なんでも「すみません」というクセがある人に伝えたい期待と希望の違い

別になんにも悪くないのに「すみません」を連呼する友人がいます。
いや、そこは「ありがとう」でいいんじゃないかと思うんですがクセになっているらしく。
同じような主人公がでてくる小説『希望の地図』より参考になりそうなくだりがあったのでご紹介。

その主人公はわけあって不登校な中学生。どうにも自身がなく、なんでも「すみません」と言ってしまいます。
そこで、その中学生によりそう大人が「なんでも期待に応えようとしてそれに応えられないからすみません、て
つい、でるんじゃないの」的なことを言います。
「期待に応えようとするから、どんどん自信がなくなって、余計すみませんが先にきちゃうんだろうな」、とも。
うなずく主人公。すると、その大人は「お前、期待と希望の違いがわかるか」と一言投げかけるんです。

そこから本編の本題に進んでいくんですが、この言葉から私が感じたことだけを書くと
若者に対してどんな大人も「うまい答えかえってくるだろうな」とか「的確な答え返して来いよ」という
「期待」は確かにあると思うんです。

だけど、それ以上に「どんな回答が来るんだろう」とか「彼らしい意見を聞きたいな」という
「希望」のほうが大きいと思うんですよね。だから全然間違っててもいいから、その本人の意見を聞きたいわけです。
そりゃ期待通りの答えがでてきたら嬉しいですが、それはそれでつまんないやつだな、と思ったりもして。
雑な言い方ですが、正直、入社直後の新卒とか学生が期待通りになにかやれるなんて一ミリも思ってないし(笑)

若者っていうのは、大人たちにとって、未来の希望なわけですからには無理に期待に応えるんじゃなくて、
失敗しても伸び伸びとやってほしいなと。
そして、彼らを育て機会を与える側の大人たちもどんな若者に対してもうまくやれよ、という「期待」だけでなく
それ以上に、「希望」を持って接してあげてほしいな、と思っております。

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