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 医師達の昔話を聞き始めてまあまあの時間が経過した。網屋が一度台所を借りて簡単なツマミを作り、中川路が棚から何本かボトルを引っ張り出して、戦闘態勢を整える。

「市村と顔合わせたのは、この頃だっけ」

 中川路が呟く。相田の様子を窺いながらだ。相田の方は特に過剰な反応もせず、普通に聞いていた。

「うん、そうだねー。イッチーが迷子になったんだよね」
「で、中川路が探しに行って」
「見つけたんだよな、W班の施設で」
「なんでそんなとこまで行っちゃったんだろうね?」
「迷うときはそんなもんだって。俺も迷子になったときは訳分からんとこまで行っちゃったし」

 三人は軽快に話しつつも、相田の気配を探っている。

「イッチーは……イッチーはねえ、僕のこと嫌ってたっぽいんだよね」
「そりゃお前、本人が嫌がってるのにイッチーて呼んでたからじゃないのか」
「そーれぇー? そこォォ?」
「心当たりしか出てこない」
「塩野はそんなのばかりだろうが」
「えぇぇー」

 ヘラヘラと笑いながら喋ってはいたが、ふと、塩野は真顔になった。

「明確に避けられてるなって思ったのは、結構あとの方なんだよね。最初のうちはねえ、そうでもなかったの。普通に喋ってて、仲良くやってたと思うんだけど」

 グラスの中に、琥珀色の酒と透明な氷。溶けた氷が靄のように広がるのを見つめて、塩野は宛もなく言葉を紡ぐ。

「突然だったな、って印象。避けてられてるなって分かるとき、あるでしょ? で、僕もさ、避けられてるんなら、こっちからあんまり接触するのも悪いかなって。今から思えば、何かあったんだろうね。この時点で」

 僅かに滲む後悔。変化に気付いていたのなら、何かできたのではないかという。

「……中川路には随分懐いているな、と思っていたんだがな」

 目澤が言い、塩野が頷く。「まあな」と中川路が返す。微妙な空気が漂って、間が空いた。

「最初から嫌いだった、って言われちまったからなぁ」
「言ってたねえ」
「まあ、そう言うんなら、そうだったんだろうな」

 浮かぶのは苦笑。気付かなかった己への嘲笑。悔やんでもすでに遅く、故に後悔と書くのだろう。

「研究のことばっかり考えてたからな。もうちょっと、気を配っていればよかったのかな」
「あと、つっこさんのことでしょ。川路ちゃんの頭ン中はさ」
「やっかましいわ」
「いつ頃から惚れてると自覚したんだ? ん?」
「目澤まで、お前な、調子こいてんじゃねえぞ」

 比較的隙のない中川路は滅多につつかれることはない。貴重な機会とばかりに、残りの二人はいじりまくる態勢に入った。

「告白、川路ちゃんからしたんでしょおー? キャー! こくはく! 何て言って告ったの? ねえねえ何て言って告白したの?」
「う、ううううるさい、うるさいよ、それにだな、それはもっと先の話で」
「アレの後だろ。ほら、中川路が片っ端から女と手を切った後。だから言うほど後でもない」
「いや、いやいや後だよ、選別がそこそこ進んだ後だから、そんなに早くは」
「一年経ったくらい? 川路ちゃんにしちゃ遅いじゃーん。あー、まあ、川路ちゃんなら仕方ないかぁ。本気になった川路ちゃんはクッソヘタレだもんね」
「結婚を決意してから申し込むまでに数年かかったな」
「やめろ! それはやめてくれえ!」

 この「いじられる中川路」があまりに珍しい光景であるため、相田と網屋はツマミを食いつつ酒を飲みつつじっと眺めている。しかも、容赦なく中川路の私物である酒を手酌しながら。遠慮なしにコニャックの封を開け、なみなみと注ぐ。

「おもしれーなぁ、これ」
「ね。すっげえおもしろい。いつまで続くんだろ、これ」
「賭けるか相田」
「いや、多分それ賭けにならない」
「デスヨネー」
「ちょっとごめんねそこの若者二人! あのさ、助け舟くらい出してくれないかなぁ?」

 二人は心底呆れたような目で中川路を見つめ、深く溜息を付いた。

「あのですね、こんな愉快な状況を覆す馬鹿なんていないでしょうよ、普通」
「先輩、もうちょっとオブラートに包んであげて。可哀想だから」
「どっちにしろフォローなしかよ!」

 ついに塩野がソファーの背凭れを叩きながら爆笑し始め、目澤は笑いすぎて目尻に涙が溜まっている。
 相田も網屋も、気付いていた。いつぞやの小料理屋の時と同じだ。あの時は彼らの仲間が死んだ状況だった。今も同じ、酒の力を借りて何とか笑い飛ばそうとする努力。少しでも陽気な話題に向けようとする意思。だから、二人もその流れに逆らわない。まだ陽気に話すべき事柄なのだ。
 実際のところはまあ、いじられる中川路を目に焼き付けておこうというのが大きいのだが。

「いいんですよ中川路先生、オラたちのモテナイ村をバンバン焼き討ちしていただいて結構ですよ。なあ相田」
「焼き討ちは慣れてますから。ただし、羞恥という代償を払ってもらうがなァ!」
「相田君なんだか悪い顔になってるよ? ねえ!」
「いいじゃーん川路ちゃんの恥ずかしい話いっぱいしようよー」
「もういっそのこと、中川路の恥ずかしい話だけでもいいんじゃないか? ミミックの説明もいいんだが、詳しく話してもキリがないだろう」

 拍手喝采を送る若者二人の手を握って封じると、中川路は「何でこうなるんだ!」と叫んだ。悲痛な叫びは残念ながら誰の心にも届かなかったらしく、完全に放置状態だ。

「あのなあ! ある程度の説明も必要だろう! ミミックの!」
「つったってさあー、僕らもミミ太郎さんのこと、完全に把握してたわけじゃないでしょ。対処さえできればいいんであって、研究し尽くすことが目的じゃなかったんだしさぁ」
「それは、まあ、そうなんだがなぁ」
「説明と言っても、俺達外科チームはひたすら切ってただけだし」
「黙らっしゃい目澤かき回すんじゃないよ目澤、外科チームなりになんかこう、あるだろ、なんか」
「なんかって何だ」
「なんかだよ! そうだ塩野、お前らンとこはどうだ? 俺さあ、精神学チームの方はよく分からんから説明してほしい」
「むーぅ、強引に話題を変えようとしちょるのぅ……しょうがないにゃあ、シズキン優しいから川路ちゃんの意図にのったげる」
「やさしい!」
「ただし、高いよ」
「う」
「んじゃ、語ってもよろしいですかな? 僕らが突き止めたのはねえ、そんなに多くはないんだ。調べれば調べるほどワケ分かんなくなってきちゃってさ。とりあえず分かったのは……」


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恵みの雨に喜んだカエルは、三日三晩踊り続けたという。 頂いたサポートは主に創作活動の糧となります。ありがとうありがとう。