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SU:HOME 探訪記


スホちゃんのソロコンサートは、私にとって特別な意味を持つコンサートである。

日本で1日限りで行われたソロコンサート。ずっと忘れられない経験として心に残っている。

誇張表現じゃなく、スホペンと会う度に2022年10月1日の話になる。

あの日は天気が良くて、半袖になりたいくらい暑かったこと。近くにあるミルクティー屋さんのミルクティーが美味しかったこと。東京体育館に併設されたoasisという名前のレストラン。あの日、初めて会ったスホペン。なぜか怪我をしていたいつものスホペン。リハの音漏れでラミライが聞こえて震え上がった時。会場に入った時見えたあの景色。スホちゃんが歌った残酷な天使のテーゼの歌詞のこと。スホちゃんがEXOを背負って、あの日ステージの上に立っていたこと。会場内の全員が自分をずっと見ていることを不思議がっていたこと。夜公演のはじめに「もう一度やります」と言った時の真剣なまなざし。かわいすぎるバンドメンバー紹介。

スホちゃんにあの日あげられなかった歓声のことを思う。クラッパーもなく、本当に己の手のひらが赤く腫れ上がろうと気にせず、おもちゃのサルみたいに叩きまくったあの日。アンコールで、スクリーンに歌詞の和訳が映し出された made in you。本当は一緒に歌いたかったな。あの曲は、愛の挨拶の歌だと思うから。双方向で歌い合うことで、あの曲は完成するのだと思う。

「あの日」は、円盤にもならず、コロナの影響で無歓声公演だった。

形として残っていないものが多すぎるから、私の中での思い出の体積がどんどん増しているのかもしれない。

私たちはあの日、何ができて、何ができなかったんだろうと振り返る。

ありもしない「もし」を想像する。

スホちゃんを応援していると、「与えられる人」と「与える人」の境界線がだいぶ曖昧になるような気がする。

後悔に似ていて、でもスホちゃんのくれた感情を後悔とは呼びたくなくて、それは名前がつかないままずっと心の中にあった。

感情が折り重なり、スホちゃんのソロコンサートは「特別」なものになっていった。

そうして約二年経って、ソロコンサートが決まった時、めちゃくちゃうれしかった。

それと同時に、何が何でも「行かなくてはいけない」と思った。

やっとあの日にもらった宿題を提出できる気がした。

それと同時に、身を削りながら準備をする彼がすごく心配になった。

彼のことを時々「生き急いでいる」と思う。
やりたいこと、やらなければいけないこと、その「すべて」をつかもうとするから。
自分のやりたいことで苦しんでいる彼を見ているのは苦しい。それでも、それが彼なのだとも思う。

すべてのことに愚直に正面からぶつかっていくのが、私から見える「彼」なのだ。



今回のライブタイトルは
「Welcome  to SU:HOME」

SUHOとHOMEをかけたユーモアがとっても「彼らしい」タイトルだ。

今回も、コンサートタイトル以外にも、「彼らしさ」が詰め込まれたステージだったように思う。

特に、衣装のことは忘れられない。グレーのジャケット衣装は2つの異なるジャケットが組み合わされているものだ。つまり袖であったところがある時には装飾としても機能するというもので、上下という感覚が薄い宇宙にはピッタリのジャケットだ。スホちゃんはいつも私の上に浮かぶ固定観念を叩き割る。

他にも、
お家に見立てられたステージは3階建てだったり

Siriがスホちゃんのジャケットを出してくれる演出があったり

その時にもともと着ていたジャケットをその辺にポイっとしていたり

数曲前に抱きしめていたはずのコットニのクッションをおしりで踏み潰していたりと

オシャレや新しいものが好きで、真面目で、ひとさじの適当さが愛らしい「彼らしさ」で包まれたステージだった。


CheeseのMVのように、ファッションやアート、好きな食べ物、ブリティッシュロックなど、スホちゃんの好きなものを両手にあふれんばかりに握りしめてこっち側にそっと見せてくれるところ、その無邪気さの純度の高さがいつも確かさをもって提示されるところがやっぱり大好きだと思う。


2年前と比べて変わっていたところもたくさんあった。

まず、ソロアーティストとしての「余裕」。
日本ソロコンでの「みんなが僕だけを見ていますね…?」と言っていたように、客席の視線が自分に集中していることに不思議がることもなく、自分のペースで話したいことを話して、緊張よりもリラックスした雰囲気から、彼の踏んだステージの場数と観客への信頼を感じた。

