在外で生きるということ
辻仁成氏のフランス語力の低さ,にも関わらず在仏だというだけでフランスのことがわかっているかのような発言に,在仏日本人は怒っている.気持ちはとてもよくわかる.グレイな差別的発言を,誤訳によって吊し上げられるのはよくないという正義感から擁護したくなるのはわかるのだが,自分自身がフランス語がかなりできず,自分の解釈も間違えているかもしれない,にも関わらずフランスを代表するような発言をするのは,他の在外外国人に迷惑をかける,ということがわかっていなかったんだろう.初動の動機はわからなくもないが,せめてその後,自分のフランス語力不足でした,差別的要素もある「かもしれません」程度の謝罪はしてほしい.
在欧で生きていればアジア人差別を受けたことがない人の方が少ないだろう.自分はアジア人差別を受けたことがない,差別は受けたと感じたら負けなのだ,とかいう精神論も,自動的に差別を受けてしまう弱い立場の人間の生き方としては一つの選択肢だと思うが,影響力があり,あたかも「フランスにはアジア人差別がない」と伝わってしまうのは,本人の意図と違うとは言え,短慮だろう.日本人が自分達への差別を認識できないということは,差別を受けて傷つく人を貶め,最終的には差別を助長することになる.
ぶっちゃけ,言葉を生業にして生きている筈の人が,ここまで鈍感なの,本当にどうなの?と個人的には思うけれども,それはさておき.
外国に住んでいたらその国の言葉を話せなくてはいけないのか.それはそうとは限らないと思う.辻仁成氏がフランス語ができないことは,責められる必要はない.たとえ,その国の言葉ができなくても,そこに住む権利はある.言葉がわからなければ,その国の文化でもわからないことが圧倒的に増えるし,生活も不便になる.できることも圧倒的に限られる.それでもそこで生きてもいい.彼の息子はハンディを負うことになるが,それでもそのことで強くなれるかもしれない.何がマイナスかというのは,その後の生き方で決まることだ.
単純に,実際にアジア人差別はあるし,言語のハンディキャップもある.アジア人を差別しない欧州人も勿論沢山いる.その上で,そのマイナスをどのように受け止めて跳ね返して自分が生きていくか,が問題である.個人の範囲では,見ないことにするのも一つではあるけれど.
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