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【時に刻まれる愛:1-6】バースデーイブ

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20歳を前に

その日、大学から家に帰ると、いつにも増して家の中が綺麗だった。

キッチンからは何やら良い匂いがしてくる。

「爺や・・・。」

そう照れ笑いしながら、ボクは爺やに、ただいまと言った。

『おかえりなさいませ、坊っちゃま。
 今日は、特別なディナーですぞ!』

今日の爺やは、いつになく張り切っている。

朝、出かける前にも張り切っていたから、その意味はボクにもわかっていた。

そう、明日はボクの20歳の誕生日だ。
10代最後の日ということで、爺やは1日早く、お祝いをしたかったのだろう。

自分でも感慨深いところはあるのだが、爺やの張り切り方に、少し圧倒されていた。

ボクは食卓に付いた。

『それでは・・・』

爺やはそういうと、次々に料理を運んでくる。

父のおかげで裕福に育ったボクだったが、ここまで豪華な料理はなかなか見ないというくらいだった。

「爺や、これ全部作ったの?」

ボクはとにかく圧倒されながら聞いた。

『えぇ、もちろんですとも!

 坊っちゃまの、
 特別なバースデーイブですから!』

爺やは満面の笑みでそう答えながら、いつものように手際よく夕食の準備をしていく。

あっという間に、まるで晩餐会のような豪華なテーブルになった。

『これで、良いですな・・・。』

爺やは、そう前置きすると、自分も食卓に付いた。

こうして爺やと二人で食事をするようになって、10年が経つ。

そう、de・hat社に父を奪われ、今の家に移り住み、母が入院生活に入ってから、10年間が経っていた。

『坊っちゃま、
 明日で20歳でございますね。

 本当におめでとうございます。

 お辛い思いも、
 お寂しい思いもされましたのに、
 立派に育たれて、、、。

 私は、、、。』

そこまで言うと、爺やは突然立ち上がり、わざとらしく思い出したかのように、キッチンに水を取りに行った。

賢くて、器用で、涙もろい爺やと、父の隠れ家に住んで10年。

たしかに、いろんなことがあった。

大好きだった父が突然いなくなり、絶望し、毎日が灰色に見えて、小学校に馴染めない日々もあった。

唯一の心の支えだった母が、不治の病に倒れ、入院生活に入り、孤独のどん底を味わったこともあった。

母の元へは今も定期的に見舞いに行くが、病室にいれば心配はなさそうだ。
家で寝込んでいた時よりも、ずいぶんと元気な様子なのだ。
ただ、体の筋肉が少しずつ弱ってしまう病気なので、家での生活には戻らず、ボクが病院へと定期的に通う生活がずっと続いている。

