鷹揚でありたい

自分はシラフでも酔っていても、自他ともに「よく笑う方」だと思う。ほとんど常時口角が上がっていて、人見知りをせず社交的で、適度に冗談を言う。プライベートはもとより、ビジネスの場でも環境が許す限りは意識的にそうしている。だから、おおむね「良い人」に見られがちだ。

「良い人」「心を許せる人」の称号を与えられるので、何かの面接で落ちるといった経験がほぼない。行き当たりばったりの人生観で生きているので、途中から「やっぱ違うかも」と思って辞退を申し出たりとか、そういうのはある(むしろ多い)けれど、基本的に第一印象がとても良い人間だ。先日、会社を辞めて数年ぶりにアルバイト面接を受けたけれど、異業種にもかかわらず難なくパスできた。様子を見守っていた店長から「まあほぼ受かると思うよ」と言われたのもあって、確信は大きかった。中身はどうあれ、自分は外ヅラがとても良いのだ。だから風俗嬢としても激しく心を病んだりすることなくサバイブできている。矜恃とかはないけど、ある意味で天職だと思う。

元から調子良く生きられる術を身につけていたわけでは全くない。むしろ、小学生の頃は無口で愛想などなかったし、中学生の頃は一年半近く引きこもりを経験して、高校に上がれば同級生と容姿を比較されてブスと罵られた。体型や身なりを平均以上に整えるまで、自分に自信など全くもってなかった。承認欲求が元々強いので、授業中に発言するのは好きではあったけれど、他者との積極的な対話を前に自分は無力だった。

今の自分を確立させた背景には、高校〜専門学生の頃に働いていたファミマの同期の存在がある。彼女は都内でも有数の忙しい&接客に力を入れている自店でテキパキと客を捌いてスピーディーに商品の品出しをこなしながら、合間合間でくそほどくだらない冗談を言って同時間帯のシフトに入るスタッフを笑かそうとしてくるのだ。何度もツボに入ってしまい、接客中に吹き出しそうになったこともあるほどに。一度、どうしてそんなに笑わせてくるのかと聞いたことがあって、彼女は涼しい顔をしながら「だって皆が笑ってくれると嬉しいじゃん」と言った。笑顔の伝播、と言うと少しくさい感じがするけれど、確かに彼女とシフトが被るときは毎回ストレスなく仕事ができたし、楽しかった。お節介おばさんや突っ立っているだけの不出来なフリーターに頭を抱えたりもしていたけれど(高校を卒業する頃にはバイトリーダーまで昇格していたので)、貼り付けられたシフト表を見て、彼女と被っていることを確認できたときはその日が来るのが待ち遠しかった。そうして、その言葉を受けて、自分も彼女みたいな人間性を持ちたいと思うようになり、今に至る。

自分から積極的に愛想を振り撒いていると、当然だが気分が良い。苦情が飛んでくることもほとんどなく、おおむね自分のユーモアな人柄を面白がってくれていて、飲みの場であれば会話を回せるポジションになれるし、風俗嬢としてであればつかみの段階で相手がどういう人なのかを嗅ぎ分けることができる。会話力という面では、主に後者の経験値が勝手に育ててくれた部分が大きい。あとはさほど自主的に行なっているわけではないけど、世界を知ること。エンタメ、時勢、国内外の旅行についてそれぞれ展開できる話題を引き出しに入れておくこと。中でも自分が特に興味を惹かれるカルチャーについては熱弁できるくらいに情報を仕込んでおくこと。これだけで、相手がよほど無口な性分だったりニッチな趣味を持っていない限りは円滑にキャッチボールができると思う。自分本来の「少し変わっている」要素もスパイスに混ぜ込みながら。

自分が一番生きやすい方法を模索して、たどりついたのが今の自分である。ここまで特に苦だと感じることはなかったけれど、最近気付いてしまったのだ。自分にとって最も都合の良い世渡り術が、他者の視点からだと「ヘラヘラして」見えるということに。

自分がこういう立ち回りでいるから、友人からの冗談めいた些細な一言で傷つくことがままあった。要は結局すべて自己責任の範疇なのだけど、ユーモアに富んだこの人間性はあくまで「仮面」でしかないのだ。本来の自分は、こんなに口角が上がる方ではない。何ならとても繊細で、不器用で、怖がりながら慎重に石橋を叩いて歩くような人間だ。特技は何かを問われたときに、「人と人を繋げること」と答えるようにしているが、それは元々の自分ができたものではなくて、頑張って広げた風呂敷にたまたま近い人間が居合わせてくれたからできているだけだと思う。自分の存在するコミュニティの秩序を守っている、という意味で、実は保身的な生き方をしていることは否定できないし、本来の自分を隠そうとする必死さが露呈して恥ずかしいとすら思う。自分を守るための策として確立させたユーモアであって、お調子者ではない、何ならその逆、ということを声に出して伝えておきたい。

だって、どうして皆普通に生きられるんだろうと思う。こちらはそうやって、無理はしてなくても、取り繕わなくては普通の人として対等に接してもらえない。うつを患っていた頃の話も、強制入院の一歩手前まで行った摂食障害も、「あの頃は大変だったんですよお」と、今では全くなんともない風に伝えなくては相手が引いてしまいそうで、引かれたら相手との交流のチャンスを逃してしまいそうで怖い。誠実でありたいが、正直でいることから目を背けている。不注意多動症で、薬を飲む頻度や量から朝昼晩の予定や一日の歩数まで細かく設定したルーティンを全てクリアしないと激しい後悔に駆られるような強迫を持っていて、非嘔吐過食症であって選択型拒食症(オルトレキシア)だ。周りに好かれる容姿を手に入れても、周囲と比べて自分は劣っていると感じることが多く、その隙を潰すように「一緒にいて楽な人間」を演じている。

コンプレックスは上手く隠す。社会に出る上では、誰もがレンジを合わせて生きているのだろうと思うし、自分だけが例外だとは毛頭思っていない。けれども内側のさらに内側の底へと隠しすぎた弱さが、誰にも見つからないまま秘匿化されていくことには少しだけ抵抗したい。来月には27歳。何層にも重なった仮面を少しずつ剥がして、理想のあるべき自分と本来の姿を晒せる自分の特異点を見つけたい。