そして、ステージは見せるものではなく、共に作るものという意識を感じた。
音楽は「音」を「楽しむ」と書くが、今回のステージではバンドメンバーを率いながらも、彼らの音楽に身を委ね、ステージの上で飛び跳ね、客席の間を走り、全身で音楽のエネルギーを感じていた。スイッチの入るタイミングがいつも予測できないところも彼だと思う。

bubbleで明日は「これとこれを一緒に歌って欲しい!」と所望していたり、MCでC&Rの練習をして「ベッキョンはこれが楽しいんだなあ…」と満足げな表情を浮かべる姿。ファンに対して、こうして欲しいという要望を口にしてくれることもまた信頼を感じて嬉しかった。

2つ目に、彼の表現の広がり。
今回のコンサートで初めて彼はギターを持った。慎重に一音一音奏でる彼のギターは、歪ませながら奏でられ、まるで心の叫びのようだった。

12年目からの新たな表現が見れることが、本当に本当にうれしい。
新しい表現の世界が生まれる瞬間に立ち会うことが出来てうれしい。

音楽が彼によって彼になっていくことを考えた。そして、まだまだ広がっていく彼の世界のことを考えた。

何より、挑戦と前進をやめないその姿勢のおかげで、また新しい彼に会うことが出来たことを誇りに思う。


次に、変わらなかった部分の話である。

彼の舞台に対する「こだわり」。
日本ソロコンで話していた、CurtainとStarry Nightの有機的な繋がりやスクリーンに歌詞を表示する曲、セットリストの組み方からも、彼の「こだわり」が伝わってきた。伝えたいこと、表現したいことをステージをキャンバスのように使って、思う存分表現していた。

そして、EXOであることへの矜持。
今回も「We are one!」という挨拶からコンサートは始まった。EXOメドレーはロックアレンジを加えられながら、コンサートの終盤に置かれた。彼のキャリアの0地点であるEXOを大切にしてくれていることが伝わってきた。

彼のこだわりや矜持はステージに対する誠実さと言い換えることができる。
ステージに対する彼の誠実さが心に染みた。

スホバンドのベーシストのイジェさんのコメントの中で「彼は挑戦的な人だから、どうにかしてサポートしてあげたいと思った」という話があった。一生懸命で誠実な彼だからこそ、周りにいる人たちも、何かしてあげたいと思うのだなと腑に落ちた。彼のリーダーシップの根っこにあるものはそのような言葉にするとやけに平べったい「人望」なのだと思った。


スホちゃんの中にある矛盾が好きだ。
自信たっぷりに語ったと思ったら、「冗談ですよ」と笑う。
自己愛や自信と不安がゆらめく彼が好きだ。

まったくをもって不安定であるけれど、まっすぐ生きている証であると思う。

「記録に残るものが好き」という話をしていたけど、音楽も今の彼を映す鏡として機能していると思う。新たな自分に出会う前の感謝と愛とさみしさを歌うself-portrait、歌手活動から離れている時の空虚さを落とし込んだGreySuit、そしてまた新たな次元の旅への旅立ちである1 to 3。彼のその時々の感情を映すように歌われた曲たちが、コンサートの中で再構築されていく。

今回のコンサートを通して、彼自身から逃げない表現者であるところが心から好きだなと強く思う。

彼の曲はずっと「彼」の話をしている。宇宙や時間の話をしながらも、そこと対比された自分という視点を失わないのが彼の曲であり、パフォーマンスである。

音楽を聴くと、はっきりと彼のシルエットが浮かぶ。深刻でポジティブでスキップで宇宙を駆けていく、めくるめく彼の表情が浮かぶところがやっぱり好きだなと思う。

Hurdleの最後のサビの前に、クラウチングスタートで、駆けていく背中を見た。

びっくりするほど、孤独で華やかで自由だった。

口の中に入りそうなほど容赦のない紙吹雪の中で、君は跳ねて、歌い、サングラスを気にして、少し下げる。また跳ねて、おもむろに外して。そして歌う。

自由だ、と思った。

自由は誰かに決められるものではなく、自分が選ぶもの。そんな確かさを纏っていて。

その力強さを見たとある春の日。




P.S. スホちゃんは「形に残すことが好き」と言っていたけれど、私もこの気持ちをどうにか残したくてこの形で残すことにする。感想文をnoteに書こうかなって友達に言ったら、「データは信用ならないから紙で持っとけ。」と言われたのだけれど、ワンクリックで消せるデータより、燃えたら何も無くなる紙より、軽く1億年くらい残したいから、石とかに刻もうかな。


うまいもも(スホちゃんのこと)


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