星の数ほどの失敗が、私を照らしてくれた
「将来のために、今、何かを変えよう。」
そんなメッセージを込めて、noteを書きたくなったのは、私自身がいつも先にある光を信じて進んできたからです。
2011年に、23歳の若さで起業してから今日まで。なんとか経営者でやってこられました。
でも、それを支えてくれたのは、私にとってかけがえのない失敗という無数の星たち。
人生で一番、幸せな日
1988年6月。横浜。
90年代の学習塾ブームの少し前に、英才教育チックな学習塾(今や、複数校舎あり)を起業した父と、厳しく優しい母のもとに、私は生まれた。
人生で一番、幸せな日。
もちろん生まれた瞬間の記憶はないけど、本気でそう思っている。
父のことが大好きだった。小学校の作文で「尊敬」というタイトルで父のことを書いたくらいだ。
そう、父のことが大好きだった。15歳の夏までは。
15歳の夏、中学校から帰ると、家の様子が違っていた。
詳しい理由は今でもわからない。
はっきりしていることは、父が私たちを置いて出て行ったことだけ。
世界一のお父さんだと信じて疑わなかった日々からの衝撃は大きかった。
私は塞ぎ込み、高校は半分近く、まともに通えなかった。
そう、早い話が、天国と地獄を見たような子供時代だった。
幸せで裕福な家庭に生まれ、途中からは貧乏で働き詰めの学生時代を過ごした。
そんな中で、私は心理学に興味を持った。
最初のきっかけは、傷ついた私に、スクールカウンセラーが話をしてくれたから。
人の悩みを聞き、解決に導く。
そんな仕事に興味を持ち、同時に心理学という心の働きを研究する学問にも興味を持った。
現在の私の原点。
そう、現在の私は、顧客心理を中心としたマーケティング専門のコンサルタント。同時に、目標達成のコーチングも専門だ。
不幸も失敗も、いたって平凡
まるで悲劇のヒーローのように書いてきたけど、伝えたいことは、そんなことではありません。
深く、深く、傷ついた私だったけど、今考えてみると、こんな話はどこにでもある。
母子家庭で育った人もたくさんいる。
父親と離別した経験がある人もたくさんいる。
貧乏を経験した人なんて、たくさんいる。
そう、自分が思っているほど、その傷は深くない。
傷は時間が癒してくれるし、少し客観的に考えてみると、大した傷でもないことが多い。
そう、自分なんて、自分が思っているよりも小さい。
似た経験をした人なんて、いくらでもいる。
私も、そう思って、立ち上がることにした。18歳の決意だった。
そして、そうやって前向きに決意してみると、自分の人生は思ったよりも可能性の塊みたいなもので、どこまでも広がる宇宙のようなものだと感じた。
でもね、16歳から、しばらくの間、学校も行かないで塞ぎ込む日が続いていたから、そんなにすぐに物事が全部うまくいくわけじゃなかった。
少し前向きに頑張って、また挫折して。
たまに自分を責めてみたり、また塞ぎ込みそうになったり。
また立ち上がってみたり、転んでみたり。
そんなことを繰り返しているうちに、心理学を勉強するために、奨学金で大学に入っていた。
お金がなかったので、朝から夕方まで大人たちと働き、夜中に大学で学ぶ夜間学生だった。
同年代の大学生とは、真逆の生活。
普通の高校生活じゃなかった私にとって、これは心地が良かった。
人と違う自分が好きになっていた。
本当のことを言えば、私もサークルだとか、飲み会だとか、そんなキャンパスライフもやってみたかった。普通の大学生をやってみたいと思ったことがないというのは嘘になる。
始発で働きに行って、同年代の学生さんたちがアルバイトに来る頃に、私は勤務を終えて大学に行く。
大学の授業が終わり、食事をすると、ほとんど終電だった。夜間学校はそんな感じの生活だった。
懸命に働き、懸命に学び、何かを振り切るように、自分の人生を楽しみ始めていた。力がみなぎっていた。
大変だったけど、良い時代だった。
起業!ついに人生を取り戻す!
そんな働きながら学ぶ生活の中で、ちょっとしたきっかけから、何名かの起業家と知り合う機会があった。
それは、勤務先のお店にお客さんとして来ていただいたことであったり、知り合いの紹介でたまたま話す機会をいただいたり。本当に、偶然のきっかけって感じ。
へぇ、、、起業かぁ。。。
なんだろう、最初は大して意識していなかったけど、抑えられない感覚が湧き上がってくる。
いや、無理でしょ、俺、金ないし。。。でも、、、
でも、、、
起業したい!!
