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死者とコミュニケーション

昨年亡くなった母から時々、夢を介してコンタクトがある。お知らせ、という感じかもしれない。こういうやり方もあるのか、と実感することがしばし。私がそういう体質だからかもしれないということもあるし、母からしたら自分の遺伝子を引き継いだ「器」としての性をもった生き物だからかもしれないとも思ったりもする。

やり残しを果たすため

母が亡くなる約一か月前、多量出血のためもうダメかもしれないという時期に私の夢に出てきた母。

私の体の左側に小さい母が横たわっている。実際の体のサイズの二分の一くらいといったところだろうか。小さな体は私のオーラの中に入り込み、私のオレンジ色の身体に包み込まれてすっかり調子を取り戻している。すやすやと眠っているようであった。
まるで、私の身体を使って滋養を高めているような。

オーラソーマを学んだことのある人はよくわかると思うが、上下オレンジのボトル、ハンプティダンプティを思い出すといい。使い方としてはエーテルのギャップを修正し、癒すというようなもの。そして、ショック状態からの回復、というものもある。左半身に主にできるといわれている、エーテル身体の裂け目を修復するともいわれる。実際の夢では、私の左側にできた裂け目に母が埋まって自らを修復していくという作業をしていた。

この夢を見ながら、あれ、お母さん私を使ってやりたいことを遂げてから逝こう(移行)とするんだ、と悟った。

面白いことに、この夢を見た翌日、父から回復したので2.3日で退院するとの連絡があった。病は完治することはないが、(ここ数年は入退院を繰り返していた)退院することができるまで一気に回復したようである。まったく、こういう時に限って私を使うのか。。。とも思ったが、この所業を私にするのも面白いし、体験させてくれたのかとも思った。

この夢を見た約1か月後に母は肉体を離れた。が、私にはこの夢の体験が生々しく残り、自分自身が回復するまでしばらく時間がかかった。肉体をいやし、心をいやす作業を時間をかけて行うことに取り組んだ。夢について深く知りたいと思い、その導き手になるような方のもとで勉強させていただくことになっていった。

今の状態を伝えるため

私と違って母は物をすぐ捨てるヒトで、遺品(モノ)といわれるものがほとんどなかった。片付けもあっという間に終わってしまった。(一方で、金融資産というものはなかなか片付けるのに時間が必要…あれはどうにかならないものか…)
子供時代の写真はほぼ無く、田舎から東京に出てきてからの写真が少し出てきたくらいであまり足跡をたどるようなものはなかった。(葬式前後、親戚から話を聞いたが、母から聞いていたような話ばかりだった)
なので、母の考えや歴史がわかるようなものはほとんどなかった。

だが、一方で実際に話をする時間やその内容から読み取れるものや、感じ取れるものはいつもそこかしこにあったので、まぁこういう人だからそうだろうなとも思ったりもした。

亡くなってちょうど半年経過した日、月命日でもある日に強烈なお知らせ(夢)がやってきた。そのお知らせには夢の構造、というかアストラルの構造のヒント(解説)も一緒につれてきた。お土産みたいなもの、らしい。この構造についてはまた後で書いてみようと思う。

この時(死後半年)の母は旅に出ていたようで、はっきりとその「場所」がわかった。彼女は私と一緒に香港とハワイには行ったことがあるが、そこ以外は行くことはなかった。今回、死後に行っていたのはイタリアであった。私が何度も行ったイタリアに行ってみたいと話していたのを思い出す。明らかにイタリアのヴェネチアとわかる風景を私が上から見下ろし、(私と同じ場所には父と弟がいた)母に向かった手を振って元気か?と聞いてみた。(この動作は相手に届くということがなぜか私にはわかっていた/ほかの二人には下の層に母の実体があるのもわからないようだった)すると、母はニコっと笑ってこちらに返した。すっかり満喫している様子で、大変元気そうだった。

現実には果たすことができなかった旅行。そして、このコロナ禍となり、人と交わることもできない中で、母は友人と(私は見たことはない人たち)楽しそうに旅をしていた。元気でやっているよ、ということらしい。それを夢を介して知らせに来たようだ。

この頃の父は、母の夢をもう見ないとぼやいていた。いなくなって暫くは夢に出てきたと話をしていたが、なかなか出てこないといっていた。その代わりなのだろうか、私の夢にぼこっと出てきて、起きた際に忘れないような強烈な夢を残していったのだろうか。
父に、母が出てきてめちゃくちゃ元気そうだったと話したら、笑っていた。でももう出てこないのかなぁと寂しそうにもしていた。

ほかにもあるかもしれないが、いったんこれにて

夢を見るのにも気力体力がいるのではないか、と思うことがある。父は高齢のせいか、あまり熟睡することができないとも言っていた。夢を見るよりも、眠って体力回復をするのが精いっぱいとも話していた。
夢を見ることが趣味みたいな自分は夢を見るぞ、と思いながら眠りにつく。それでやっと見ることができる夢はある。だが、疲れていたり考え事をしながら眠ると、夢を見たことは覚えているが、その夢の内容を掴んで帰ってくることができないこともままある。

今回は夢を介して母とのコミュニケーションをとっていた話を書いてみた。
今後もこういったことがあるかどうかはわからない。墓(というか、父と一緒に眠る予定の場所)に行ってもそこにはもう母の気配がない。母の眠る場所はこの辺だろうか、と位置を確認しないとその場がわからないのだ。たまにコンタクト取りたくなったら夢に出てくるかもしれないが、その時はその時で。そして、たまには父のところにもコンタクトしてあげてほしいが、もう次の人生への準備で忙しいかもしれない。





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