教員失格

先日、教員になって初めて修学旅行に行きました。
修学旅行に行く前に、多くの先生から
「修学旅行は、ガイドさんもいるし、教員はとてもゆとりがあるし、楽しいよ」と聞かされていました。
だから私も、今のクラスの子供達といける修学旅行を楽しみにしていました。

しかし実際始まってみて、私が強く感じた感情は
「私の教員としての存在価値ってなんだろう」という思いです。
修学旅行にきてまで、なにネガティブな考えをしているんだと思われるかもしれませんが、
私は修学旅行に来たからこその感情だと思っています。

修学旅行を終えた日も、他の先生や、添乗員さんからも
「近年稀に見る平和な修学旅行だった。」
「こんなにスムーズにトラブルなく終えれるなんて珍しいよ」
と言われました。

確かに、身体的には野外学習に比べ、とても楽でした。休憩できる時間も長く、ご飯も美味しいし、1人部屋でゆっくり過ごすことができました。子どもたちも一生懸命過ごしたことで、目に見える大きなトラブルはなかったように思います。
それでも子供達に何かを残せた、という満足感が全くないのです。
もちろん、ガイドさんの話を聞いて教科書では知ることのできない歴史について学んだり、友達との共同生活を通して人間関係を形成したり、きっと子どもたちは、少なからず修学旅行で成長できたことは間違いないと思います。
でも、私の過ごした修学旅行は、「表面上は平和で、大人が楽な修学旅行」でしかなかったと思います。

今よくよく考えると
教員としてやれることはもっとありました。

教員失格な私の行動を今ここで白状します。

⚪︎隣のクラスの子がメイクをしていたり、スマホを持っていそうなそぶりを見せたり、気づいていましたが、「担任じゃないしな」と、簡単に主任に報告するだけで、私は何も指導をしませんでした。
⚪︎部屋で過ごす女子たちが、1人の子に対して、当たりが強い様子を見ましたが、「そこまで大した問題ではないだろう」と、話はせずにその場を去りました。
⚪︎バスガイドさんが話している最中に、ざわざわとする子供達に、その場で「聞きなさい」というだけで、意図を持って丁寧に言い聞かせることはしませんでした。
⚪︎子供達が聞いてくる歴史に関する質問の答えがわからず、ただただ濁してしまいました。

言い出したらキリがないくらい
「小さな違和感」があったのに、見ないふりをしていました。

だから、私はもっと考えたい。
今更遅いかもしれないけど
こうすればよかったかな。こうしたらもっと良くなるかなと。悩むのではなく、次に向けて考えたいのです。

大好きな今のクラスの子どもたちを卒業式で送り出す時には、もう教えきった!やりきった!と思いたいのです。

そう思える日が来ると信じて、今日明日もその次の日もあの子たちの先生でい続けます。教員失格で無くなる日まで精進し続けます。

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