見出し画像

大東亜共栄圏を実現するにはどうすれば良かったか?

さて、「大川周明」は読み終わって、その後も何冊か本を読んでいました。
一冊は鮎川潤氏の「犯罪学入門」でしたが、内容がやや薄いのと、社会学だなぁ…という記載がちょこちょこあって萎えました…
もう一冊は北一輝氏の「日本改造法案大綱」です。
こちらは、旧仮名遣いの旧字体で言葉も古いので読むのがとてもしんどかったです…
内容的には結構面白かったです。(小並感)
戦前右翼の代名詞的に言われていますが、国外事情や各種思想に詳しい上に、割と先進的な思想家だったようには思いました。
書かれているアイデアも、今やってみても面白いかもしれないね、と思うものがいくつかありました。

さて、本題に参ります。
先日、自衛隊のアカウントで大東亜戦争という言葉を使ったことで問題になりましたね。
大東亜戦争という用語が先の日本が戦った大戦を示す用語として適切であるということは、以前書いた通りです。
その一方で、大東亜共栄圏もよく槍玉に挙げられる単語となります。
実際問題として、当時からしても、本気で崇高な理想を掲げてこれを目指していた人がいた一方で、帝国主義に乗っかって領土拡張の大義名分にしていた人もいたというのが現実でしょう。
ハッキリ言って、綺麗事をそのまま鵜呑みにする気はございません。
他方、現代において、第二次世界大戦の評価が「民主主義国家VSファシズムの戦い」とされているのは非常に気に食いません。
「帝国主義国家からの植民地の解放戦争」という綺麗事で戦ったとも個人的には考えていません。
実態としては「帝国主義国家VS帝国主義国家の戦い」であって、連合国は勝利者側の帝国主義国家であっただけです。
そもそも、2つの大戦を通じてヨーロッパ諸国は植民地の維持能力が限界に達していたし、アメリカはそもそも貿易を通じて経済的に他国を支配することを良しとする国柄なので、どちらに転んでも植民地時代は終焉を迎えていたでしょう。
白人に対しても有色人種が勝利を得られる事を示したことは、日本の日露戦争から大東亜戦争に至る戦いの軌跡が旧植民地諸国の独立マインドに好影響を与えたとは思いますが、直接的に日本が植民地支配を終わらせた功労者とは言いづらいのは事実です。
そして、たまたま成り行きで終焉した植民地支配の歴史の責任を、欧米諸国は日本に全て押し付けたのです。(ドイツは当時海外植民地をほとんど持っていませんでしたし、イタリアは土壇場で裏切ったので最終的には準戦勝国的な美味しい位置に落ち着きました、味方にすると頼りない癖に…)
植民地侵略を日本は(ほとんど)していないということは過去の記事でも述べましたが、仮に植民地侵略を日本がしていたとして、もしも日本が責められるのであるならば、欧米の殆どの国は日本と同様に責められなければなりません。
イギリスを代表として、アメリカに然り、フランスに然り、スペインに然り、ポルトガルに然り、オランダに然り、イタリアに然り、ドイツに然り、ベルギーに然りです。
結局、日本は帝国主義国家の植民地支配の罪を、大東亜戦争の敗戦によって全て押し付けられ、スケープゴートにされたのです。
そもそも、平和に対する罪という、事後法ですらない根拠の何も無い罪で我が国の人間を裁くのが、勝者の裁判でなく一体何なのでしょうか?
法的な裁判だと言うのであれば、その被告人席にはアメリカ側の戦争指導者であったフランクリン・ルーズベルト(戦後時点で既に死亡しているが、死後訴追すべき)やハルノートにより戦争回避の望みを絶ったコーデル・ハル、我が国の罪のない一般市民を逃げ場を潰した空襲で焼き殺した無差別大量虐殺者であるカーチス・ルメイ、悪魔の兵器たる原子爆弾を一般市民に対して使用させたハリー・S・トルーマンなどは、当然に座るべきで、かつ裁かれて然るべきである。
戦争が双方向的なものであることは疑いようもない。
それに対して、敗者に全責任を押し付けるのが戦争である。
少なくともそれを認め、綺麗事を言わないでもらいたい。
東京裁判は裁判の形式を取っただけの、勝者による処刑対象者選定会議に過ぎない。
将来的には、戦争が起きたならば、その両者の戦争犯罪者等を第三国が公平に裁く、という形になるのが望ましい。
現状の国際司法裁判所では甚だ不足である。

