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黒化したままの人

久しぶりに体の中でぐるぐるめぐるものが出てきた。
先日舞台を見た。


イプセンの舞台は初。


イプセンが原作。今までイプセンは難しいというイメージがあり、なんとなくさせていたのだが、出てくる俳優さんが好きなので挑戦してみようかという気になった。結果、森田さん(主演)と三浦さん(ヒロイン)の掛け合いがとんでもなかった。

見てびっくりした。まず設定が水に囲まれた小さな小島の屋敷。そこで繰り広げられる心理描写がえげつなく、ヒロインから放たれるむき出しの感情と主演の冷たい石のような表情とたたずまいの対比。
女性側からは自由や温かみ、熱さがもたらされ、徐々に主人公が今まで体験してこなかったものを感じ始める。そこにはとても深いトリックも含まれているのだが。

作者イプセンはフロイト以前の人


イプセンがこの物語を書いたのは、フロイトが出現する前になる。フロイトがよく言うes/イド(本能的欲求・衝動的欲求)と主人公の牧師という設定との対比がヒロインと主人公の対比となり、くらくらする場面がいくつもありました。とんでもないモノをイプセンは心理学というものが成立する以前より描き切っていてものすごく震えました。

黒化する姿、そこから思うこと(身体)


ここからは私がそれを見て思った感想。
思い続けて実行しないとそのこと(思い)が自分の中で石となり黒化してなかなか体の中から出ていかなくなる。表情が固定化したり体が硬くなったりするのだ。

黒化したならば、化学変化を起こすにはアニマとアニムス(対立するもの)を統合し、現実との折り合いをつけながら実行に移していくことが自らの内から要求されてきます。要は固くなったものを柔らかく自由にしてみたいと思う欲求。

うまく付き合い、ガス抜き、もしくは具現化に向けて動くことで、身体も活性化し現実化もスムースになっていく。

錬金術は魂の成長を意味する。魂を錬金、すなわちたたいて壊して別のものにしていく。具現化のプロセスとも似ている。これをしないと、自分を生きるということにはならない。

自分なりの身体=個性化=具現化、ということ。
形を練っていく、実現化していくという力を養うこと、それは実行/行動をすることで養われていく。

思考、ということはとても大事だが、そこには種が埋まっているだけで実行/行動しないことには発芽しない。ただ思考というエネルギーもかなり強い(種)ものなので埋まってしまうとかなり心身にダメージを伴う。

トライ&エラーを繰り返す。これにより工夫しながら形を作り整えていくことができる。

まずは気づくことから始まり、形にとらわれず自分を作り上げていくこと。そのためには種を育てていくこと=動くこと、が必要だなと思った。

舞台を見て、主人公のロスメルが型にはまる(牧師、家系、しきたり、土地)様子や笑うことがない(表情が硬い)ことからそう思った。

一方で自分はどうだろう。
自分は動けるが、形にするのが難しい。
気付いて思考したが、具現化が難しい。
気付く、思いはあるが、言葉になっていない。
動け、伝えろ、形にしろ。




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