2022/05/28の雑記


体調は良好、精神は安定。薬と熟睡で大抵の不調はなんとかなることを実感した。不調を感じたときは薬飲んで熟睡すること以外考えなくていいんじゃないか説。次いで食事運動。

したことといえば、帰宅とゲームくらい。夕方ごろに帰宅して、寝るまでやってたから6時間くらい? やりすぎやで。


・朝、挨拶して帰宅、予定がないなら帰りたくなかった。人と会うと衛生にも気を遣わないとなという気持ちになった。人と会うことで瑣末な問題が解決せざるを得ない課題に変わるのは、調子がよければ喜ばしい。

 心身の健康は何をするにも基盤になるので、それがぶれやすい自分は習慣的行動で安定させないとなと実感。

 そんなこんなで帰宅開始。House of Water、東京事変、椎名林檎あたりを聴きながら帰った。長距離走るときは、積んでいたアルバムを消化するのにちょうどいい。

走るという作業で意識が持っていかれても無意識的に印象に残れば、素晴らしい音楽であることが証明できる。便利。

・昼、途中「転ばすためにこの素材使った?」と思うような滑りやすいトンネルがあって、カロリーを使った。なんだったんだろうあれは。

 いかんせんおんぼろの中古なので、スピードが出ないと後続車が詰まる。余裕があるときは、適宜車体を止めて、道を譲った。この方が互いにストレスフリーかな、と。

 環境に促されたものではあるが、自然と互いに特になる行動をしようと思えたのは、触れた大自然の力と、何より人の温かみによるものなのだろうな。

 何かを与えられているという感覚が強い人は、誰かにも自然と与えたくなるもので。そこに意識が向くきっかけになる話をたくさんもらえた。だから、誰かにお返しする。

なんと言ってたっけな。恩送り? 裏世界ピクニックでも小桜が空魚と鳥子に何かしら優しくした時も「お前らも誰かにこうしてやるんだぞ、きっとそういうふうに世界はできてるんだ」的なことを言ってたが、まさにあれがそうなのだろうな。

 よくあるよな、物語でも婆さんが優しくすると「他の誰かにこうしてやるんじゃよ」みたいに悟すシーン。相互に思いやり、とやらを交換する人間社会に必要な「善」なんだろね。

私は、幼少期から恩返しは苦手だった。何もかも与えられて、返報性の原理が重石となって自分の動きを制限した。だから、開き直ってそんなもん知らんというスタンスになっていたが、返す相手が誰でもいいとなると、結構楽だなと思った。誰でもいいし、今じゃなくてもいい。

 心が軽くなったし、そういう貢献でもいいんだという気持ちになった。


・昼〜夕、適当に帰宅。途中、前に訪れたやたらでかい橋があったのでダッシュで往復したりした。座りっぱなしだと血の巡りが悪くなるし、いい休憩になった。

 帰宅後は放置してた生ごみや散らかり具合をスルーしながらひたすらゲームをしていた。食事はありものを適当に。

 旅からの帰宅後はコントロール不可能になるのがいつものことなので、そこは半ば諦めている。今、改めて掃除をして、この狭さと物の多さだと環境を維持すること自体が困難だし、習慣が続くわけもないなと思った。

だって、運動するスペースに毎回よくわからんものが散らばってて、続くわけがない。昨日まで泊まってた家の広さと比べても、まぁ無理だよなぁという結論になる。

 何から何まで狭すぎる。気も滅入るわこんなの。


・夜 スプラ、スプラ、スプラ。

それ以外にはなんもしとらん。まぁ楽しかったからいいけどね。キャンプ使いと協力してダブルパージみたいなことすんのが超楽しかった。

全員傘持ちみたいな謎編成にもなって大暴れしたの超楽しかったな。チーム制ゲームは不可思議なコミュニケーションが

第2章〜印象羅列/筆記開示〜


~気になっていること、ポジティブ感情を感じたこと、反芻したい戦略と選択、結果に結びついた努力などを書き出す~




・まとめ

今日もいい1日でした。


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