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闘病記(17)橋を渡った日

その日、理学療法士のTさんは一歩も引き下がらなかった。いつもなら「アカマツさん、リハビリ病棟行ってみる?」の問いに自分が「痛い。」「めまいがひどい。」などの訴えをすると、その症状を少しでも緩和してくれるようなストレッチやリラクゼーションを行なってくれたりベッドの上で可能な運動を指導してくれるのだが、その日は違った。セルフストレッチの説明、枕の高さやベッドの高さのチェックなどを丁寧にしてくれた後、再び「リハビリ病棟へ行こう。」と言い始めた。
「行っても何もできないよ。」
「いいんです。いって、座っておくだけでもいいですから。」
「それ、意味ないでしょう。」
「意味があります。他の人たちが頑張っている姿を見るのも大切なリハビリの1つです。」「無理だって。昨日も結局ほとんど眠れてないし、めまいがひどくて食事が取れない。何より、痛いんだよ。大体、みんながみんなリハビリができるわけじゃないでしょ?自分みたいに回復期でも機能が落ちている人や痛みがひどい人はリハビリどころじゃないでしょ?」
「それは違うよ赤松さん。」
「何が違うの?」
「みんな行くから。あそこにいる人の中にも、痛くてたまらない人はいる。リハビリ病棟に行ってもめまいが辛くて座ったまま療法士に背中を撫でてもらっているだけの人もいる。でもみんな行く。ここから、自分の足で歩いて帰れるようになりたいから。赤松さんもそうなりたいでしょ?私は、赤松さんに歩いて欲しいよ。シュッと歩いて欲しい。移動できるならかっこうはどうでもいいじゃなくて、赤松さんらしく歩けるようになってほしい。」
何も言えなかった。かといって、すぐにリハビリ病棟に行く力もなかった。
「では、時間なので。ストレッチ、寝る前にしてみてくださいね。」
言い残してお辞儀をすると彼女は去った。
あの時の自分の気持ちを考えてみても正直わからない。リハビリ病棟に行っても何もできず、療法士にただ背中を撫でて励ましてもらう姿を誰かに見られたくなかったのかもしれない。まだバルーン(自力で排尿ができないため腰のあたりつけている袋)がついたままの状態を見られたくなかっただけなのかもしれない。「動けなかった。」のか「動かなかった。」のか。それともその両方か。いずれにせよ自分の閉じていびつに固まっていた心と体の蛎殻みたいなものを砕いてくれたのは療法士のTさんだった。
翌朝ベッドの上で1ヵ月半ぶりに運動できる服に着替えた。相変わらずめまいがひどくそのまま横になってしまいたかった。車椅子を運んできてくれた介護士の男性に助けてもらいながらなんとかベッドから起き出し、彼と一緒にエレベーターホール横で、昨日のTさんが来るのを待った。
「赤松さん!よかった!うれしいです。ここにいてくれただけで嬉しいです。」
自分を見たTさんがそう言った。そして自分たちは橋を渡った。

「この1ヵ月半の事、あーそんな日々があった。だからこそ今がある。そう思える日がきっと来ます。よかった。ほんとに。」車椅子を押してくれながら、Tさんが言った。
自分は何も言えなかった。嬉しさと、何とも言えぬ気恥ずかしさ。いい年をして甘えるかのように駄々をこねていた自分のこと。いろんなことを思い出しながら、橋から見える自分のベッドに目をやり、そこに自分がいないことを確認した。ただ真っ白いシーツだけが見えた。


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