ヘッダ二章

個人情報保護方針 3)「社内の情報共有は緊密にしましょう。」

 放課後、部活動も終わり、時期が時期だけに辺りはすっかり暗闇に包まれている。職員室や所々の教室を除けば明かりは消えており、人気はほぼ無い。
 だが、人はいた。屋上に、空中の闇に溶けるように、誰かが佇んでいた。

「早いな」

 誰かに呼ばれて人影が振り向く。

「そうでしょうか?」
「真面目だよなあ、お前」

 呼びかけられたのは伯、ここの制服を纏ったままの。呼びかけたのは吹雪、こちらは会社の制服を着ていた。

「……ホント、お前真面目だし、すごいよ」

 そう言う吹雪の表情には後悔が滲んでいる。

「俺なんてさ、隠すのに必死で。その挙句にアレだもんな……」
「違います、僕はそんな真面目なんかじゃないんです。それに、僕が本当のことを言えたのは、吹雪さんのおかげなんです」
「……俺?」
「はい。僕は……結局、何もできないままでした。社長に助けてもらったのに、恩返しできないままで。どうすればいいのか自分で考えることもしないまま、ずっとこのまま甘え続けていればいいと、そんな都合のいいことを夢見ていました。だけど、吹雪さんは常に考え続けていた。考えて、動いて、状況に対して前を向き続けていました。そんな吹雪さんを見ていて、僕はようやく、思考を放棄していた自分に気付きました」

 予想もしなかった言葉を掛けられ、吹雪は目を丸くした。

「いや、俺は別にそんな、大層なもんじゃなくって」
「吹雪さん、そんなに謙遜しないで下さい。僕、本当に、吹雪さんから沢山勇気を貰いました」

 ニコニコと笑う伯に、吹雪も照れ笑いを見せる。だが伯の笑顔はすぐに変化を見せた。しょんぼりしている、と言うべきものに。

「……吹雪さんは、鉄男さんを倒すために来たって、いつも言ってますよね」
「ああ、まあな」
「僕は、その……最初、小百合さん……社長を殺すために、来たんです」

 吹雪は眉根を寄せるが、それでも黙って伯の言葉を待った。それくらいの空気は分かる。

「社長を殺せと命じられて、僕は外に出ました。外に出て、社長に会って、そして、救ってもらったんです」
「救い?」
「はい。自分で考えていいんだと、外に飛び出してよいのだと、社長は教えてくれました」

 学校の制服、初めて袖を通した真新しい学ランの袖を強く握り締める。

「僕は、初めての自由にびっくりしてしまって……このまま誰にも、何も言わなければ、この自由が続くって思ったんです。黙っていればやり過ごせる、誰にも責められずに済む、何にも知らないふりをしていればいいんだって。だけど、吹雪さんは動いてた。動き続けてた。だから、僕も動かなくちゃって」

 自分はそんなに真面目にやってたわけでは、と言いそうになって吹雪は口をつぐむ。そんなことを言ったって、もうこれ以上は伯に対して失礼になるだけだ。しかし何か言いたくなって、当て所もなく口を開く。

「……あのさ」
「はい?」
「俺ら、頑張ろうな」
「はい!」

 本当は「頑張る」なんて言葉は好きじゃない。吹雪にとってその言葉は呪いにも似て、頑張りさえすれば許されるような風潮であるとか、頑張らなければならないという圧力であるとか、そんな側面ばかりを見せつけられ強いられてきた。いつだってその言葉には有無を言わせぬ力が働いていて、良い印象はない。
 だが、今言ったこの言葉は違う色だった。強要ではない。免罪でもない。ただ前を向いて走るための燃料。御大層なものではなく、祈りのように形はなく、ただ暖かくあれと願う、光のような。
 自分で口走っておいて自分で驚き、それでも吹雪は伯の笑顔を見て、言葉は間違いではなかったことを知る。

 そこへ、屋上の扉を開いてほんわかした空気をぶち破った者がいた。

「ごっめーんお待たせー」
「寒かったろう、すまないな」

 白衣を着たままのみどりと、私服の二郎だ。

「はいはいはい、とっとと終わらせて暖かいとこ戻ろ。この寒さは老体に堪えるわ」
「老体ってみどりさん、そんな歳じゃなかろうに」
「歳じゃて。お主もアラフォーになれば分かるわい、フェフェフェ」
「その笑い方やめなさい。なんか練れば練るほど色が変わって」
「ンまぁい! テーレッテレー」
「みたいなのやめなさい」
「えー、兎塚先生こっわーい」

 妙に息の合ったボケとツッコミを交わしながら、風の当たらない場所を探して陣取る。

「はい、それじゃ本日の報告会始めようか」
「二郎くん、先生っぽーい」
「一応、ここでは先生やってるからねえ」

 肩を竦めて笑う二郎。みどりはヒヒ、と笑って返す。

「さあて。伯、どうだった? 初めての学校生活は」
「緊張しましたが、楽しいです」

 元来ならば目的はこの学校への潜入、そして情報収集だ。しかし、この呑気なやり取りに誰も異を唱えない。ほとんど気分は伯の保護者状態で、伯に次ぐ若手である吹雪でさえ入学式の親のような顔付きだ。

「全体的にいい雰囲気の学校だからなあ、ここは。いささか脳筋に過ぎる面もあるが。十全ではないにしろ、安心はできるんじゃないか」
「そうねえ。どうよ兎塚先生、生徒達を見てて」
「普通だな。特に荒れてるワケじゃないし、かと言って糞真面目でもないし。偏差値も一般的、素行も一般的。ちょっとボーッとしてる生徒もいるけど」
「そりゃしょうがないんじゃないかな、俺も学生の頃は授業中ずっと呆けてたし」
「吹雪ぃー、たるんどるぞぉー」

 このように、最初のうちはほとんど世間話のような内容である。だが。

「とりあえずざっと見た限りでは、生徒は皆シロだ。その手の奴は居ないな。もうちょっと観察したいところだが……あとは来週の授業参観か」
「そうだね、生徒がシロでも親はクロかもしれない。伯くんの親ってことにして、私が授業参観に出ればよかったかなぁ」
「いや、それだったら社長に頼めばいいんじゃないかな」
「社長だと高校生の親って言うには若いでしょ。あそこんちの子はまだ小学生だわ」

 軽妙に喋ってはいるが、内容は軽くはない。報告会の名は伊達ではないのだ。

「ああそうだ、えっとね、理事長のことなんだけど。書道家だったっていうから彼の作品漁ったほうがいいかもしれない。所有者とか」
「へええ、書道家!」
「うん。だから、禅くんによく伝えておいてもらえると助かる。あと、ここの土地の、前の所有者も調べといてって伝えて」
「はい、了解」

 手短に済ませると、三々五々に散ってゆく。潜入した面子はこのまま直帰するのだ。なけなしの努力ではあるが、少しでも足がつかないように。こんな場所で報告会なんぞやっているのもそのためだ。可能であるなら保健室でやりたいところだが、背に腹は代えられない。


 こんな調子で、瞬く間に二週間が過ぎてしまった。


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恵みの雨に喜んだカエルは、三日三晩踊り続けたという。 頂いたサポートは主に創作活動の糧となります。ありがとうありがとう。