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ヘルパー日記5

 Bさんの家はバス通りから少し入った二階家だった。一階にBさん、二階に息子さんが住み、息子さんはほとんど家にいた。ヘルパーの仕事は外出介助、歩いて15分ほどの、公園往復に付き添うというものだった。散歩介助、というのは介護保険では認められないため、公園の手前の自動販売機でお茶を買い、買い物介助、ということになっていた。Bさんは75歳、歩行力が弱ってきて公園まで一人行くのは難しく、公園までは車いす、公園内をヘルパーが支えながら歩く、はずだった。

 その日、Bさん宅に着き玄関で車いすの用意をしていると、息子さんが二階から降りてきて、「母を歩かせて欲しい」とのこと。その時事業所に電話して責任者にサービス内容を確かめるべきだった。しかし息子さんがシルバーカーを出してきて、「これを押して行かせて下さい」という。確かに歩いた方が本人にはいいし、疲れればシルバーカーに付いた椅子に腰かければいい、と、二人で歩いていくことにした。

 無事公園につき、10分ほどお茶を飲みながら休み、帰って来た。家に近づいた裏道でBさんが疲れた様子なので、少し休憩しましょうか、とシルバーカーの椅子に座らせた。そこは日が当たり暑かったため、日陰までBさんを乗せたシルバーカーを押して移動させようとしたその時、車輪が道路の段差に引っ掛かり、ガクンと揺らいだ。Bさんは、あっという間に道路に右手と顔から落ち鼻から血が流れた。私はティッシュで血をぬぐい、夢中でBさんを座らせ、震える手で事業所に電話を入れた。呼吸が苦しくなり、はぁ、はぁ、と喘ぎながら今の出来事を伝えると、幸い事業所にいた責任者が車ですぐに行くとの返事。Bさんは、「すみません、大丈夫だから」と言ってくれたが、こういう場合の「大丈夫」はあてにならない。顔を打っているから脳が傷つき硬膜下出血などおこしているかもしれない、動かさない方がいい、とそこでじっと責任者のYさんが来るまで待った。

 10分もしないうちYさんが会社の車で到着し「U病院に行こう!息子さんには連絡いれてあるから」と、Bさんをそっと車に乗せると私にもついてくるよう言った。U病院はまだできて間もないそのあたりでは大きい病院だった。事態は急を要する。脳に損傷を受け、血腫などできた場合は、一刻も早い点滴が必要だ。BさんがCT検査を受け、その結果が分かるまで、怖くてたまらなかった。Bさんの娘さんもかけつけ「私が散歩つれてっても、転ばせることなんかなかったのに、どうしてプロが、こんなことするんですか!」と厳しい口調で言った。Yさんと私は「申し訳ありませんでした」と深く頭を下げるしかなかった。

 他のヘルパーが、車いすを押しながら坂を降りるとき、後ろ向きで降りなかったため、乗っていたお年寄りが転落した。本人が「大丈夫!」というので、様子を見ていたらその夜意識を無くし救急搬送され、結局、硬膜下血腫で訴えられた、という事件があったばかりで、目の前が真っ暗だった。

 やっと名前が呼ばれ、Bさんの娘さん、Yさん、私が診察室に入ると、まだ若い研修医のような先生が言った。
「今のところ大丈夫ですね。特に脳に問題はありません。でも、わからないくらい少しずつ出血して脳が圧迫されるということがないとは言えません。この一週間は特に気を付けて、吐いたり、眠ってばかりいるようというようなことがあったら、救急車を呼んでここに来てください」と暗記した教科書をそのまま言うような口調で言った。

 一安心だ。娘さんもほっとしたようで、「少し母を休ませたら私が連れて帰りますから、どうぞ、今日のところは、お帰り下さい」とのことで、わたしとYさんは、事業所に帰ることになった。帰りの車で「いやあ、良かった。でも、今日ほど車そおっと運転したことなかったなぁ!」とYさんが笑いながら言ってくれ、がちがちに力が入っていた身体がやっとほぐれた気がした。

 私は当然のようにBさんの担当をはずれたが、半年ほどたって、また担当するように、という話が出た。もう外出はできなくなっていたBさんの、今度は入浴介助を担当してほしい、ということで。Bさんも息子さんも元気で、半年前の事故には一切ふれてこなかったし、今度は慎重に、と自分に言い聞かせて私が退職するまで通い続けた。忘れられない家だ。

                    ヘルパー日記5おわり

     2021.8.24


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