「生き残った。」のか「死に損なった。」のか。
発症したら10人のうち8人は亡くなってしまう。残る2人のうち1人は、食べ物を嚥下することが難しくなり言葉を失い、寝たきりになる場合も多い。最後に残った1人は、コミュニケーションが取れるような状態で生存できることがある。それが、「橋(きょう)」という脳の部位から出血した人のいわば「確率」だ。自分はその最後に残った1人になった。記憶、思考、判断力ともに以前と変わる事はなく、リハビリテーションを受けることが可能な状態にある。右半身に感覚障害が残り、発作的に続く痛みや眼球の振動に日々苦しむことを差し引いても、生還は「奇跡的」と言われることが少なくない。多くの人の懸命な努力によって救ってもらった命、ながらえてもらった生をどう使い、どんな生き方をしようかと考えない日はない。
以前は「小さな幸せ」と思っていた「何かを食べておいしいと感じる」「自分の足で歩いて買い物に行くことができる」といったようなことは、今では輝かしいものとして感じられるようになった。幸せに大きいも小さいもなかったのだということを知った。
一方で、「これで生き残ったと言えるのか?」「 最初の8人の中に入っていれば、こんな苦しい思いはしなくてすんだんじゃないだろうか?」と言う気持ちになることもある。
自分の目がほとんど見えていないことをあらためて感じる食事。すぐ近くにあるはずの皿や料理が重なり上下に大きく揺れ動く。この目で、この視力で、50歳を過ぎた自分にどんな仕事ができると言うのか? リハビリを重ねて歩くフォームを身に付けても、急に爪先立ちをさせられるような異常な感覚が襲ってきて転倒しそうになる。「自分は歩くことができるようになるのか? 」「大好きだった写真を撮るにもカメラシャッターはもう正確に押す事はできない」「ギターも、鍵盤楽器も、右手はもう諦めなければならない」「右手で文字を書く事も無理だ」「英語や、英会話の楽しさを伝える仕事につきたくても阻害要因がありすぎる」そういった事実が一気に押し寄せてくる夜がある。「この先の自分の人生は、一体誰なものなんだろうか?」「50年間健常者として生きてきて、教育の現場で誰かの背中を押していたはずの人間が、誰かに車椅子の背中を押してもらう生き方に納得することができるだろうか?」といった思いが交錯する。痛みや痺れがひどくて眠れない時は、「なんで自分がこんな目に合う?もっと嘘ばっかりついて、クズみたいな生き方をしてる奴はいくらでもいるだろうに」と、怒りと恨みがドロドロに混ざり合った感情の濁流に呑まれてしまいそうになることもある。それらは次々にやってきて、自分の心を引きずりまわす。
雨の日。気圧の変化が体の痺れと痛みを徐々に増していき、強く降り始めると動くことすら困難になる。長さの足りない神経の糸を無理矢理あてがわれたように縮こまる右半身を思い通りに動かすことはできない。昨日までリハビリでできていたことが何一つできなくなるのだ。「この先、再発がなかったとしても、この体で生きていかなければならない。こんな天気の日に仕事に行くのは本当に、命辛々たどり着く感じになるだろう。そしてその仕事が自分の喜びにつながっているとは限らない。いくばくかの金銭を得るために嫌々働いている可能性だってある。それでも仕事があるだけありがたいと思って生きなければいけないのが今の自分だ。それは生きていると言えるのか?」 天気が回復し晴れ間が見えてくると、痛みが遠のいていくのとともに、少しずつ前を向ける気持ちが戻ってきたりもする。気晴らしに聴いた誰かの音楽に「運命や宿命に立ち向かうんだ」といった歌詞が出てきた瞬間に、しらけてしまい聴くのをやめる。「元気に歌ってるやつに言われたくねーよ」と思うからだ。そんな時は、リハビリ病棟で過ごした時間、回復期病棟で過ごした日々のこと、今、支援をしてくれている人たちの事を思い出す。それが仕事とは言え、自分のために一生懸命だった人たちのことを。体調の些細な変化に、我が事のように、一喜一憂してくれた人たちの事を。
「生き残った」のか「死に損なった」のか。その答えは今も出ていない。これから先も出ないかもしれないし、いつの日か死んでゆくときに分かるのかもしれない。ただ、1つだけ言えることがある。もし1人きりだったら。孤独だったら。最後の最後に頼るべきものが自分しかなかったら。死への誘惑に抗いきれないかもしれない。あるいはまるで死んだかのように生き長らえるかもしれない。喜びや苦しみを分かち合う相手がいない世界で。
誰かと繋がっていたい。何もできない、持っていない、与えられない、今の自分はそんな、何かをしてもらうだけの存在かもしれない。もしかすると一生そうかもしれない。それでも、誰かと繋がっていたい。
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