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春を待つ

どうやら、もうすぐ「彼」が帰ってくるらしい。100日前から張り切ってカウントダウンをしておいてなんだけど、まるで実感がない。振り返れば、短かったようにも感じられる21ヶ月も、実在するのか不安になるほどには長かったらしい。

今から書いてみるのは今の私の心の中にある気持ちで、ひどく感情的で読みにくいものだと思う。整理しきれていない本棚を誰かに見せるような気恥しさと誰かが見つけて読んで欲しいという小さな期待に身を任せ、この時の私が感じていることを少し書いてみることにしたい。



彼は春のような人だ。

初めてのソロアルバムを出した季節も、彼の誕生日も春だ。春のような柔らかなピンクがよく似合い、小さな花が咲いたように笑う。彼を好きになってからあんなに嫌いだったピンクが好きになった。なぜか親から与えられる物がピンクばかりで、自分で選ぶことができるようになってからは意識的に避けていたし、自分らしさが女らしさに変換されてしまうようで好きだと認めたくなかった。けれど、ピンクが似合う人は性別なんて飛び越えてしまうのだと知れたことが自分の中ですごく大きかった。彼を好きになって好きなものが増えた。好きなものを大声で好きだと言えるようになった。それがどうしようもなく嬉しい。

春は出会いと別れが交差する季節だ。彼は時折、永遠に感じられる時間にもいつか別れが来ることのすべてを知っているような顔をする。諦めとも悲しみとも違う不思議な顔。きっと彼は永遠の終着点にあるものを見たことがある。それでいて永遠を語る口調はいつも力強い。彼という存在はわかりやすいようで、いつも届かない。

少し話がそれるが、彼が最後のコンサートでこの「永遠」という言葉を使ってから、アイドルとファンにおける「永遠」って何だろうかと、自分なりに二年弱、残された大きな宿題のように考えた。そしていま私の中には一つの答えがある。

私たちにとっての永遠は、

「誰かの人生の一部になるということ」だと思う。

誰かの人生の中でその存在が意味を持ち続けるということだと思う。

初雪が来ると첫눈が聞きたくなるとか、掃除をしているときに無意識に曲を口ずさんでしまうとか人生の中にその存在が溶け込んでいくことだ。

楽しかった記憶としてコンサートに行ったあの日が、0時ピッタリにティザーが出るからと眠い目を擦りながら、夜更かしした夜が残ることだ。

지쳐버리는 그날이 오면 기억해 Babe 아름다웠던 우릴 
疲れ果てたその時が来たら思い出して 美しかった僕達を

EXO「POWER」より

POWERという歌の中で彼が歌うように、そんな日々が過ぎ去った後も、暖かく、意味もなく胸が締め付けられる春の夜のような記憶として、人生とともにあり続ければ、それはある意味での永遠なのだろう。

どうかEXOにはこれからも記録だけではなくて、記憶に残るアイドルであって欲しい。そして、彼らにとってもアイドルだった日々が良い記憶として残ってくれたら、もっと嬉しい。


アイドルは基本的に「待つ」職業だ。

アイドルがデビューしてからステージを降りるまで、彼らの人生はそこにある。そしてその人生を通り過ぎていくのは、ファンの人生だ。学生時代、就活、結婚、育児など、様々な時期に彼らと出会い、そしてライフステージやそれに伴う気持ちの変化によって離れていく。ファンダムの形は常に形を変え、人気もこれによって上下していく。人気が出ることよりも、人気を維持することの方がより大変なのはこれが理由の一つなのだろう。アイドルはより良いパフォーマンスをして、自分のファンが戻ってきてくれることや画面を通して新しいファンが自分と出会ってくれることを「待つこと」しかできない。一人一人の人生には直接介入していくことは難しい。ファンは一方的に見つけ、一方的に離れていく。この非対称性がどうしようもなく切ない。「離れないで」と言っても、本当にどれだけの人が離れずに応援してくれたのかを確かめるすべはない。だからこそ、この兵役という期間は、ファン側が「待ってたよ」と言える大切な機会だ。だから、「待ってた」という言葉の甘美な響きをいつまでも飴玉のように転がしていたいような気がするのだ。

待っている間、常に、私の脳内にあった言葉は「待っている間も幸せならそれは愛だ」という言葉。何度も、何度も脳内で咀嚼した。この言葉が発せられてから、彼を待つ間も私は幸せでいなければならなくなった。それは世界一幸せな呪いのようなものだ。実際、彼を待つ間、常に私が幸せだったかと聞かれると素直にうなずくことは難しい。自分自身、人生の節目を迎え、新生活をスタートさせ、慣れない環境の中で大きなストレスの中、生活していた。2021年には彼のいないEXOの活動を初めて目の当たりにし、作品自体が最高であればあるほど、寂しくて仕方なかった。

彼の眼には自分のいないEXOがどう映っただろうかなんて果てしないことを考えてみる。除隊後のステージで自分が踊っている姿を想像しただろうか。案外、自分のグループを客観視できるいい機会だとポジティブにとらえているような気もしてくる。けれどやはり、少しだけ不安で眠れない夜があったんじゃないかと無駄な心配の1つでもしたくなる。

こうして彼のことを考えながら、思考の海を漂っているとき、いつも陽だまりの中にいるような気持ちになる。胸に温かいものが広がって、自分一人では届かない感情に手が届く。たぶんこれは幸せという感情なんだと思う。1年9ヶ月、ちゃんと待ってたよ、待ってる間も幸せだった。

そうして、もうすぐ春がやってくる。
彼が春を連れて、帰ってくる。彼との別れでちょっぴりブルーな春を綺麗な再会のピンクで塗り替えてくれるはずだ。

人生の春はまだ長い。
どうか、彼がこれからも夢を見続けられますように。
これからの彼の人生が、彼のように素晴らしいものでありますように。

最後にこんな駄文を最後まで読んでいただいた貴方にも幸運が訪れますように。

2022年2月某日 金曜日


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