性の自己決定?

性の自己決定権というものがあるらしい。
私は男性であるのでよく分からないが、どうやら売春をする自由であったり、フリーセックスをする自由や気楽に堕胎する自由の様だ。
それらの自由は今の我が国において概ね謳歌されているのではなかろうか、と思ってしまう訳なのだが、当事者たる一部の女性にとってはそうでもないらしい。
私個人としては、女性といかがわしいことをするお店にもよくお世話になったので、殊更売春に批判的な立場では無い。
彼女達は、彼女達からサービスを受ける事に価値を感ずる男性(女性の場合もあるかもしれない)にサービスを提供し、その対価を正しく受け取っているだけである。
当然その対価は店側に一部ピンハネされるが、望まぬ客を叩き出す役割をアウトソーシングしている以上、必要な出費なのだろう。
個人売春も別に否定はしない、ケツ持ちがいないだけである。
その点で見ると私は(少なくとも)女性の性の自己決定権に関してかなり寛容だと言えるのでは無いだろうか?(多少は彼女らのお財布を潤す一助となったはずだし。)
フリーセックスに関しては、個人としてはとんと恩恵を受けていないから、酸っぱいリンゴ状態ではある。
イケメンと尻の軽い女性諸氏が夜な夜なホテルに繰り出したり、ダンスホールのトイレでしけ込むあれかな?と言う程度の認識である。
ただ、自分に魅力と才能が無かったのを(又は努力が足りなかったのを)棚に上げて恨み言を言っても仕方があるまい。
自分の価値を最大限に活用して快楽や享楽を貪るのは、その価値を有するもののある意味当然の権利であろう。
後は、最近流行りの堕胎の自由であろうか?
こちらは個人的には反対である。
我が国では、法的には堕胎は許可されていないはずだ。
もっとも、禁止されているというのも違って、建前上母体の保護のためということにして、産婦人科医の判断として堕胎をする、ということらしい。
個人の意見としては、胎児も人間だと思っている。
我が国の法的には残念ながら出生の瞬間に人権を付与されるので、法的には人間では無い、というのが現実であるが…
とりしも、私は人間として扱うという立場である。
単純な話、堕胎するということは、胎児に対して殺人を行う、という認識をしている。
一方、どこぞのアブラハムの宗教徒の様に全ての堕胎を否定するかと言うとそうでもない。
例えば、レイプなどの望まぬ性行為によって妊娠した場合は、これは堕胎して良いと思う。
これは、正当行為の類型で処理すべきだと考えている。
また、胎児の妊娠出産が母体を生命やそれに準じる危険に晒し、かつ堕胎によってその危険を回避する事ができるから、堕胎はして良いと思う。
これは、緊急避難の考え方になろう。(正当防衛はそぐわない気がする。)
後は、私は恥ずかしながら優生思想寄りの思考しているため、障害を持って生まれる事が事前に分かった場合(ダウン症等)も堕胎を許可しても良いのでは無いかと思う。
生まれた子供本人も生んだ両親も人生ハードモードが約束されているなら、それは回避できる様にするのはある意味人情であろう。
別の論点として、流産死産をする場合がある。
恐らく胎児を人間として扱うことを妨げる一番の原因がここにあるのかもしれない。
胎児を人間と扱ってしまうと、機械的に判断すれば流産死産を過失致死として扱われかねない。
実際には、過失が何も無くても一定の確率で流産死産(又は先天性の障害)は発生するのである。
ご都合主義の様であるが、そうした自然死については、法を持ち出さないという現状を維持すべきではなかろうか。
逆に、妊婦に暴行等を行い、その結果流産等になった場合は、殺人罪を適用して良い様に思う。
また、妊婦側が出産を嫌がり、自己で堕胎を行った場合も残念ながら個人的には殺人として扱うべきだと思う。
人を殺す自由を求めている、というのは私にはとても理解できないのである。
確かに人を殺さないといけない場面はあるだろうが、それは個人の自由に任せるのでは無く、法による裁定が必要なのではなかろうか?
そもそも、性行為は元々子供を成す行為である。
現在では文化的行為やコミュニケーションとして行われるもの、又は単なる性的欲求の捌け口とされているが、そもそもの目的は子作りである。
そんなこと、昨今小学生でも分かっているはずである。
小卒なら性教育で学んでいてしかるべきであり、日本人の大多数は小卒以上の学歴を保有しているはずである。
どうしても子供を作りたく無くて性行為はしたいのであれば、取りうる避妊手段を駆使して避妊すれば良いのである。
避妊も多層防御は極めて有効とされているのだから、避妊に対する思いが強いなら、全力でそれをすれば良い。
そもそも、最上級の避妊手段はセックスをしないことである。
セックスをする以上、妊娠の可能性は0にはできないのである。
胎児を殺してでも出産をしたくないのに、どうして性行為に走るのか、少し理解が及ばない。
さて、結論としては、性の自己決定はあってしかるべきである。
今の時代においては、男女ともに是非是非性行為の自由を謳歌してもらいたい。
ただ一点、強く推奨したいものがある。
それは性の自己責任である。
自由には責任が伴うことを強く自覚して、性生活を満喫してもらいたい。

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