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無尽蔵な無垢の愛と、愛すら無力な世界で——「ラブレター」(尾崎かおり)

作家というのは面白いもので、ときおり何かを予見していたような物語を送り出すことがある。たとえば尾崎かおりの『金のひつじ』3巻に収録された短編、「ラブレター」はまさに今このときのために用意されていたのではないかという物語だった。

「ラブレター」はもともと2016年に発表された短編で、それが長編作品である『金のひつじ』の最終巻刊行に際して収録、4月に刊行された。50ページちょっとのこの作品は、ネグレクトで子どもを死なせた若い母親を描いた物語だ。そして、人生に疲れ切った、孤独な人間の話でもある。2016年でもタイムリーではあったのだろうが、これが今単行本として出てきたのはやはりどこかタイムリーさを感じさせる。

作品レビューなり紹介なりというときにあらすじをまるごと最後まで書いてしまうのは禁じ手ともいえるが、この作品を紹介するにはどうしたってある程度“はし”から“はし”までを語る必要がある。なので、未読の人には少し申し訳ないけれど、「あらすじごときで物語の力は損なわれない」と信じて話の結末まで触れてながら紹介する。

ネグレクトと孤独の若い母、
そして彼女を選んだ子どもの物語

「ラブレター」は魂が天国らしきところで自分を生む母親を選ぶシーンから始まる。ハローワークや公営住宅の申し込みのような感覚で、神様に相談しながら生まれたい母親をカタログから選んでいく。条件のよい母親は倍率が高い。

物語の主人公のひとりといえる名もなき魂は、そこでひとりの若い女性を母親に希望する。17歳の少女、魚沼麻子。ネットで知り合った男のところを渡り歩く家出少女で未成年喫煙者、父親になる男性は無職と、典型的な貧困と悪条件が揃っている。当然“不人気物件”であり、倍率は0倍だった。

そんな彼女を名もなき魂が選んだ理由は、いわば一目惚れだ。空の上で彼女を見たとき、彼は「なんてきれいな人だろう…」と心のなかでつぶやく。そうして彼は、世界で一番素敵な人、魚沼麻子の子どもとして地上に生まれていく。

しかし案の定というべきか、彼の楽しい暮らしは長くは続かなかった。貧困のなかでふたりの生活は崩壊寸前のところを綱渡りし、やがて疲弊しきった麻子はある日仕事へ向かい、そのまま子どものいる部屋へ戻らなかった。ネグレクトにより、幼い子どもは死亡する。

典型的な、今憎まれる悲劇。彼女は服役し、世間からも激しいバッシングを受ける。だが、麻子の子どもに産まれた魂が再び空の上に帰って語った思い出は、いかに麻子との暮らしが楽しかったか、というものだった。そして、彼は再び麻子のそばで暮らせる転生先を希望する。彼女はもう子どもを産まないと決意していたため、今度は猫として、そしてその後は花や雨になり、麻子のそばで暮らす。

踏切を前に衝動的にふらふらと電車へ飛び込もうとする彼女に降り注ぐ雨粒となった彼は、その耳元で「泣かないで」と囁く。本当は聞こえはしないだろうその声にハッとしたように彼女は足を止める。

そしてラストシーン、彼が人間の子どもとして彼女と暮らしたころの思い出が描かれ、物語は終わる。スーパーで麻子とはぐれ泣いている彼。心配してくれるどんな大人も、彼女ではない、知らない人。たったひとりの素敵な人、ママを探して泣き、飛び込んでいく。そんな姿とともに物語は幕を閉じる。

自分自身を軽蔑しながら生きる地獄に
無力な愛だけが輝く

「ラブレター」のあらすじを追っていくとこういう感じになる。そこだけ取り出せば、無計画で無責任な母親となった少女の生活が崩れ落ちつつ、それでもたったひとり、無垢の魂にひたすら愛されているのだ、という救いの物語に見えるだろう。

それはこの物語のひとつの側面ではある。踏切で踏みとどまった彼女の目の前に現れる虹は、浄化と救済の瞬間といっていい。あるいはラストシーンでも描かれる子どもの母に対する絶対の愛情は、「幼い子どもはどんなときもあなたを愛している」というメッセージにも見えるだろう。どんなに追い詰められ、困窮してもあなたを愛する人はいる、というある種陳腐な話として読んだとしても間違いとはいえない。

ただ尾崎かおりという作家は、そう単純な救済を描く人ではない。過去作である『神様がうそをつく。』や本作が収録されている『金のひつじ』でもそうだが、尾崎の物語の根底には無慈悲なまでの無力がある。子どもであることの絶望的な無力さ、状況が生み出す抗いがたい無力、そういうものが尾崎作品にはあり、かつ抵抗によってそれに打ち勝つ物語でもない。

「ラブレター」もまた、そういう救いがたさの物語である。物語のなかでは彼女は無垢な愛に照らされ続けている。どんなに世間が彼女を責め立てても、自分自身を軽蔑していても、たったひとり絶対の愛を彼女に捧げる存在によって物語は救われる。

しかし、彼女自身は物語のなかで救われてない。無垢で底抜けな子どもの愛は彼女に本当の意味では届いていないし、新しい愛に出会うわけでもない。そして、彼女自身の自分に対する軽蔑も消えてなくなってはいない。

誰しも大なり小なり自分自身に失望することはある。それは致し方ないことであり、ある意味では自分自身に対する期待から生まれるものでもある。しんどいながら、ガッカリしたり奮起したりしながら進むしかない。

だが、自分自身を軽蔑しながら生きなければならないとしたらそれは地獄だ。そこにはもはや期待すらない。人は決して自分を軽蔑し続けてはならない。大げさにいうなら、人間にとってそれだけは許されないことだといっていい。

「ラブレター」は、そういう救いがたい地獄を描き、それをほとんどそのまま残したまま幕を閉じている物語だ。「愛と救済の物語」と読むこともできる。だが、この物語には愛すら無力な地獄が描かれている。そして、愛の無力を突きつけながら、それでもなお愛の輝きを描いている。そこに尾崎作品の美しさがある。

今起こる無力と孤独をめぐる悲しいできごとに、愛の云々を語る人を私は信用していない。愛の万能は自分自身を軽蔑する人には届かない。それを受け取るためには、受け手の能力が必要となる。「ラブレター」はそういう愛の無力を生きる人々の物語であり、そんな人々自身と彼ら、彼女らをめぐる人々のための物語なのだ。

前述のとおり、「ラブレター」は『金のひつじ』3巻に収録されているが、電子書店では単話販売も行われている。もし興味があったらそちらで買うことも可能だ。ちなみに、少年少女の無力と青春の物語である『神様がうそをつく。』や、再生に舵を切った『金のひつじ』も傑作なので、気になった人はそちらもどうぞ。もっと明るい青春譚が好きな人には『人魚王子』のような作品もあるので、そちらもオススメしておく。

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※2019年6月14日、ほんの少しだけ改稿しました。

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