『けものフレンズ』の2期が見たいけど、見たくない

世間から遅れること1週間、GyaOの配信で見ていた私もようやく『けものフレンズ』の最終回を見ることができた。テレビで見るなりニコニコ動画の配信を見るなりすればよかったわけだけど、何しろ私は定時に何かをするというのが嫌いな人間である。映画だって上映開始の時間どおりに行かなければいけないというのがイヤで見られないし、定時に教室に入るというのがダメで大学の構内にいるのにまったく授業に出ずに卒業できなかった。そういう人間にはアニメを見ることすらできないのだ。時間よ、止まれ。

それはさておき、第12話。大変満足の最終回で、当面のところ、仕事してるように見せかけてもたいていサーバルちゃんのことを考えているという生活になりそうな感じだ。よかった……よかった……。

と同時に、今私は苦悶している。「俺は2期を見たいと願うべきなのか」についてだ。

そりゃもちろん見たい。やってくれるといったら大喜びで見る。まだ伏線的な要素も残っているし、いつでも2期を始められるラストにだってなっている。待ったなし! たーのしー待ったなし!

だけど、一方で私は2期を恐れている。それは2期が、続きがあるということは、かばんちゃんとサーバルちゃんの旅が終わってしまうということだからだ。

アニメ『けものフレンズ』は旅の物語だった。記憶がないかばんちゃんが、自分が何のフレンズなのかを探してサーバルちゃんと旅に出る。あらすじでいえばそういう話だ。そして、同時に2人の旅は最初から終わりを内包した旅だった。

「旅である以上終わりがある」というのももちろんだが、『けものフレンズ』はその世界観にずっと不穏さを持っていた。それは、ジャパリパークという世界そのものが、すでに何かが“終わった”あとの、かりそめのような世界であるという不穏さだ。

ジャパリパークとそこに住むフレンズたちの暮らしは楽園的で、永遠に続く日常のように描かれている。けれど、そのバックボーンはすでに崩壊していて、一種の偽りの楽園であるというアンバランスが、『けものフレンズ』にいわゆる日常系と一線を画す特異な力を持たせている。

かばんちゃんの旅は、いわばそのことを露わにする旅でもある。ジャパリパークの真実にたどり着くことは、楽園的な日常に終わりをもたらすことを意味していた。そういう意味で、かばんちゃんの旅は初めから旅立ちと別れに向かっていた。

そして、そういうずっとどこかに漂っている寂しさこそが、私が『けものフレンズ』を好きな大きな理由だった。すでに何かが終わってしまった、一種の嘘のようなかりそめの世界で、ひとときかりそめでない友だちと出会い、旅をする。そういうセンチメンタルさが、かばんちゃんとサーバルちゃんを見ていて泣きそうになってしまう理由だった。

たぶん、不穏さを持たない、本当に永遠に続く日常の世界でこの作品が描かれていたら、それはそれで面白かっただろうけれど、こんなふうに泣いたりはしなかったと思う。

そういう意味で、第12話の旅立ちはものすごく見事だった。かばんちゃんの旅は続く。それは終わりへと向かう旅なのだけれど、その終着点を描かなかった。「どこかでずっとあの日常が続いているんだ」と思い続けることができる。終わりながら終わらないラストだった。

だからこそ、2期、あるいはその先を見たくないという気持ちもある。かばんちゃんの旅が本当に終着点にたどり着いたとき、あの日常も終わる。

もちろん、そうならない終着点もあるだろう。いろんなちほーを延々と旅し続けることもできる。いろいろあって、最後にサーバルちゃんとさばんなちほーの日常へ戻っていくという終着点もあるだろう。

だけど、延々と旅を続ける物語になってしまえば、それはもう「終わらない日常」の物語だ。すべてが丸く収まってさばんなちほーの日常に帰ってしまっても、そこにはもう「お別れの予感」というスパイスはなくなる。かばんちゃんが旅立ち、今度こそ本当にサーバルちゃんたちとお別れするラストも、それはそれで見たいけれど、やっぱりこの日常が終わってしまう寂しさがある。

別れの予感に満ちた日常が、終わってしまうのも、終わらないのも寂しいのだ。だから、一刻も早く2期が見たいと思う一方で、あの「終わらずに終わった」ラストの続きを見ることを、今すごく怖がってもいる。我ながら実にめんどくさい気持ちに翻弄されている。

まあ、2期の放送が決まれば見る。よだれダラダラ垂らしながら見るし、たぶん最終的に「最高や……最高やった……! 何が2期見たくないだ、クソが……!」って言い出すのも目に見えているので、ここまでの約2000文字も結局「無」みたいなものなわけだけど、たぶんこういうしょうもない無駄なことを書けるのも今だけなのだ。そんなわけで、私は『けものフレンズ』の2期が怖い。

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