少女歌劇レビュースタァライト 雑多(大場なな多め)備忘録


#スタァライト #少女歌劇レヴュースタァライト #劇場版少女歌劇レヴュースタァライト

大場なな…お前はどこまで見えているのだ…
たぶん監督とかの視点じゃないかそれは

大場ななの言う「みんなしゃべりすぎだよね」
確かにエルドラド見に行くまでの電車では聞き取れないほど重ねてしゃべっていた

ここで大場ななが話そうとしていた相手は愛城華恋。

この後キレキレで皆殺しのレビューしたり、
さらにその後に二人きりで電車に乗っていたり、
何か「本来の流れ」みたいのがあったんじゃなかろうか

「みんなしゃべりすぎ」ていたせいでその流れにできなくてキレた?
本来の流れってのはつまり「舞台の脚本」で、
「しゃべりすぎ」ってのはつまり「舞台の上で何やってんだ」みたいな

後のワイルドスクリーーーンバロックの流れを見てもキレた理由はたぶんこれ
「舞台に立っている自覚ないのか」みたいな

で、「本来の流れ」で何が予定されていたのか
「遥かなるエルドラド」、だな
つまり「次の舞台」のはず

愛城華恋の抱えていた問題とも合致するし、
新作ゲームのタイトルだし、この流れは予定されてそう

エルドラドに向かう電車で愛城華恋の問題をみんなに共有し、
エルドラドを演じることでその問題を解決、みたいな映画が当初の予定

で、次のシーンに行けないほど「ちんたら走って」いたから、
軌道修正に入った、か
すでに到着していた聖翔の生徒の発言からして、エルドラド行きはなくなった

そして、ワイルドスクリーーーンバロック

「なんだか強いお酒を飲んだみたい」に応えるように
ギャンブル、煙草(キセル)、女、が出てくる
これは成長の暗喩でいい

問題は死の暗喩、というか直喩が出てくる辺り
かおふたの飛び降りはまだしも
純なな、真矢クロには切腹、介錯まで出てくる

ひかりはミスターホワイトが代わりに首がなくなった
キリンの焼死飛び降り、華恋の突然死もある

大場ななとまひるだけ死んどらんやんけ

大場ななと愛城華恋の電車のシーンで大場ななが電車を降りた後に
「私も戻らなきゃ」と言っているように、華恋は戻っている最中。

どこに戻っているのか、描写されているように東京タワーで、
つまりは「スタァライト」。

もともと華恋には「スタァライト」の先はなかった。
なぜならそれが「レビュースタァライト」というアニメだから。
「スタァライト」を神楽ひかりと演じる、それがこのアニメのラストシーン。
その先のシーンはなかった。

しかし劇場版に続いてしまったものだから急遽華恋は続投が決まった。
キリンの言うように「役作りの最中」つまり間に合っていない。

スタァライトの先に行こうとすると、物語の終端に行き着いて
物語の登場人物である華恋はその先のセリフも流れも記されていないために
行動不能に陥り、死亡する。

劇中人物の寿命は物語の寿命と同じ。

これを逆手に取ったのが大場ななで、
「遥かなるエルドラド」を演じるルートを、登場人物を皆殺しにすることで
強制的に終わらせたのか。

開始30分ぐらいにはよく出てきたエルドラドのセリフっぽいやつとか
華恋と純那が演じてたやつとか、明らかに後半への伏線張ってる動きなのに
完全にどっか行ってしまっている。

大場ななの再演力すごいな…。
皆殺しのレビュー以降は「レビュースタァライト」の再演に方針転換している。

第四の壁について

デッドプールの代名詞として有名な第4の壁だが元は舞台用語である

つまりは下手上手奥を1,2,3の壁、そして観客側を第4の壁としているのだが
少女歌劇レビュースタァライトでもこの概念はある

おそらく第4の壁を認識しているのは劇場版終了時点で、
キリン、大場なな、愛城華恋、神楽ひかり、天堂真矢(たぶん)、露崎まひる(たぶん)。

アニメにおける第4の壁は、言ってしまえばカメラのことである
正面顔のカットで独り言を言ってたら、おおよそ観客(視聴者)に向かって話している

キリンの独白や、7話の最後大場ななの独り言(ループ設定の衝撃で忘れやすいが)、
劇場版の愛城華恋神楽ひかりの舞台の認識、は分かりやすい。

(たぶん)を付けた二人は確信がない。
天堂真矢は舞台能力が高すぎてそういう風に見えているだけかもしれないが、
大場ななの問いかけに一人的確に答えていたり、魂のレビューでは観客席に座ってみたり、
少なくともあの世界が舞台であるという認識はありそう

