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【時に刻まれる愛:2-17】父への裏切り


その森の中にある小屋が、ボクの秘密基地だった。

小屋の中には、地球儀やら世界地図やら、幼い頃のボクが冒険心たっぷりに詰め込んだ物ばかり。

大人になった今振り返ってみると、それは偉大な実業家であった父の書斎の雰囲気を真似たものだった。

父の書斎は、秘密基地のようだった。城の3階にある。
豪華で綺麗に保たれている客室とは違い、父の書斎には本やメモ書きが自由に散らばっていた。

世界地図、地球儀、難しい科学の本、外国語で書かれたレポートの束・・・。

小さい頃、その部屋の様子はボクにとってはワクワクするものだった。
まるで探検家の秘密基地のようだったから。

だから、その雰囲気を真似したのだ。

幼く、まだ一人では何もできない子供だったからこそ、父のような大きな存在に憧れていた。だから、この小屋をボクだけの秘密基地にしたかったのだ。

でもそれは、今となっては、いくつかの嘘を伴う後悔の場所になってしまった。

もし、あの時知っていたら・・・。
父と過ごせる時間は、残り少ないと・・・。
母と一緒にいられる時間も限られていると・・・。

嘘をついたり、それを隠す必要など、どこにもなかった。

・・・でも、ボクは前に進もう。

四つ目の手紙にも書いてあったじゃないか。

しかし、お前は向き合え。
それが良い秘密なのか、悪い秘密なのか。
自分の過去と向き合うのだ。

続きはそれからだ。
しかし、お前はまもなく答えに辿り着くだろう。

負けるなよ、拓実。
父より。

そうだ、過去と向き合い、悪いことは悪いと認め、先へと進み、辿り着かなくては。自分の使命に。

ボクは、過去を乗り越えようとしていた。

深呼吸をしながら、小屋の中を見渡した。

すると、あるものが目に飛び込んできた。
先ほど調べた棚とは反対側の壁の隅に、小さな箱が置いてあるようなのだ。

おそらく、箱が置いてあるのだと思う。
・・・というのも、その箱らしき物体の上から布がざっと掛けてあるのだ。

「なんだっけ、これ・・・。」

ボクは思い出せそうな、いや、その記憶に近づいてはいけないような・・・、なんとも言えない感覚になっていた。

少しずつ、怪しい闇がボクの周りに近づくような雰囲気を感じつつ、ボクはその布を取り去った。

やはりそこには、古い箱があった。

「これは、なんだっけなぁ・・・。」

まるで、ホースの出口で水が詰まっているように、あと少しで溢れてきそうな記憶の存在を、ボクは自分の中に感じていた。

盗人

ボクは、恐る恐る、その箱を開けた。
その箱の蓋は、いともかんたんに開いた。

ガラン・・・。

箱の蓋が開く音が、小屋の外の森まで響いた気がした。

中には、昔ボクが書いた何枚かのレポート用紙のようなものが入っていた。

まだ子供の字で、何かが書いてある。何かが・・・。

ボクは、静かにその紙を手にした。

そっと、あの頃の自分が書いた内容に目を通す。

「はぁ・・・。
 あぁ、なんてことを・・・。」

ボクは崩れ落ちた。

紙に書かれた内容は、父の研究記録の写しだった。

おそらくその時のボクは何も深く考えずに、ただ父への憧れだけで、父の記録を写してみたのだろう。

もちろん、幾つもの企業を経営し、大きな責任を背負っていた父の研究記録を無断で写すことなど言語道断だ。

それだけでも大変なことをしてしまったというのに、その紙に書かれていたある文字が、その罪の大きさを物語っていた。

「hope・・・。」

過ち

「hope・・・。
 そう書いてあるじゃないか。
 あぁ、なんてことを・・・。」

hope。人類から死の悲しみを消し去る薬。
これがあれば、自己治癒力が格段に上がり、どんな病気を抱えていても、細胞レベルで完治に向かうことができるという、人類の悲願とも言える薬だった。

そして、このhopeの開発こそが、父がde・hat社に消された直接的な原因にもなった。

この一件、そう、たったこの一つの出来事が、父を、母を、ボクを、この城を、そこにつながる全ての人を・・・、大きく変えてしまったのだ。

それなのに、子供心だったとはいえ、そこに軽々しく書かれた父の研究記録の写しは、あまりに大きな過ちだった。

父への憧れ。きっと、ただそれだけの思いで、父の書斎などから記録を写してみたのだろう。

大人が書いた文字を、子供が真似をするのはよくあることだ。
でも、このケースはそうは片付けられない。

自分が許せない。何を考えていたんだ。
いや、その頃のボクには、そんなことは分かるはずもない。
仕方がなかったのだ。
いや、そんなことでは許されない・・・。

自分を責める心と、自分を守る心が、激しくボクの中で対峙していた。

幸い、レポート用紙に全て目を通しみても、hopeの研究の重要な内容部分は含まれていなかった。

ボクが写してしまったのは、hopeの初期構想の部分で、研究の目的や素案といった部分だった。

父も、研究開発の本当に重要な部分は、誰かにすぐに見つかってしまうようなところには保管していなかったのだろう。

おそらくは、父の会社で厳重に管理されていたのだと想像ができる。

ただ、そういうことではない・・・。

父や母の言い付けを破り、一人で森に秘密基地を作ったこと。
学業の悪い側面を、父や母に隠していたこと。
それらを、ついに今日まで、打ち明けられなかったこと。

さらには、ボクらの人生を大きく変えた重大な資料を、子供心とはいえ、父に無断で写し、こんなところに無防備に放置してしまっていたこと。

一歩間違えば、どれほどの危険があったか。

もしボクが写したのが、父の研究の重要な内容部分そのものだったら・・・。

もしこの隠れ家を、何かの形でde・hat社の人間が見つけていたら・・・。

父が、その命を引き換えに守ったボクや母も、消されていたかもしれないじゃないか。

「はぁ、なんてことを・・・。
 ボクは、なんてことを・・・。」

人生とは不思議なものだ。

ある一つの出来事が、突然に大きなリスクになったりする。
また、ある一つの出来事のおかげで、そのリスクが結果的に無くなったりもする。

世の中は、どうにもできないほど不安定だ。
やはり、世の中には、変えられないものがあるのだろうか。

ボクらは、運に身を委ねて、ただ時の渦の中に巻き込まれているだけなのだろうか。

幼い文字で書かれたレポート用紙の束を握りしめながら、ボクはしばらく動けずにいた。


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