【話題】動画で読み解くセクシー田中さん騒動

どうも私です。今回はタイトル通り動画の話。騒動以降一連の出来事について解説したり言及したりの動画がたくさんあります。その中で私的にすごく気づきが多かったある動画についての話。

それが今年2月の配信【「セクシー田中さん」事件と芦原妃名子さんの無念を繰り返さないために〜里中満智子、森川ジョージ、湊よりこと考える「原作漫画家不遇問題」と再発防止策】というもの。

里中満智子先生湊よりこ先生森川ジョージ先生の3人の現役漫画家さんがこの騒動に言及しているものです。

この中で漫画家さんとして漫画原作者として色んなことを話されているのですが、この動画にたくさんの気づきがあったんですよね。

で、私の気づきをを簡単に書くとこの3つ

・言及してることより言及しない部分触れない部分にこそ
 この騒動の核心がある


・漫画家さんから見えているものと
 私たち読者やファンから見えているものは全然違う

 
・漫画家という職業の世間のイメージとのギャップ

これらについて今回は書いていきます

■出版社と編集者についての視点

この動画の漫画家さんたちが口々に芦原先生がおかれていた状況について
ご自分の体験をふまえて言及し自分はどういう対応をしたのか語られていますが、いちいち説明すらしない前提条件レベルで出版社や担当編集者を最初から無いものとして語っていることです。つまり最初から漫画家個人対テレビ局&出版社という図式でみなさん話をされるのです。

実はここで視聴者と齟齬がうまれているのです。おそらく読者やファンポジションからすれば編集者は漫画家側の人間であり味方であるという先入観があると思うのですが、漫画家さん視点からだと最初から出版者と編集者は味方に入っていないのですよ。

これについても森川ジョージ先生がことあるごとに「今にはじまったことじゃない」等の発言をされることから、漫画家と出版社や編集者との関係性など芦原先生だけじゃなく業界自体がこのような状況になっていたんじゃないかというのが見えてきます。

それに自分はこういうときどういう対応をしたのかって部分も漫画家さんは口々に話されているのですが、ほとんど自己完結なのです。こういうとこで編集者のへの字も言及されない、あてにするどころか最初から無いものとして扱われているのです。つまり言及しない触れない部分にこそこの騒動の核心があるのではないか、私はそう思うのです。

■漫画家についてのイメージと現実のギャップ


その出版社関連での話なのですが、小学館のコメントについて里中満智子先生が「3分の1は評価する」と言及された部分です。で、その「3分の1」が何かといえば出版社が著作者人格権について言及しているというとこ。


つまり里中先生クラスの大御所でも著作者人格権に反応するくらいの扱いをこれまで受けてきたのかもしれない。本来ならば何よりも漫画家は尊重されているはずだという先入観に対して、里中先生のこうした発言から察するに世間の漫画家のイメージと現実には大きなギャップがあるんじゃないかと私はそう思うのです。

もしかして多くの現実の漫画家さんは私たち世間の人らが思ってるさらに下をいく不遇な扱いを受けているのかもしれない。里中先生のような大ベテランでも配慮してあえて遠回しに言ったり触れない部分にこそ問題の核心が隠れているのかもしれません。

余談ですが
この小学館のコメントですが最後の部分の

「それでもどうしてもどうしても、私たちにも寂しいと言わせてください。
寂しいです、先生。」

という文章について湊よりこ先生が一言
「寂しいじゃないだろうが、そこは悔しいだろうが」と怒気強めで発言する部分も印象に残りましたね。

■まとめ

ところでこの動画のコメント欄では例によって漫画家さんの発言に対して「綺麗ごと」だとかいうものもあったのですが、舞台上から見える景色と客席から眺める景色が全然違うように、漫画家さんから見えているものと私たちが見えているものは全く違うのです。

だからこの種の動画を視聴する場合、動画内での発言だけをそのまま受け取るのではなく、漫画家さんだけでなく出演者全員の発言を一度飲み込んだうえでそこから全体を俯瞰して本当に伝えたい意図のようなものを汲み取る必要があります。字面だけ追えばそりゃあ綺麗事な発言だけとしか受け取れないでしょうね。








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