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闘病記(67) ガッツポーズ。  

 書きたい(伝えたい)テーマを決めて、タイトルをどうするかで悩み、決定したら、タイトルやテーマにあったできるだけ多くの人の目に留まりそうな素敵な画像を探す。
このテキストを書くときに、いつも最初に行う、ちょっとした儀式のようなものだ。  
今回もいつものように進めていたのだが、画像を探すところで行き詰まってしまった。「ガッツポーズ」で写真を探したのに、「これだ!」と思えるものが見つからなかった。と言うよりも、示された画像があまりに少なかったのだ。
「??」気づくまでに数分かかってしまった。そう。「ガッツポーズ」は、和製英語。いつも(ありがたく)イラストや写真を使わせてもらっているサイトは英語圏で作成されたもので、「ガッツポーズ」のような和製英語では、提示してくれる画像の結果があまり芳しくないものになる。
 ちなみに、今回見出しに掲載させていただいた写真は「ビクトリーポーズ」で検索した。いわゆる「ガッツポーズ」から連想される典型的なポーズとは少々異なるが、とてもかっこよくて素敵な写真だったので使わせてもらうことにした。

 興味のある方はぜひ調べてみていただきたい。「ホッチキス」「キーホルダー」「ノートパソコン」。他にもたくさんあるがこれらは皆、和製英語だ(多分)。  

 教師として中学校で英語の教鞭をとっていた頃、「和製英語クイズ」をしていたのを思い出した。生活に密着した英単語と、いかにも英語のような和製英語を、◯×式で区別していくと言う単純なゲームだったが、英語を学習し始めたばかりの中学1年生にとてもウケが良かった。
 他にも、「サビ」の部分で必ず歌のタイトルが何度も繰り返される英語の曲を選び、それらを爆音で流して歌のタイトルを当てると言うクイズも、生徒さんが目をキラキラと輝かせて取り組んでくれた活動の1つだ。普段はおそらくあまり耳にしないであろうパンクロック、ハードロック、メロコア、ニューウェーブなどのジャンルから、中学生が聞き取り可能なフレーズを含む曲を探して出題した。爆音と呼ぶにふさわしい音量でプレイしたため、隣の教室から先生たちが様子を見に来たりした。それを平然と「リスニングの練習」と称していたのだから、端迷惑この上なかったに違いない。しかも自分は、iPadとそれに接続可能な超小型のDJターンテーブルを教室に持ち込んでスクラッチを交えながらプレイしていたのだから、始末に負えない。若毛の至りというやつだ。

 閑話休題、本題に入らねば。

 リハビリ病院を退院するまであと1ヵ月となった頃のことだ。入浴や排泄を自立して行えるか、自分だけで(病棟スタッフに声をかけてもらうことなく)忘れずに服薬できるかなどの確認が、日々の生活の中に取り入れられ、日一日と退院へと向かっている実感が高まっていった。「回復期を過ぎたら、生活期とか維持期と呼ばれるステージに移り変わるはずだ。その時自分はどうなっているんだろう?」という期待と恐怖が入り混ざった感覚が、霧雨の日の夕方の結露みたいに自分の心を覆った。
恐怖の原因は、激しい痛みと痺れ、筋肉の引き攣り、そして右半身を襲う気持ちの悪い奇異な感覚だった。細い釣り糸で、指をきつく縛られたかのような感じ。強い力で糸を1本1本切っていかなければ、指を開くことはできない。また、右足の土踏まずに500円玉位の範囲で冷たい風が吹きつけ、足の裏を地面から離れさせてしまう感覚は、立つこと、そして歩くことを著しく阻害した。

