闘病日記 (2) たぶん三途の川  

 HCU(高度治療質)を出て、1つフロアを降りた一般病棟に移動して次に目が覚めるまでの3日間、ずっと夢を見ていた。なぜ3日間だったかを正確に覚えているのは、自分がどのくらいの間その夢を見ていたのかを知りたくて看護師さんに日付を聞いたからだ。
 その内容を記憶にある範囲でなるべく詳細に伝えたいのだが、うまくいくかどうか。
とりあえず書いてみようと思う。

大きなの拍手の後、病棟の女性看護師1名の挨拶から始まる。

「皆さん。よろしいでしょうか。それではこれより、ここまで頑張った赤松さんを乗せて出発いたします!赤松さんいいですか。では、参りましょう。」

大きな拍手の後、自分の乗った黄色いボート上へのぼっていく。他にも何人か人が乗っているのがわかる。看護師さんの声や勤務先の人の声もよく聞こえた。

そして、なぜか僕だけが全裸だった。
全裸なのに、まるで恥ずかしくない。(もちろん普段からそういう性癖は無い。)

兄の声がする。
「ヒデ、そこに 1人だけ全裸って恥ずかしいやろ?
 恥ずかしさを紛らわすために俺がお前のちんこに名前を付けてやるから。
 みなさんも一緒に考えませんか?」

周りの人たちは、「しょうがないなぁ」と言う感じで兄の話を聞いている。
自分もしょうがないなあ、と思っている。
そうこうしているうちに左角にあるスピーカーから声がする。
人の背中を押すことも悲しみを受け止めるのも上手な、
優秀なニュースキャスターみたいな声だった。

「皆さん、窓の外をご覧ください。どこかで見たことがある風景だと思っている方、いらっしゃいませんか。そう、ここは天空の城と呼ばれています。」

目の前に広がっているのは、確かにアニメ映画で見た天空の城のようでもあり
マチュピチュ遺跡のようでもあった。
そしてなぜがそこで自分の視点が客観に切り替わり、あることに気づく。
我々が乗った黄色いボートは、長い長いアームによって支えられている。
ボートは地上から天空の城までアームによって押し上げられていたのだ。
スピーカーからさっきのアナウンスの声がさらに続く。

「赤松さん、今まで本当によくがんばりましたね。
 どうですかこの景色は?」

「とても綺麗で最高です。大変なこともたくさんあったけど頑張ってきてよかった。母はいますか? 見ているといいんだけど。
 それにしても、こんな凄い船を持ってるなんてお金あるんですね。」

父の声がする。
「母ちゃんはね、今日は体調が今ひとつで。どうしても来れんかった。」

アナウンスの声が続く。 
「赤松さん、喜んでいただけてよかったです!
さあ、ではそろそろ降りていきますよ。
もし次見られるとしたら、どんな景色を見たいですか?」

「まだ何回か来れるんですか? それはいいなぁ。
 じゃぁ、次来る時も同じでいいです。次は母も連れてくるようにしますね。」

アナウンスが答える。
「そうですか。もう一度来られますか。わかりました。
 では皆さん、これより下に降りて参ります。」

地上へと降りる間に、名前を初めて聞く会社の何かのプロジェクトリーダーだと名乗る人から早口で自己紹介を受ける。現在の高等学校入試の制度等についてなんとかかんとかと話をされる。そうこうしているうちにボートが出発した場所に到着する。

アナウウンスが言う。
「それでは皆さんはここで降りてください。
 温かい拍手でお見送りしましょうね。では赤松さん、
あそこにある地上40メートルまで上昇するリフトに乗ってお帰りください。」

なんだ、ここは地上じゃなくて、地下だったのか。
自分だけ上に行かねばならないのか、面倒だな、と思う。
しかも全裸のままだ。

皆の拍手に送られ、黄色いボートが再びゆっくりと上昇する。
アナウンスにあった40メートルと思しき高さまで到達するとボートは水平に横へと移動を始める。出口らしきものが見えてくる。ボートはそこへ向かっていく。さらに近づくとその出口から強烈な風が吹き込んで来る。目を開けていられるのがやっとくらい、とても強い。ボートが押し返されているのがわかる。

アナウンサーの声がする。
「すみません。ここは強い磁場の発生地で簡単には外に出られないんです。
 申し訳ありません。もうしばらくお待ちください。
 磁場が弱くなったらお知らせします。」

強烈な向かい風に息をすることも苦しくなってくる。何か打開策はないかと必死に目を開いて周囲を見る。そしてボートの前方、舳先の奥の方に電気のブレーカースイッチに似たものを見つける。風に逆らってそこまで這うように移動し、スイッチを手前に倒そうとする瞬間に目が覚めた。
 
 こうして読み返してみても、なんだかよくわからない話だ。ただ、こじつけかもしれないが、自分にはこれが「渡らなかった三途の河」のように思えて仕方がない。もし最後の出口で強い風が吹いておらず、そのままボートから出てしまっていたらどうなっていたのかと考えたりもする。それにしても、生死の境をさまよっている間に見た夢の中ですら、美しい天空の景色を母親にも見せたいと願った自分の心の清らかさよ。それとは逆に多くの人の前で全裸でいる弟に何か衣服をかけるわけでもなく、おまけに人の性器に名前をつけて遊ぼうとした双子の兄は何を考えているんだろう。どうかしている。どうしても名前をつけたいなら自分のでやってくれと言いたい。

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