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抱負

新年明けましておめでとうございます。
そして、被災した方々の無事と安全を祈ります。

本当はTwitterで短文で書こうと思いましたが、なんだか長くなりそうだったのでこちらに記録しておきます。そして過去の文章同様、死にたいという感情について触れるので、

目標というものが基本的に苦手で、公表したからには達成しなければならないという強迫観念から、毎年抱負は雑に「生きる」と言っていたり、「挑戦を多くしてみる」といったような曖昧なものにしております。今回もまあそんなところですが、せっかくこのようなサイトをお借りしているので垂々と書こうかと思います。

今年の抱負はざっくり言えば「荷を降ろす」です。

友人が自殺で亡くなってから色々考えてしまいました、単純に羨ましかったのです。生きている中で負ってきた義務や責任を、こうも簡単に手放してしまうなんて、と。

では早速自分も…とはまあいかないです。一応大学入学当初に卒業までは生きると決めてしまったので。あと2年は、少なくとも生きていなければとは思っております。それに、自分が学びたくて入りましたし、友人たちと会って遊ぶ約束が残っていますし、チケットの取れたLIVEくらいは行かなければなりません。楽しみです。

そういった楽しみもある種責務というか、自分に対する責任というか対価というか、そう云うものだと認識していますが、自分の内の感情面が望んでいることであればできる限り、手頃なものから具現化していきたいと思います。そう云うものはこんな風に降ろしていきたい荷です。

そうでない荷の方が当たり前ですが多いです。荷というか枷ですね、己を現世に縛り付けておくもの、向こう側に引っ張られないようにしておく鎖、名称は何でも良いんですけどね。所属している機関とか団体とか、友人関係とか。縁とも言うのかもしれません。

しかし実際は本当に外部から縛られているものでは無いです、手放そうと思えばすぐにでも手放せるものです。退学手続きもしてしまえば去ることができます、辞めると言えば辞めることができます。友人の連絡先を消せば関わることもできません、アカウントさえ消してしまえばネットの繋がりも断てます。枷というものは本当は無いのです、在るのは責任感という名の思い込みだけです。

人間いつ死ぬか分かりません、事故に巻き込まれるかも知れないし、急な病気で倒れてそのままなんてこともあります。自殺も、結局そういうものと同じだと思うのです。枷だと思っていたものはいとも簡単に塵と化してしまいます。

それでも、この思い込みの責任を果たしてから、或いは降りてから死にたいと願う自分のために、今はまだ死なないでおこうと思うのです。そして今年からは、その願いを叶えるために動こうと思います。

とはいえ急に絶縁というのも怪しまれますし、友人を傷つけるような趣味はありません。関わってくれた優しい人たちは幸せであってくれと願っているので。関わったことある人間の訃報を聞くだけでも多少悪影響はあるでしょうし、誰であろうと縁を切られたら多少は傷つくでしょう。自分如きでそんなことはないだろうと、誰も気にしないだろうとは思っていますが、可能性を少しでも消したいということで、時間経過による疎遠を狙っております。それが無理だと判断したら、予定では一人間の訃報何ぞ忘れてしまえる程長い、別の意味で混乱するような遺書を遺して死のうと思っていますので、早々に忘れてもらう積りです。遺書の用意も進めて行かねばなりませんね、単純に書きたいですし。

元々最終目標として「最高の死」というものを設定しておりました、人生は其の為に費やそうと思っていました。故に事故死などの突発的な死はできるだけ避けたいと願っています、我儘なのかもしれません。

去年までは己をこの世に留まらせることに専念していましたが、今年からは最終目標に向けて動き出そうと思います。其れを、「枷を外す」、「鎖を断ち切る」、そして「荷を降ろす」と言い表した次第です。

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