名答。アストロバイオロジー的に!」

 分かってはいた。彼女の美しさなんて最初から知っていた。ただ、こんな形で明確化されると、今までそこを直視しまいとしていただけに余計目につく。
 なんだか眩しく思えて、目を逸らした。自分みたいな人間が見てはいけないような気がしたから。

「おっしゃあ踊るぞ、おい踊るぞ諸君! 何のために今日まで特訓してきたと思ってる、私が踊るためです!」
「うわひどい」
「己の欲望のためか」
「そうだよ」
「でもゴメンね、僕、今、食べるので忙しい」

 塩野の言うことは事実で、何せ皿の上に目一杯乗せたごちそうを攻略するので手一杯だ。

「俺も……」

 目澤も状況は全く一緒。この瞬間、手が空いているのは中川路のみ。

「ならば正彦君、行くぞ!」
「ぅおいおいおい、俺か、俺かぁ?」
「ほら、次の曲始まっちゃう!」

 月子の手が中川路の手を捕まえて、ダンスホールへと導いてゆく。女の手など毎晩握っているのに、どうして、今この瞬間はこんなに意識してしまうのか。

「ステップ、ゆっくりでいいからね」
「失敗しそうだ」
「いいのいいの、失敗したって楽しければいいんだから。なんとなーくでいいの。リカバリーできるできる」

 緩やかなテンポの曲が流れ、二人は会場の隅でひそやかに踊り始める。どこかで聞いたことのあるワルツ。月子のリードが上手いのか、そこそこ様になっている。
 最初のうちは「いち、に、さん」と月子がテンポを取りながら踊っていたのだが、練習してきたのと、中川路自身も運動神経は良い方であるので、すぐに慣れてステップが滑らかになってきた。

「上手、いけてるいけてる。大丈夫じゃない」
「良かった、でもまだ緊張してるんだよ」
「えー、そうは見えないなぁ。顔のせいで」

 イヒヒ、と月子は笑ってみせた。
 そうだ。この笑顔だ。身だしなみを整えて美しさが際立っても、彼女の浮かべる笑顔は変わらない。自分が好きだなと思うところは、一切変わりはしないのだ。寧ろ逆だ。差があるからこそ、変わらない部分が余計にはっきりと分かる。
 やばいな、と頭の中で呟いた。やばい。今まで故意的に避けていたのだと否応なしに気付かされる。彼女に対しては研究者として、そして友人として付き合っていこうとしていた。それが一番なのだと思っていた。自分みたいな女たらしが月子にそんな感情を抱くのは、まるでいけないことのような気がして。

 でも、駄目だった。直視するまいとしていたが、無理だった。彼女に惹かれた理由が「見た目」ではないと分かってしまったから。

 二人は踊る。あまり広くはないスペースを、くるりくるりと回る。会場の隅にいた市村に気付き、月子がひらひらと手を振る。目が合った中川路は照れくさそうに少し笑って、同じように手を振った。

「どうよ正彦君、踊るのは」
「なるほど、結構楽しい。やってみるもんだね」
「だべさー! 嬉しいな、楽しんでもらえて良かったぁ」

 今度は少し曇りが混ざった、安堵の笑顔だ。

「かなり強引に特訓させちゃったからね。ごめんね」
「いいさ、本当に嫌だったら断ってる」
「そういうこと言うとね、調子に乗るよ私は」
「どーぞどーぞ」
「よっしゃあー、調子に乗るぞー、もう一曲踊るぞ」

 もう一曲。ならば、この繋いだ手をまだ離さなくても良いのだ。
 そんな事を咄嗟に考えて、中川路は自嘲的に笑う。これではまるで、十代の少年のようではないか。

 ついに、とでも言おうか。それとも、やっと、と言うべきだろうか。この時、中川路正彦は自覚した。自分はこの人が好きだ。国岡月子という人物に、惚れている。

 女の子を引っ掛けるのが好きだ。落とすのが好きだ。相手の望むポイントを押さえてそれに応えてやると、ストンと落ちるあの感触が好きだ。落とした後、こちらを見つめる瞳が輝いているのも好きだ。
 いや、好き「だった」。
 それは一種の駆け引きであり、ゲームのようなもの。落とした後はあまり重要視しておらず、過程にこそ悦楽を見出していた。その子が好きな訳じゃない。その子でなければならない訳でもない。両者の間にある空気感が気に入っているだけ。相手は誰だっていい。そう思っていたのに。

 自分が落ちた。あっさりと。
 そうか、相手はこんな気分だったのかと、ここで初めて知った。しかも相手は特に何かを意図している訳ではない。いつも通りに笑っているだけ、なのに。

「あのさ、月子さん」
「はいよ、なんじゃらほい」
「もう一曲、踊ってもいいか?」
「勿論! 何曲でも!」

 抱き寄せる、なんていつもやっていることなのに。今この瞬間はひどく緊張する。手が震えそうになる。

「……あ、そうか」
「ん?」
「ごめん、何でもない」

 やけに汗ばむ掌を知覚して、ようやく分かった。今まで沢山の女と付き合ってきた。やることもやってきた。だが、これが。
 中川路にとっての、初恋であったのだ。


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恵みの雨に喜んだカエルは、三日三晩踊り続けたという。 頂いたサポートは主に創作活動の糧となります。ありがとうありがとう。