毎日が楽しくて仕方がない,そんな日々が本当にあり得るのだろうか.3

2に引き続き.

https://note.com/freudig/n/n73cfafe7db58

2では「外なる赦す目」という概念を発見したのだけれど.それに至る過程で,若かりし頃のことをいくつか思い出した.例えば締切りが迫った時,何かを切り捨てることによって力を得る,というような力の出し方をよくしていたと思う.例えば会いたい人に会わないことにしたんだからその分頑張る,というような.ロケットがごみを後ろに発射することで加速する,というようなイメージだった.常に都合よく捨てられるものがある訳でもないし,そういう力の出し方はどこか豊かでないと感じていた.「内燃エネルギーで空を飛びたい」とよく思っていた.でもそれがどうやったらできるのか皆目見当がついていなかった.平坦な言葉で言えば,楽しいからやる,というように動けるようになりたいということだったんだけど,どうしたら楽しいからやる,ができるのかよくわからなかったのだ.

今もわかった訳じゃないのだけれど,些細なことで自分から楽しくできることはある.興味を持ったことを調べたり,文章を書いたり,何かのシステムを考えたり.自分の頭で考えて,自分で動かせる,という感じが,大事だと思う.コントローラビリティ.仕事は他者が関わるので,振り回されることもかなり多いのが,やる気を削ぐことがあるけれど,自分の力で動かしている感触を増やしていく方がいいように思う.それは時間に関しても多分同じで,例えば期限より前に行動が終わらせていると(例えば約束の5分前に到着する)気持ちに余裕ができて振り回されづらくなる.時間に追われるんじゃなくて,自分の時間をコントロールする.朝早く起きた時など,妙に色々片付けられるのはその所為もあるのかもしれない.

「内燃エネルギーで飛ぶ」ことは,実は意外にそういう些細に見えることの積み重ねであるのかもしれない.



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