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09-1

 時間帯が時間帯だけに、道路はひどく空いていた。午前三時過ぎ。建物の明かりもまばらだ。
 黒い車が、東京方面に向かって走っている。

 助手席の網屋が、ひとつ欠伸を噛み殺した。運転している相田の隣で、堂々と欠伸をするのも気が引けるからだ。
 相田はというと、気にも留めずに鼻歌など歌いながら運転していた。どんなに空いている道路だろうが、必要のない限り常識的な範囲での安全運転を順守する相田だ。彼にとって運転は道楽であり、娯楽である。飛ばすだけが運転ではない。

 彼等の向かう先は東京都八王子市である。目的は網屋の「買い物」だ。この時間帯にしか受け付けていないという事で、相田も網屋も明るい時間帯にたっぷり睡眠を取ってから現場へと臨んでいる。


 車は広い道路を抜け、市街地から外れた辺鄙な場所へと走る。東京都とはいえども二十三区外、しかもその端ともなれば都会的な空気は失せ、田園的な風景が広がる。畑があり、林があり、山がある。
 車は山沿いへと進む。幾つかの林を横目に蛇行し、狭い道をしばらく進むと、木々の中にわずか開けた場所に出た。

 大きな庭に、大きな日本家屋がある。中に人の気配。明かりも付いている。
 少し古い日本家屋ならば相田も散々見てきたが、ここは何かが違う。広い庭の隅に後ろ向きで車を停めながら、家屋を見つめて相田は考えた。何が違うのか。どこに違和感を感じるのか。
 あまり深く悩まずとも、すぐに結論は出た。農家の造りではないのだ。相田が見たことのある日本家屋は全て農家である。それ以外は全て、彼にとって「見覚えのない」ものになる。
 では、この家屋は何なのか。そこまでは分からない。

 今回の「買い物」も、網屋に突然言われて車を出したので、具体的に何を買うのか全く分からない。消去法で普通の買い物ではないのだろうなぁと予測はつくが、この日本家屋を見ると余計に訳が分からなくなってきた。

 車を降りた網屋は、ためらいなく玄関の引き戸を開ける。

「こんばんは」

 声が、広い玄関に響いて消える。奥から「はーい」と返事があって、板の間を走ってくる音。

「はい、お待たせしました」

 紺色の作務衣を着た青年が一人、頭に手ぬぐいを巻いたまま小走りに駆けてきた。

「ども、お久しぶりです」
「おー、網屋さんお久しです。あれ、できてますよ」

 靴を脱いで上がり込む網屋。相田も続く。青年の案内する先は随分奥であるらしく、長い廊下をみしり、みしりと音を立てて歩く。足の裏に伝わる、ひんやりとした板の温度。

「あと、メンテと補充もお願いしたいんですけど」
「はい。じゃ、そっち先にやっちゃいますね」

 突き当りにある部屋の障子を開けると、中はごく普通の居間であった。大きめの座卓、大きめの座布団、床の間に飾られている刀。
 青年はすぐに熱い緑茶を淹れてくれた。

「北沢さん、相変わらずお茶淹れるのやたらうまいですよね」
「秘密のヤバイ粉入れてますから」

 さらっときわどい事を言う青年。

「や、ヤバイ粉?」
「抹茶というヤバイ粉。これ入れると、どんな茶でも強制的にうまくなりますよ」

 爽やかににっこり笑ってオチ部分を暴露した後、「さて」と一言、網屋の向かいに座る。

「拝見します」
「よろしくお願いします」

 網屋は懐から銃を取り出すと弾倉を抜き、スライドを引いてチャンバーの銃弾を抜く。銃把を向けて座卓の上に置くと、もう一丁を取り出し同じ作業。
 北沢と呼ばれた青年は机の上の銃を手に取ると、相田から見れば「あっという間に」分解してしまった。何が起こっているか分からないうちにバラバラになった、というのが相田の感想だ。
 二丁とも分解して部品を一つ一つ眺めながら、確認のように呟く。

「結構ぶっ放しましたね?」

 網屋はへへ、と笑った。

「交換も込みで一時間弱見て下さい。その間に補充とか、師匠もすぐに来ると思うので」
「あ、はい」
「守河、呼びますね」

 背後の襖を開けて名を呼ぶ。「おう」などと声が聞こえて、また誰かがやってくる。姿を表すまでの僅かな間に二丁の銃を組み上げてしまうと、北沢はそれを持ってどこかに引っ込んでしまった。
 入れ替わるようにやって来たのは、眼鏡を掛けた青年だ。

「お、網屋さんだ。おはようございます」
「お久しぶりです。何年ぶりだっけ」
「二年?」
「もうそんなに経ってました?」
「網屋さんも、もうちょっと年取ったら分かりますよ。一・二年なんてあっという間」

 青年は穏やかに笑いながら注文書とペンを差し出す。網屋は必要な個数を少し悩みながら書き込むと、守河に返した。

「はい、じゃあ少しお待ち下さい。伝票はまとめちゃっていいですか?」
「そうしていただけると助かります」


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恵みの雨に喜んだカエルは、三日三晩踊り続けたという。 頂いたサポートは主に創作活動の糧となります。ありがとうありがとう。