閑話休題、私は大東亜共栄圏は所詮、我が国もその当時主流であった帝国主義的な生き残り外交の為の大義名分に過ぎなかったと認識している。
一方で、当時から本気でそれを実現しようとしていた人もいたことは事実である。
では、思考実験として大東亜共栄圏を実現するにはどうすれば良かったかを考察してみたい。
まずは、欧米列強と対抗するには、アジア全体でそれに対抗しなければならないという共通認識を日本人全員が持つことである。
史実では、そんな夢想主義者はごく僅かであり、むしろ準欧米と自認して、欧米の帝国主義の理論で他国を収奪の対象であると考えていた者が多かったのではないだろうか?
そういった人間がいたからこそ、今に禍根を残す植民地支配と言われるものが存在するのである。
一方で、パラオやラバウルの軍政の様に、明らかな成功例も見られる。
政治的な妙もあるにせよ、これらは極めて道義的な統治が為されていたものによる。
アジア諸国を三等国と見下すのではなく、共に戦う仲間として真に考えられていれば、大日本帝国の最大支配圏は全てペリリュー島の如く、命を賭してでも日本と共に戦いたいという現地民の協力を得られたのではないだろうか?
これは日中戦争に然りである。
確かに、中国人のサガとして、せむしの小人である東夷なんぞに支配されるなんて許せない!というものがある。
その割には北狄にはしょっちゅう支配されてるよな?と言いたくもなるが…
南京大虐殺があったとされる南京入城において、南京市民に予防接種をしたり、日本軍と笑顔で触れ合う南京市民の写真などは大量に残されている。
また、以前の記事でも書いたが、南京市民を害していた国民党軍の残党から日本軍が保護していたなんて話もあるのである。
ただ、市民の保護を徹底しきれなかったから、悪評を流され、それを何十年経っても利用され続けるのである。
本来の筋論でいけば、アジアの盟主は中国であるべきだったのである。
その中国が、情けなくもヨーロッパにボコボコにされ、無様な姿を晒していたから、日本は致し方なく必死で近代化を進めたのである。
そして、盟主であるべき中国は、日清戦争でルーキーの日本にすら敗れ去るのである。
アジアの敵は明確に欧米であったはずである。
そして、そのアジアの盟主であるべきだった中国は、敵たる欧米のみならず、小国たる日本にすら敵わなかったのである。
そうしたならば、「せむしの小人が偉そうに!」とかの余計なプライドを捨てて、一時的になれどもアジアのリーダーの立場を日本に付託して、日本と共に戦うべきであった。
日本相手に戦うのは筋を違えているのである。
本来のアジアを率い、守り抜く使命を果たし得なかったにも関わらず、くだらないプライドで日本に協力できなかったのである。
たまたま、結果論として中国に対する欧米の植民地支配も限界に達していたから戦勝国ヅラを出来ているだけで、再度パイとして切り分けられていた可能性の方が高かったのである。
インドに関しても同様である。
本来、南アジアの盟主たる立場にあるべきを、イギリスにクソミソにやられてポチと化し、イギリス軍の一部として日本と戦っているのである。
その間ずっと反乱を起こし続けて、徹底的にイギリスの排除を試みることもできたのに、チキってイギリスのケツを舐めたのである。
本当にアジアが日本を尖兵として一致団結していれば、アジアとして欧米の植民地支配を跳ね除けられたかもしれない。
ただ、その為のハードルは、終わった歴史を見られる我々が見ても極めて困難だと言わざるを得ない。
まずは、日本国内でしっかりとした認識と思想の統一をするとともに、占領地では徹底的な道義的統治を行って現地住民を完全に味方につける、そして中国インドがアジアの代表たるの自覚を持って、恥を忍んで日本の統制下に入ることができれば、もしかしたら実現をしたかもしれない。

関連記事

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?