パリにてーオペラ座には怪人が?
シャルルドゴ-ル空港からタクシーに乗った。行先のホテル名を告げると、運転手はちょっと首を傾げ、早口のフランス語で何か言いながら助手席にあったパリの市街図を調べ始めた。わたしがホテルの位置をさがしあてて
"La”と指で示すと、”Oui, merci, madam, I’m new taxi driver."と、肩をすくめて笑った。運転手になりたて、ということらしい。ユーモアたっぷりのジェスチャーに思わず笑ってしまった。
それにしてもずいぶんくつろいだ運転手だ。まだ25歳くらいだろうか、6月も半ばすぎというのに、黒いたっぷりとしたセーターにジーンズ姿で、左手の指にはタバコを挟み、右手では助手席においた缶ジュースをつかんで飲みながらの運転だ。わたしは斜め後ろの席から、濃いサングラスの下のクルンとカールしたみごとな茶色のまつげをチラリチラリと見た。
タクシーが空港の外に出ると、道の両側には初めて見るフランスの風景が拡がった。薄緑色の土手の草、紫の葉が茂る木、日本ではとっくに廃車になっているようなへこんだ車、青い電気をつけたパトカー・・・
パリに近づくにつれ、道の両側は古い石造りの建物と近代的な高層ビルでうずまり始めた。ローマ字で書かれた日本企業の名前もずい分あった。市街に入るとビルの姿は消え、昔ながらの石造りの建物が屏風のように隙間なく立ち並ぶようになった。パリでは建物の規制が激しく、広告の色も限定されていると聞いていたが、なるほどどれも申し合わせたようにくすんだベージュで、5.6階建てだった。縦に細長い窓は、昔の列車についていたような、長方形の枠で、その中に細い横木が何本も渡された白いブラインドが、それぞれ住んでいる人の好みの量だけ開いていた。外側に黒い鉄の手すりがつけられ、その鉄の織りなしている模様が、建物によって少しずつ違い、窓辺に置かれたゼラニウムが、今を盛りと鮮やかな紅い花を咲かせていた。風にそよぐマロニエの街路樹はどれも大木で、建物の屋上にゴツゴツととび出した換気口に届くほどだった。
タクシーは四角の石が扇形に敷き詰められた道を、車体を小刻みに震わせながら、走り続けた。運転手は、短くクラクションを鳴らしたり、軽く舌うちしたりしながら、少々荒っぽい運転で夕方のラッシュの車の間をたくみにすりぬけると車を止め、"Voila!"と左手のホテルを指さした。ドアの上に「ホテルm」と書かれただけのめだたない玄関を入ると、低いところにロビーが拡がり、その奥にゆるやかにカーブした華奢な手すりのついた階段が見えた。
ギャルソンが案内してくれた部屋は、ひっそりと薄暗く、壁も、ビロードばりの椅子も、カーテンもくすんだローズ色で統一されていた。壁に、ジャンバルジャンが盗んだ燭台のような形をしたあかりがとりつけられて、それだけが唯一の装飾品だった。縦長の窓にはギャザーのよった白いレースのカーテンが下がっていて、窓ごしに向かい側の同じような建物の窓が見えた。それらはどれもこれもパリに似つかわしく思えた。
翌朝、清掃車の重い音で目がさめた。男の人の短い叫ぶようなフランス語の
会話が聞こえた。
「ああ、ここはパリなんだ!」
ベッドをぬけだし、カーテンのすき間から外をそっと見た。
カフェオレにクロワッサンにオレンジジュース、という朝食をすますとパリの街にでた。まずは近くのオペラ座まで歩いて行くことにした。
6月の太陽が明るく照っているのに、冷たい風がカーデガンの下にまで入り
込んできた。車道と歩道の間の溝にはどこも水が流れ、かすかに犬の糞の
においがした。鮮やかな緑色のつなぎを着た黒人の若者が、これもはっと
するような蛍光色の黄緑のほうきを、ものうげに動かして道路掃除をしていた。
枝別れしている道の両側には、石造りの建物がおり重なるようにずっと遠くまでならび、マロニエの葉が風に揺れていた。
・・・美術の教科書にあった「遠近法の描き方」の見本そっくりだ・・・
これは本当に現実の世界なのだろうか・・・
わたしの心の中では、遠い街だったパリと、自分とがまだ完全に結び付いて
いなかった。オペラ座の前の階段には大勢の人が座ってあたりを眺めたり、話したりしていた。その間をすりぬけて中に入ると、スカーレットとバトラーの家のようなりっぱな階段があり、その上に観客席の後ろに出る扉がならんでいた。扉の中はほの暗く、低いステージをとりまく椅子席が5、6階まで
あった。あのビロードの椅子に肩も露な夜会服を着て、髪を高く結い上げたマダムが羽根扇を優雅に動かしながら座るのだろうか。
廊下にでると、高いドーム型の天井や壁にビーナスの誕生などの見事な絵が描かれ、丸い柱にはいろいろな人物の彫刻がほどこされていた。虚ろな目でくうを見つめているもの、たった今声のない叫びをあげたばかりのように口を開けたままのもの、それらが通る人の上に落ちかかるようなかっこうで
ひっそりと静止していた。
「あの、柱の暗いかげから怪人が出てきてもちっともおかしくない・・・」
わたしはそっとふりかえってみたりした。
ギャラリーラファイエットという美術館のような名前のデパートは、オペラ座のすぐ裏にあった。わたしはそこでショルダーバッグを買うことにした。バッグ売り場は日本のデパートと同じように入り口近くにあり、つりさげられたものの中に適当なものがみつかったので、店員に思いきってフランス語できいてみた。
"C`est combien?"「おいくらですか?」
"Cent quatre-vingt quinze Francs."
流れるような答えがかえってきた。私の頭はぼんやりとして、それが195フランとわかるまでしばらく時間がかかった。
3日間でシャンゼルゼから凱旋門、エッフェル塔、ルーブル美術館、ノートルダム寺院、モンマルトルの丘など地下鉄をのりつぎいろいろなところに
行った。パリのメトロは、東京のものと較べるとくねくねと曲がる通路、かまぼこ型にくりぬかれた駅など、すべてが曲線的なイメージだった。黄色の電車のドアは把手をまわさないと開かず、ドアのそばの座席は、立ち上がるとパタンともち上がってたたまれるようになっていた。その不安定な小さな座席にすべり落ちそうになりながら座り、さまざまな人種の人達の早口のフランス語の会話を聞きながら乗っていると、私ももしかしたらパリ市民に見えるかもしれない、と嬉しくなったりした。地下鉄を降りると、石畳の道をくたくたになるまで歩き続けた。ホテルに帰っても、スニーカーの底を通して感じていたゴツゴツした感触が、足の裏に残っているほどだった。
遠い異国にいるという感傷がそうさせるのだろうか、古い石造りの建物の
谷間のような裏通りを歩いていると、忘れかけていた思い出が心の中ににじみ出てくるようなせつなさを感じた。そして、パリの街全体が現実よりも淡い、古い映画の中の世界で、自分もそのセピア色の画面の中につい、
とすいこまれているような不思議な思いにとらわれるのだった。
ひとまずおわり
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