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透過安請合い

何度も何度も何度も何度も仮想の意志に向けて吐き出して、何度も何度も何度も何度も仮想の鈍器で殴られて、ようやく、ダイヤモンドくらいに硬くなってから、初めて、その形に空気を揺らす。誰も、聞いてくれないから、いや、多分自分が臆病なだけなんだけど、できるだけ鋭利に研いでから、落としたいなと考えている。でもやっぱりひどく臆病だから、復讐に怯えて、まだできたばかりの甘皮を切り裂かれるのを恐れて、川辺の石くらいのものを、重力に任せて地面に投げつけるだけなのです。同時に、その刃ですら、掠り傷一つ付けられなかったらどうしようと、躱されたらどうしようと、不安に駆られて、もっと、もっともっと鋭利にしながら、力一杯振り下ろせるその時を、夢見るように待ち望んでいる。

二択の運試しで、大抵ハズレを選んでしまっているような感じがして、自ら死のうと大勝負を掛けたら、多分またハズレの未遂という結果になるような気がして、でもそれは私のコレを知らない、例えば親族だとか、例えば自分が精神から解離した役割を果たしている集団だとか、そういう人たちに向けて、未遂のとき、私は一体どう振る舞えばいいのだろうか。道化とまでは言わないが、擬態している所が、コレを目前にすることを、なぜだかひどく恐れている。殺されるかもしれないと思えるほどに、いや死にたいのに。

夢は夢のままで、キラキラした部分だけを見ているのは、多分そんなに悪いことではないのだろう。知らぬが仏、よく言うよ。そこから生まれた灰を、どれほど飲み込めるかなんて、多分飲み込もうとして初めて知る。飲み込めなかった分は?埋もれて死ぬか逃げるかだろうな、どこまでも追って来るし、逃げ切れないのだろうけれど。棚の上で、灰は埃を被って、いつの間にかもっと大きな灰だか埃だかになって、そのうち頭から被って、肺に入って咳き込む。全部幻覚で、死ねはしないらしい。

絶望…?そんな、広く、容易く、成り下がってしまった記号に、押し込まれたくはないな。それにまだ、光は残している。まだ、向かっていないだけ。多分、落とし穴だとかあるだろうし、その光自体、幻想かもしれないけれど、夢は夢のままで置いておきたくて、まだコノ苦味に、夢から甘味を補って、どうにかしている。実感として、この夢が覚めるとき、多分私は私の形を崩して、鏡面の人形に成り果てるのだろうな。その人形になりたくなくて、全て焼き尽くすかもしれないけれど。

立往生。でも、もう、この先に進めないような気がして、進めた人間を見たことがなくて、知らないだけかもしれないけれど、もうダメなんじゃないかなと思えてしまって、でも、この停滞が続いてほしいと思えるほど、ここが良いところでもなくて、そうしたらもう地団駄を踏んで足掻いているしかないみたい。その勢いで飛び込めるほどの勇気とかは、やはりハズレの恐怖故に無い。

全部丸投げでどうにかしてほしい、でもそれは殺人と同義らしい。恐怖から生まれた良心が、人殺しはダメだと、殴ってくる。その痛みで、感覚を麻痺させて、皮だけは、無害のプラカードを掲げているが、それで何かなるというわけでもなく、ではいっそ自分で剥いでしまおうかとも思うが、それは暴力だとコノ良心が殴ってくる。従ったところで何になるのか、その痛みさえ喚き叫んでしまえたら、それが一番、自分勝手に救われるだろうに、ナゼ恐怖が生まれるのか。それごと、全部、殺しにかかってくれたなら、全部終われるのに。

臆病の一言で済む話、過ぎた痛みの感覚は、いずれ忘れていくのを知っていながら、これから来るであろうそれを、自ら受け入れられない。それすら可能性でしかないのに、一度試してみればいいと思うのに、どうしてこうも葛藤しているのかが、自分でも理解できない。責任を負わない身勝手な肯定を、とりあえず優しい嘘としよう。結局自分でどうにかするしかないのだから、閉じ籠もって死のうとすればいいと思う。

責任を、最期まで全うできると確信するまで、負えないと突き放すことを、ひとつ優しさと呼ぶことにした。互いの責任を全部混ぜて、真っ黒にしてしまう優しさは、現実に有り得るのだろうか。それすら夢でしかないというなら、その夢ごと混ぜてしまって、ぐるぐる渦巻いた景色の中で、そのまま眠れたのなら、恐らく、最も美しい、胡蝶の死なのだと思う。

衝動よ、そのままコノ身を滅ぼしてしまえ。
現実よ、彩度を持たないでくれ。

タイトルに、大抵意味は無い。

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