 異常な感覚は「脳の誤作動」によるものだということは重々承知していた。理屈ではわかっていたから、「騙されるな。考えるな。これは脳の誤作動だ。」と何度も自分に聞かせたが、嫌な感覚がとれる事はなかった。何かにあざ笑われているかのようだった。
 担当してくれる療法士の皆さん、病棟スタッフの方々を始め、自分に関わってくれる多くの人に質問を繰り返した。
「回復期が終わり、維持期・生活期になったら、自分の症状はラクになるだろうか?」
と。誰もが真剣に話を聞いてくれて、誠実に答えてくれようとした。答え方は人それぞれであったし、言葉は違っていたが、「今はまだ症状が安定していないから何とも言えない。その時が来てみないとわからない。」ということは共通していた。
 「この状態を維持してしまったり、このまま新しい生活が始まってしまうのは嫌だ。」そう思った自分は、 「ずっと続くわけじゃないから。あと1ヵ月の辛抱だよ。大丈夫。」
という言葉を探してさまよった。偏執的な永久機関のように、同じ質問を繰り返す自分だったが、其の実、「恐怖」と「期待」が赤黒い炎となって、胸の内で絶え間なく燃え続けていた。
 理学療法士Tさんの 「痛みは続くかもしれないけれど、それを忘れられる位に夢中になれる何かを探すこと。」 という「人生の宿題」を、受け止めることはできても、しっかりと受け入れるまでには至っていなかったのだ。

 悶々とした日々は続いたが、リハビリや自主トレーニングにはかなり熱心に取り組んでいた。取り戻したい動作や行動がたくさんあったし、ひたむきさは願いの成就につながるかもしれないという思いが、不自由な体をベッドから引き剥がした。
 そんなある日の作業療法の時間。作業療法士Nさんの指示にしたがってストレッチを終えた自分は、マットの上にあぐらをかいて座っていた。梅雨も半ばに差し掛かり、鈍色の空の下で手を組んだらしい風雨と低気圧に苦しめられてはいたが、Nさんとのリハビリの時間は、穏やかで楽しかった。
「今日はいつもと少し違うことはしてみましょう。」
自分の背後に回りながらNさんが言った。座り直して正座をしようとすると、
「いいですよ。そのままで。背筋は伸ばして欲しいですが、力を抜いてください。体の中心から足や手の指先に向かって、力を抜いていく感じです・・・。やっぱり痛いですか?」
と、Nさんは、低く奏でられた 木管楽器のような声で言った。羨ましいほどに落ち着いた響きだった。
「そうだね。雨の日や気圧の低い時はかなり痛みが激しいかな…。今日みたいな日は最悪。(笑)」
振り向きざま、笑いながら言ったつもりだったのだが、Nさんは一瞬、悲しそうな顔になった。 美しい砂模様の上を弱い風が通り過ぎた後のような 、かすかな表情の変化だったが自分にはスローモーションのように見えた。
「医学的に証明されているわけではありませんが、患者さんの中にいらっしゃいますね。雨や気圧の変化が体の痛みなどに影響をもたらすという方が。これから研究が進んでいく中で、明らかになっていくことも多いでしょうね。」
と言うNさんはいつもの表情に戻っていた。

「だってほら、脳みそって水に浮いてるようなもんだし(笑)。気圧の影響受けやすそうじゃない?」
的を得ているのか、外しているのかわからない自分の言葉に、Nさんは少し笑いながら、
「そういえば確かにそうですね…。(笑)
それでは、軽く目をつぶってください。これから、私の言う通りに体を動かしてみて下さい。」
自分でも驚く位、心静かにNさんの指示を待った。
「では、右側の肩甲骨を少し動かしてみてください。どんな風に動いても構いません。ただし、肩甲骨だけを動かすようにしてくださいね。」
 肩こりがひどく、時折、鍼灸院のお世話になることがあった自分は、肩甲骨を動かすマッサージを施してもらったことがあった。そこで、その時の感じを再現するように肩甲骨のあたりを動かしてみた。すると、Nさんから 、
「惜しいですね。肩が一緒に動いてしまっています。肩甲骨だけを動かしてみてください。しかし、さすがですね。動かそうとするポイントは合っていますよ。」 と、声がかかった。
 残念ながら、 自分の(他人のも含めて)肩甲骨だけを見たことがなかったので(だって 骨だもん)、肩甲骨をリアルにイメージすることは諦めた。代わりに、背中に白い楕円があることを想像し、それを動かそうと試みることにした。
「さすがですね。」と言われ、俄然やる気が出てきていたのだ。両手を体の前で握り合ってみた。そうすることで、大きな肩の動きを抑制することができると考えたからだ。再び目を閉じ、白い楕円形をイメージした。いつの間にやら楕円形は上下が反対になり、車のシフトレバーのような形になっていた。
 頭の中、つまりまぶたの裏では楕円をゆっくりと動かし、その動きに合わせて肩甲骨を動かそうとした。眉間と肩甲骨が細い光の線でつながったような、それが可視化されているような不思議な映像がちらついた。
「あ、上手です!今、上手に上側に動いてますよ!」
というNさんの声を聞いて、我に帰った。目を開けようとしたら、
「その調子で、上下にゆっくり、リズミカルに動かしてみてください。」
と言うNさんの声がして、慌てて目を閉じて集中した。