23歳の春。起業の決意を固めた。
当然のように、周り中に反対されたり笑われたりした。
「ふざけんな!」
そう思っても、一杯飲むお金もない。
悔しい、悔しい。
でも、人と違う選択をした自分にワクワクしていた。
勢いと小銭だけで、抑えられない衝動まかせに起業した23歳の夏。
春に決意して、もう夏の終わりには実際に起業した。
今なら、わかる。
なんで、起業にそこまで気持ちが抑えられなくなったか。
父の存在だった。間違いなく。
人生には偶然はない。
すっかり忘れていたけど、私は、あれほど裏切られ、憎み、忘れようとした父の背中を、無意識に追っていた。
よくよく思い出してみると、父も心理学を専攻する学生で、その後に教育事業で起業している。
その時、父親のことを許せた。
悲しく、突然の別れだったけど、私の心の中にはいつも父がいたのだ。
すべてのトラウマが払拭されて、私は自分の事業に打ち込んだ。
幸い、事業をやってみると、割と生き残れた。
3年、5年、7年、10年と、経営者としてのキャリアが経過していき、コンサルタントとして慕ってくれるクライアントも増えた。
周りの人間に言わせると、10年以上やれる経営者はすごいのだとか。
たしかに、そういう統計もあるけど、自分ではさっぱりわからん。
私には特別な才能はない。今も、何も持っていない。
ただ、なんで10年以上経営できたのかと聞かれれば、私が意識したことが一つだけある。
「誰でもできることを、誰もやらないほどやる。」
別の機会にでも書きますが、ここには、目標達成や仕事の重要なコツが詰まっている。
誰でもできる=再現性の高い戦略
誰でもできる=細かく練られた手順
誰もやらないほど=積み重ねこそ、必勝法
誰もやらないほどやる=どんな状態でも、やれる仕組み
そう、これが私の必勝法。
どーんなに難しい仕事も、誰でもできる=どんなコンディションの自分でも取り組める状態にまで細かく研究し、それをコツコツと積み上げることを習慣化するための仕組みを作る。これでほとんど、解決してきた。
もちろん、私の場合はマーケティングという専門分野があるので、ちゃんとその技術は持っていますが、基本的な仕事や生産のスタンスとしてベースにあるのは、この考え方なんだ。
noteを始めた理由
実は起業してから10年間、メルマガを書いていました。
読者数は約2万人くらいまで増えていました。
コンサルをしたり、メルマガを書いたり、結局自分は、
誰かに伝える仕事が好きなんだ
誰かの役に立ちたいんだ
たぶん、自分の経験をとおして、そう思ったんだ
と思うんです。
コンサルをしていて、一番幸せな時。
それは、クライアントが達成を笑顔で喜んでいる時。
最初の相談の時の、暗い顔とは別人のような笑顔が好きだ。
メルマガを書いていて、一番幸せだった時。
それは、「すごく心に響きました。」そんなメッセージが来た時。
私のちょっとした言葉が、誰かに役に立つなら、それは素直に嬉しい。
で、noteってのは、私が感じているのは、すごくここにはいろんな価値観があって、それをポジティブに認め合い、学び合い、応援し合うような文化があると思う。
それがすごい好き。
ここに書いてきたように、私は星の数ほどの挫折と失敗を繰り返してきた。
けど、これもすでに書いたように、それは特別なことだとは思っていない。
きっと、みんな、そうやって何かを抱えながら生きている。
でも、だからこそ、今、抱えている人に、私のちょっとした経験や言葉がお役に立つのなら、書くということには意味があると思う。
それが、私がnoteをやろうと思った理由なんです。
達成する価値を伝えたい
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
私がnoteに書ける分野は、経営やマーケティングコンサルの経験から「お仕事に役立つ知識」と、コーチングの経験から「達成させるコツ」の2つあります。
ほんと、良いことも苦しいことも、たくさん経験してきました。
幸いなことに、成功したこともいくつかある。
でも、成功した数はカウントできても、失敗の数は星の数ほどあってカウントできない。
でも、この記事に書いたように、その失敗があるからこそ、自分の仕事に価値を感じることができています。
もしかしたら、人よりも傷ついたかもしれない。
だから、痛みや悩みを理解して、伝えることができる。
もしかしたら、人よりも不器用な生き方をしてきたかもしれない。
だから、大切なポイントを丁寧に教えることができる。
私はクライアントと向き合う時、いつも伝えている言葉があります。
「必ず、価値があるからね。」
そう、あなたには価値がある。
だって、あなたと同じ人間は、この世にいないでしょう?
価値ってのは、他と違うから価値なんだから。
あなたには価値がある。きっと、私にも。
世の中には、いろ〜んな悩みがあるので、もちろん私が全部解決できるわけじゃない。
でも、noteを読んでくれる誰かに、私の言葉が少しでも届くなら。
私は、ここにメッセージを書いていこうと思っています。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
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私のnoteのテーマは「将来のために、今、何かを変えよう」です。 そのために、5分ほどで読めるさまざまな知識をご紹介しております。
迷ったら、上の記事からスタートしてください。
将来のために、今、何かを変えよう。
あなたの挑戦を、私は応援しています。
株式会社フレンドマーク
五十嵐
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