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 この「全日本学生ジムカーナ選手権」男子の部は、各大学から三名の選手が出場。午前と午後に一本づつ、計二回の走行でタイムの短い方を取り、三名分の合計タイムをもって順位が決定する。個人部門も設けられており、こちらも個人ベストタイムによる順位が発表される。
 一部にパイロンが設置されたコースを指定通りに走り完走するのが目的だが、マシントラブルや軽い事故などで完走できないという事例もある。
 大半の大学が、一台の車を使い回す。女子の部も然りであるので、トラブルが起きようものなら後続は全滅だ。

 熊谷産業大学の第一走者は前崎。そこそこのタイムを出すが、パイロンに二度触れたために大幅なタイム加算を受ける。
 第二走者は主将の池田。前崎に多少劣るものの、好タイムを弾き出す。特に目立ったミスも無く堅実な走り。それこそが確実な速さへと繋がっている。

 昨年の優勝校がやはり強く、二位の記録と二秒以上の差をつけている。競技開始前にデモンストレーション走行を行ったプロレーサーが、その大学のピット前で熱心に話をしていた。自身の出身校であるのか、それとも、勧誘でもしているのか。


 相田はパイプ椅子に腰掛け、出番を待っていた。他チームの記録も聞かず、前崎の自慢話も聞かず、女子部員の取ってつけたような励ましの言葉も聞かず、ただヘルメットを抱えて黙っている。
 もちろん、前崎や女子の聞こえよがしの嫌味も、隣で一方的に興奮している高橋の声も聞こえない。
 聞いているのは、ピットクルーの会話内容と、コースから聞こえる車の音。
 マシンコンディションに問題無し。コース上の水分も程良く飛んでいる。後は、自分が車をどう走らせるか、それだけだ。

「相田、次だぞ」

 高橋の呼びかけに、相田の意識はようやくこちら側へ戻ってきた。黙って頷くと静かに立ち上がる。そして、ヘルメットを被った。


『熊谷産業大学、第三走者、相田雅之選手』

 スピーカーからアナウンスが流れる。椿達が、響介の両親が、熊谷産業大学のメンバーが、そしてその他大勢が、コース上の車両へと目をやった。
 部員達に先導されてスタート地点へ進む車両。スタートラインにたどり着くと、部員達が一言二言声を掛けてから走り去ってゆく。

 係員の掲げるフラッグ。たった一枚の柔らかな布が、重量のある金属の塊を食い止めている。
 その係員がひとつ頷くと、脇にある大型ストップウォッチがカウントを始める。無機的な合成音が一回、二回、三回。最後の高い音とともにフラッグが上げられ、相田の乗ったマシンは唸りを上げて急発進した。

 誰もが息を呑んだ。速すぎる。直線上に設置してあるパイロンの百八十度ターンをこなすには速度が出すぎていた。いや、このままではコースの外に飛び出してしまうのではないか……
 だが、そんな光景は訪れない。軋むような音を立てながら車はパイロンを避けて小さく回り、瞬時に百八十度の方向転換。そして次の目標へ襲いかかる。しかも、先程よりも更に速いスピードで。

「何だよ……何なんだよ、あれ!」

 前崎が呻いた。練習走行では全く見せなかった速さ。寧ろ、練習では前崎の方が良い記録を出していたくらいだ。
 しかし、蓋を開けてみればどうだ。相田の走り方は狂気じみてさえいるではないか。

「あれが本来の『疾風』、相田雅之か」

 主将の池田が誰にともなく呟いた。F3を震撼させ、F1に最も近いとさえ言わせしめた男。『迅雷』等々力響介とともに居並ぶ強豪を蹴散らした、若き天才。

「違う」

 突然、高橋が池田の言葉を遮った。

「相田の本当の二つ名は、『疾風』じゃない」

 高橋は相田の操る車に目を奪われたまま、うわ言のように続ける。

「あいつの真の二つ名は、『高速の殉教者』……!」

 それは、F3に昇格した際にマスコミが付けたあまりにも不穏当な名。速度のために全てを捧げたかのような走り方に、実況が思わず口走った言葉であった。響介があのようなことになってしまった今、この二つ名を口にするものはほとんどいない。
 だが、そう言われても仕方のない一面もあった。彼の走りに、少なからぬ人数がこう思っていたのも事実だ。「命が惜しくはないのか」と。

 パイロンが多く設置された箇所を終え、車はコース奥へと突入する。スラロームを抜け、ヘアピンカーブをクリア。
 見守る観衆の意識は速度への不安から、いつしか期待へとすり替わっている。
 このまま、このままで完走しろ。記録を作る世紀の瞬間の、目撃者になるために。
 駆け抜けろ。走り抜け。その速さで喜びを満たせ。

 アナウンスも、途中経過のタイム報告を忘れて見入っている。
 誰もが固唾を呑み、息すら詰めて見守る中、相田は速度を緩めぬままゴールへと飛び込んだ。

 彼が弾き出したタイムは。

「そんな、馬鹿な! 九秒以上も差がついてる……!」

 ディスプレイに表示された数字に、誰かが叫んだ。コンマ単位で争われるのが常である中、圧倒的大差。あと一秒早ければ大台をも突破する記録であった。

 歓喜が爆発する。相田を乗せた車がゆっくりとピットへ戻ってくると、熊谷産業のメンバーが周りを取り囲んだ。

「やったな相田! なあオイ!」

 前崎が、運転席から降りてきた相田の背中を力いっぱい叩く。

「すごいよ、相田君……私、相田君ならできるって信じてた」

 女子部員が、目を潤ませて手を握る。

「これならいけるんじゃないか、優勝」
「個人は確実だよな。午後はもっと良いタイム出るかもしれない」

 まだ相田はヘルメットすら外していないというのに、部員達は周囲で好き勝手に喋っている。
 その熱狂の中ただ一人、高橋だけがピットの奥に残っていた。しかし、その目は誰よりも熱を帯びている。

「俺が、俺が復活させたんだ。伝説を……『高速の殉教者』、相田雅之を!」

 相田はゆっくりとヘルメットを脱ぐ。集中力を使い果たしたか、流石に疲れの色が見て取れる。取り囲む部員達の顔を見回し、彼はへらりと笑った。

「ゴメン。ちょっと、お手洗い行ってきてもいい?」
「ああ、行ってこい行ってこい」

 部員達からも気の抜けた笑いが漏れる中、相田はヘルメットを抱えたままその場を離れていった。


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恵みの雨に喜んだカエルは、三日三晩踊り続けたという。 頂いたサポートは主に創作活動の糧となります。ありがとうありがとう。