50歳を過ぎて、新しい才能が開花するとは予想だにしなかったが

自分は、肩甲骨を動かすことが上手らしかった。

Nさんが繰り出す指示を、次々に体現して見せたのだ。  
上下に動かすことに慣れてきたら左右。そして斜めの動き。さらに前後。(これが1番難しかった。)
瞼の裏の白い楕円形がくっきりと見えるようになってきて、自分の意思、そして肩甲骨とリンクした。

 今にして思うと、20分位の時間が経過したのだと思う。(運動はしている最中には全くわからなかった。)
「お疲れ様でした。目を開けてください。」
というNさんの声でゆっくりと目を開けると、周りの景色(トレーニング用具とリハビリをしている人たち)がモノクロームから色を取り戻し、ゆっくりと動き始めるような錯覚に陥った。
 Nさんは、自分がイメージ通りに体を動かすことができたこと、そして集中力の高さなどをたくさん褒めてくれた。
 集中力の高さについては、他の療法士の方からも褒めていただくことが多かったため、自分は「これが自分にとっての強みなんだな。」と、褒めてもらった嬉しさとともに素直に受け止めた。

「ところで、手足の痛みはどうですか?」
そう問われて、手足を意識して驚いた。
 半ば引き攣ってしまっていた手足の緊張が解け、緩んでいた。そして、痛みは明らかに弱くなっていたのだ。しびれている「成分」はそのままに、痛みが抜け落ちてしまったような、そんな感じがした。信じられない気持ちだった。
 そのことをNさんに伝えたとき、さらに信じられないような光景を見た。

「ッシャ!」
という言葉とともに、腰のあたりで拳をぐっと引く仕草を見せたのだ。あのNさんが。いつも穏やかで、
深い色の水をたたえた大河のようなNさんが。

 ごく控えめなガッツポーズ?の後、Nさんはいつもの優しい笑顔で言葉をかけてくれた。
「痛みがひどい時や、眠れない時に試してみてください。」
「これ、自分で考えたの?すごいな。びっくりした。」
と尋ねると、
「先輩たちにも相談をしたり、一緒に考えてもらったりしたんです。よかったです。少しでも効果があって。」と、Nさんは答えた。

 作業療法の時間を終え、病室へ戻った自分は、ベッドの上で肩甲骨を動かしてみようとした。深呼吸をして目を閉じると、浮かんできたのは白い楕円形ではなく、電話をかけながら一生懸命何かメモしているNさんを、古い映写機で映し出したような荒い画像のワンシーンだった。

 その日以来、「少しでも良くなりたい。」と願う自分の気持ちには、動機が1つ増えた。
 「より多くの動作や運動を取り戻したい。」という気持ちに加えて、
「お世話になった人たちに喜んでもらいたい。」と思うようになった。

 そして、幸せなことに自分にはたくさんいたのだ。
 喜んでもらいたい人たちが。

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