そうだ、この20年間、

守られる幸せも、失う悲しさも、家族の愛も、会えない寂しさも、とびきりの喜びも、これ以上ない孤独も・・・

・・・いろいろ、経験したな。

そんなことを思いながら、ふと窓に目をやると、そこにはすっかり大人になったボクの姿が映っていた。

ボクは立ち上がり、キッチンにいる爺やのところへ、そっと近づいた。

「ねぇ、爺や。
 本当にありがとう。
 今までのことも。全部。

 いつも、爺やが近くにいてくれたからだよ。
 明日からボクは20歳だけど、
 何かが変わるわけじゃない。

 これからも、よろしくね。」

この20年間のことを思い出しながら、爺やにそう言った自分の言葉で、ボクは大人への扉を開いた気がした。

爺やは涙声で答えた。

『こちらこそ、ありがとうございます。
 
 おっしゃるように、
 明日、何かが
 変わるわけではございません。

 拓実坊っちゃまは、
 もう、変わられました。

 立派な大人になられました。

 本当に嬉しく思います。
 ありがとうございます。』

あんなに豪華なテーブルを用意したのに、ボクらはしばらくキッチンで一緒に泣いていた。

良い時間だった。

世界を変えろ

父の言葉を、今でもたまに思い出す。

『拓実。世の中には、変えられないものがあると思うかい?』

『世界を変えろ、拓実。』

父は、開発した薬で、死の悲しみのない世界を作るはずだった。
de・hat社に奪われるまでは。

父の薬があれば、母の病気だって治せたのだろう。
開発した薬は、どんな病気でも、細胞レベルで回復する薬だったのだから。

でも、父はもういない。
母の病も治らずにいる。

こうした事実は変えられないのだろう。

やはり、世の中には変えられないものがあるのだろうか。

答えは出ない。

聡明な父も、同じ疑問を持ち続けていたのだろうか。

だからあの時、ボクに質問したのだろうか。

やはり、答えは出ない。

でも、それでも、今のボクにはわかっていることもある。

世の中には、変えられるものもある。

悲しみのどん底で、まるで時が止まったかのような人生だったボクでも、こうして、前に進むことができた。

世の中には、変えられないものもあるのかもしれない。

でも、世の中には、変えられるものだってある。

それが、今のボクの答えだった。

爺やの告白

夕食の後、爺やが書物庫へと誘った。

湖のほとりに、ひっそりと建つボクらの家には、本を保管する専用の部屋があった。

父の家にも大量の本があったが、この20年で、ボクも負けないくらい本を取り寄せた。

書物庫の一番奥には、父の家から持ってきた本だけを並べた本棚がある。

そこの前で、爺やは突然、真剣な顔をした。

「どうしたの?」と、ボクが言いかけたところで、爺やが口を開いた。

『実は、お父上から、
 ことづかったことがございます。

 拓実坊っちゃまの20歳の誕生日の前夜、
 これを渡すように、と。』

そう言うと、爺やは、父の本棚の中にある、あまり目立たない古い本を指さした。

ボクはてっきり、その本をボクに渡すのかと思ったが、違った。

爺やは、その古い本を取り出すと、その奥にある何かボタンのようなものを押した。

すると、、、

ゴゴゴゴゴ、、、。ガチャン、、、。

と、何かが動き、
鍵が開くような音が響いた。

それから爺やは、ボクに言った。

『どうぞ、この本棚を奥に押してみてください。』

ボクは、本棚にそっと手をかけた。

力を入れたか入れていないかくらいで、本棚全体がドアのように奥に開き、一度も見たことのない隠し部屋が現れた。

物置きと呼ぶには広いが、書斎と呼ぶには狭いくらいの部屋だった。

「へぇ、知らなかったよ。
 これは驚いたな。」

ボクは呆気に取られて、思ったことを口にした。

爺やは、かしこまったように言った。

『19歳最後の日に、
 ここに案内せよと
 お父上から命ぜられました。

 それは、
 de・hat社の件があって、
 こちらの家に
 坊っちゃまたちを移すと決めた
 少し後のことでした。

 きっと、
 あの時にはもう、
 お父上は、
 ご自身の身に迫る危険を
 わかっておられたのでしょう。』

「ふ〜ん」と、ボクはうわのそらだった。

初めて見るその部屋の様子の方が気になっていたのだ。

その秘密部屋は、初めて見るのに、どこか懐かしい雰囲気だった。

父の家の、父の書斎に雰囲気が似ていたのだ。

広さは比べ物にもならないが、雰囲気がとても似ていたのだ。

黒い宝箱

その秘密部屋には、ボクの写真がたくさん飾ってあった。

父とボク。
ボクと母。
父と、母と、ボク。

懐かしかった。

あまりの驚きに、「へぇ〜。」という言葉しか出てこなかったが、ゆっくりと部屋に飾られた思い出たちを見て行った。

その時、足に何かが当たった。

ふと見ると、それは黒い宝箱のようなものだった。
かなり古い箱だ。

「爺や、これは?」

勝手に開けて良いのかも分からず、ボクは聞いた。

『えぇ、それこそがお父上からの贈り物です。』

ボクは突然、少しだけ怖くなった。

ドキドキしながら、ボクはその箱を開けた。

その古い箱の中身も、見るからに古い品物だった。

中には、何枚も重ねられた分厚い書類が入っていた。

今度はボクは、爺やに聞かずにそれを手にした。

書類に目を通すと、すぐにそれが何であるか分かった。

「爺や・・・これって、
 お父さんの家の権利書だよね。」

爺やは静かに『えぇ、そうです。』と答えた。

この部屋を案内した時から、爺やはずっとかしこまっている。

普段、ボクの親代わりをしてくれている優しい老人の顔ではなく、父に仕えた優秀な執事としての顔だった。

爺やのこんな顔を見るのも、久しぶりだ。

ボクは、ゴクリと唾を呑んだ。

「それで、、、
 これを、どうしたら良いのかな?」

爺やのかしこまった様子に、ボクも緊張しながら聞いた。

『拓実坊っちゃま。

 お父上は、
 拓実坊っちゃまが
 20歳になられましたら、
 ご自身の土地と邸宅の権利を
 拓実坊っちゃまに渡すようにと、
 私に命ぜられました。』

言葉が出なかった。

意味をすぐに理解できない。

箱を開けるのにしゃがんだまま、ボクは動けずにいた。

父の家は、海の見える丘の上に立つ、城のような邸宅だ。

そう、ボクが大好きだった、あの家。

幾多の思い出が、一瞬のうちに蘇ってくる。

小さい頃の幸せな記憶。
父を失う悪夢。
戻りたいのに、戻れない日々。

いろいろな記憶と感情が、白波を立ててボクの中を行ったり来たりする。

ボクは、その分厚い書類を持ったまま、何も言わずに立ち上がった。

爺やに何かを相談しようと思った時、

カラン、、、

と、何かが書類の隙間から落ちた。

鍵だ。

ボクの頭を、何かが貫いた。

その特徴のある形は、思い出すのに一瞬の時も必要なかった。

父の家の鍵だった。

ボクは、少し間を置いて爺やに言った。

「爺や、今日は本当にありがとう。

 本当に、嬉しかったよ。
 この部屋のこともね。

 けど、ちょっと今は
 一人で考えたいんだ。」

ボクは、このバースデーイブにたくさんの気遣いをしてくれた爺やに、余計な心配をさせないように心がけて言ったつもりだった。

でも、きっと、ボクが複雑な気持ちになることは、爺やには最初から分かっていたのだろう。

爺やは、優秀な執事の顔をしたまま、丁寧に返事をしてくれた。

『かしこまりました。

 何かございましたら、
 いつでもお声掛けくださいませ。』

それから爺やは立ち去る前に、こう言い直した。

『本当に、ご立派になられました。
 おめでとうございます。心から。』

ボクは静かに微笑み返した。

それからボクは、書類と鍵を持ったまま、しばらく秘密部屋に飾られた父との写真を眺めていた。

「分かったよ、お父さん。
 ありがとう。」

そう呟くと、ボクは秘密部屋を後にした。

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