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丸くなって占いをコンテンツとして楽しめるようになった

こんばんは。

インフルエンザ病み上がりのアラサーである。
略してインフルエンサーだ。
PR案件などお待ちしております。
(??)

今日も今日とて
病み上がりだが
お気に入りのグレープフルーツサワーを
流し込んでいる。

グレープフルーツサワーをがぶ飲み出来るくらい
回復して嬉しい限り!

皆のもの、インフルエンザには
本当に気をつけてください。
オトナのインフルエンザは死ぬほど辛いぞ!!

今夜はゆるり
占いについて話したい。

占い。
20代半ばまで
こいつについてわたしは
かなりバカにしていた。

占いを信じる奴なんぞ
頭が弱いおバカさんだと
尊大な態度で申していた。

だがしかし
30歳を目前としたこのアラサー、
いまや
毎週月曜日には
しいたけ占いを欠かさずチェックし、
ゲッターズ飯田の本で
今日の運勢を確認、
月初めには今月の運勢は…と
様々な占い師の様々なサイトを徘徊している。

なんのこっちゃである。
ハタチそこそこの信念など
簡単に捻じ曲がることを
身をもって証明している。

これはつまり
わたしは
占いをコンテンツとして楽しめるくらいに
丸くなったこともひとつの要因であはるが、
もうひとつ重要な点を挙げれば
「わたしのことを誰かに説明してほしくなった」
ということだ。

わたしの推察によれば
20代前半までは
一応学生であったり
何かしら組織に属していたり
指針を示してくれる先生や上司や
わたしを評価する同僚が
常に身の回り側にいたように思う。

そういう他者の評価や
なにか行先、
正解らしきものを指し示してくれることって
実際めちゃくちゃ心を安定させるのね、
…と、
今や思う。

母になり、
個人で仕事をするようになり、
ずっと煩わしいとおもっていた
そういうものが今になって恋しくなっている。

母という仕事も、
個人事業主も、
わりと孤独なのだ。

なかなか人に評価してもらえないという点で。

それから
20代前半の頃とは
比べ物にならないくらい
人生の大きな決断を
1人でこなしてきた。

歳を追うごとに、
ひとつひとつの責任の重さは
大きくなっているように思う。

1人で決定権を持つのは結構寂しいことだ。

そして年齢を重ねれば重ねるほど
自分が誰だか分からなくなってしまう。

わたしの
信念(たった数年で占いに軟化するくらい変わる)は
ほんとうか。
わたしの気持ちはどこにあるのか。
わたしの選んだ道は正しかったのか。
わたしは何者か。

どんどん分からなくなるのだ。
世の中を知り、
自分を俯瞰できるようになればなるほど
わたしの輪郭はぼやけて薄らいで行く。

そんな時に
気休めにも
占いで、貴方はこんな性格で
こんなものを求めていて
こんなやり方が正しいと
言語化してもらえるだけで
なんだか心休まってしまう。

貴方はこんな人だ、と
人に言ってもらうのは心地いいよな。
そういうことに気がついてから
占いをコンテンツとして楽しめるようになった。

でも危ういかな、
それに気がついてしまったら
壺を買ってしまう人の気持ちも
なんだか分からんでもない。

壺は買わないよう気をつけよう
そう心に誓うアラサーである。

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