露崎まひるに関してはさらに確信がない
アニメと劇場版で大きく変わったキャラクターだと思っているが、
同じく舞台の認識はありそう
神楽ひかりを愛城華恋の元に送り出す役割なのも相まって
競演のレビューの「ちゃんと演じてよ」や最後の口上も
舞台と認識しているからこそのセリフに思える

舞台力が高まると認識が変わったりするのだろうか
そうなると天堂真矢に匹敵する西城クロディーヌが分からなくなるのだが……

愛城華恋の再演について

神楽ひかりに刺された愛城華恋から大量のポジション・ゼロが溢れ出した
まあまあ意味不明なシーンである

そのポジション・ゼロ群は東京タワーの上半分を押し出し、
東京タワーは先端から巨大なポジション・ゼロに突き刺さった
目を疑いたくなる意味不明さである

物語の終わりは登場人物の終わり、主人公ともなれば尚更
愛城華恋の人生は「神楽ひかりとの運命の舞台」を目標に歩んでいた
幼稚園児の時の約束を十何年も履行し続ける、普通に狂人

故に、愛城華恋の舞台少女人生は第100回聖翔祭の公演を以て終わった
人生の目標を叶えて、大団円。

…とはならない。彼女はまだ18歳である。
その後の人生はまだまだあるはずなのだが、舞台少女としての目標は叶えてしまった
進路も白紙のまま、その先は何もない砂漠が広がるかのよう

愛城華恋はここからここまで。
神楽ひかりとの再会からスタァライトを演じるまで。
アニメの1話から12話まで。

しかい、それでは困る人物が一人。
それが大場なな。

愛城華恋に限らず、99期生には舞台から離れてしまいそうな少女がいた。
花柳香子から離れることが目標になっている石動双葉
天堂真矢との対決で満足してしまった西城クロディーヌ
大学進学で舞台と距離ができる星見純那

レビューの結果トップスターになれないと思ってる花柳香子?
これは疑わしい。
花柳香子は石動双葉の方が遥かに重要であり、双葉が向き合えばいいだけの話である
序盤のセリフに反して、レビューはどうでもいいと思ってんじゃないだろうか
ただの八つ当たりな気がする
当然西城クロディーヌとの賭場での掛け合いも八つ当たり
双葉が乱入してきたら、クロディーヌはもう完全に視界に入っていない
クロディーヌが肩を竦めるのも、その辺分かってるから

さて、双葉は香子に任せるとして、
西城クロディーヌには天堂真矢、愛城華恋には神楽ひかり、
そして星見純那には大場ななが相対して、レビューの始まりである

大場なな、どこまで本気なのか

「ねぇ、本気出そうよ」
wi(l)d Screen-baroqueの一説である

本気を出した結果が狩りのレビューなのはいいとして、
このレビューは星見純那に切腹を迫るという衝撃シーンから始まる

さて、舞台少女の死とは何だろうか

1.今演じている舞台の役を終えることを死と呼んでいる
2.舞台から離れ、役者として終わることを言っている
3.今までの自分を燃やし尽くし、新しい自分に生まれ変わる

劇場版はこの三つが一緒くたにして扱われる
ん?3.は死じゃないだろって?
いえいえ、生まれ変わるためには、一度死ななければなりませんから

愛城華恋のように

純那に迫られた切腹はつまり、3つの問である

それまで純那は意図せず、役者として終ろうとしていた
これを煽りに煽り、舞台少女として蘇らせたのが大場なな

「私の知ってる純那ちゃんじゃない」とは再生産の祝詞である

大場ななの言う本気とは舞台に立ち続ける覚悟
星見純那は見事、これを証明した

二人の別れの場面
純那は振り返りかけるが前を向き、歩いていく
対して大場ななは振り返る素振りも見せず、歩いて行った

大場ななには、純那はもう舞台を離れたりしないと確信があったのだろう
大場ななの役は終わり、次の舞台へ…

と言いつつエンディングではロンドンにいる
序盤に神楽ひかりもロンドンにいたように、
ロンドンは役を終えた演者のいるところ、
つまり楽屋、または舞台袖である

大場ななであれば王立演劇学院にも行けるのかもしれない

アニメ版では8話でひかりが「遥かなるエルドラド」っぽいのを演じてましたね
ゲーム版ではどうなるのか
ロンドンのレビューの勝者が出てくるかもしれませんね
わかります。


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