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GⅢアイビスサマーダッシュ



序文:照星と照門


第二次世界大戦の勃発からちょうど3か月目にあたる1939年11月30日。北欧諸国への圧力を強めていたソビエト連邦は、この日フィンランドへの侵攻を開始。ソ連側は和平を求められること想定し一大戦力を投入したが、フィンランド軍は徹底抗戦の構えをみせた。

世にいう「冬戦争」の幕開けである。

この戦いにおいて講和条約が締結されるまでの4か月間、フィンランド国防軍に「白い死神」の通り名で、ソ連軍を恐怖の底に陥れた一人の兵士がいた。

シモ・ヘイヘ
“人類最強の兵士”と畏怖された伝説的スナイパー。

確認戦果は542人。スナイパーとして射殺した人数では世界戦史史上最多と言われている。ヘイヘは自身が負傷するまでの僅か約100日間にこれを達成した。
ヘイヘの愛用したモシン・ナガンのライフルにはスナイピング用のスコープが付けられていなかった。当時の軍事技術でも倍率3.5~4倍のスコープを装着することが出来たが、ヘイヘはこれを嫌った。銃に備え付けられた鉄製の凹凸、照星と照門だけで狙撃を行っていた。モシン・ナガンライフルの銃口初速は850 m/秒。標的にされたら最後、撃たれた敵兵は、何が起きたかもわからないまま絶命したはずだ。
ヘイヘの活躍を重大な脅威とみなしたソ連軍は、彼専用の包囲作戦を敷き暗殺指令を下すほどであったが、そんな騒ぎとは裏腹にヘイヘは淡々と任務を遂行し続けた。
時に-40°にもなる極寒の中、ヘイヘは冷静にただひたすらライフルを構え、撃ち続けた。彼の放った銃弾は300m以内ならほぼ確実に敵兵の頭部を撃ち抜き、最大距離で450mもの長距離狙撃を成功させた。YouTubeなどでライフルによる狩猟の様子を視聴することが出来るが、どれも100m~400mくらいの距離でスコープを使用した狙撃を行っている。当時の銃の性能と人間の視力の限界を考えると、ヘイヘの残した戦果は常識では測れない。
シモ・ヘイへは冬戦争終了後、その功績を評され異例の5階級特進となった。史上最多の殺害戦果を記録したことを、彼自身はどう思ったのだろうか。「自分は与えらえた任務を遂行しただけ。」とヘイへは多くを語らなかった。2002年96歳で没したが、その時まで彼は表舞台に出ることを拒んでいた。
防人として祖国の英雄になった寡黙なスナイパー。
その胸中を推し量ることはもうできないが、彼の英雄譚はこれからも語り継がれていくことだろう…。

さて、時は流れ現代日本の夏競馬。まるでライフルから放たれた銃弾の如き快速馬が、日本唯一の直線重賞レースを2度制した。

カルストンライトオ
瞬間最大時速75kmは日本競馬史上最速。
02年・04年のアイビスサマーダッシュを制覇した。

鞍上大西直宏に導かれ、04年にはGⅠレースであるスプリンターズSの戴冠も果たした。
カルストンライトオは1998年北海道浦河町にて誕生した。オーナーは実業家の清水貞光。清水工務店の代表であり、若い頃から競馬に傾倒し30歳の時に馬主免許を取得。会社経営の傍ら競走馬の育成にも熱心で、栗東トレセンの程近くに自身のファームを所有していた。
後の2015年菊花賞を勝利し、GⅠ7勝を挙げたキタサンブラックの調教師・清水久詞氏の実父である。
“カルストン”という清水固有の冠名は、建材として扱われる軽石が由来となっており、自分の名前を一度馬名に組み込みたいという本人の意向から貞光の「光」=ライトとし、「王」と組み合わせたかったが、馬名文字数の制限から「カルストンライトオ」となった。
ライトオの父は英国のウォーニング、世界的に希少なマンノウォーの血を引き、88年にアイルランドの名手パッド・エデリーをその背に、GⅠ2勝を挙げる活躍を見せた。
マンノウォーは1919~20年にかけて21戦20勝の戦績を誇った米の伝説的な名馬。ブラッド・ホース誌による『20世紀米国の100名馬』第1位に選ばれている。
ライトオの母オオシマルチアは条件戦で4勝を挙げたのみで目立った活躍こそなかったが、その母オオシマスズランは猿橋重利とのコンビで条件戦からOPまで5連勝したことのある快速牝馬だった。3歳時には幻の桜花賞馬ともいわれていた。
幼駒の頃は大人しく、人懐っこい性格だったらしいが、その血統は間違いなく名馬のそれだろう。そしてその血筋はいずれ短距離の王になることを予見し、末脚を爆発させる日をこの時から待ち侘びていた…。
2000年、栗東・大根田裕之厩舎からデビュー。京都1200mの新馬戦を4馬身差つけての勝利、鞍上は小池隆生だった。
続く500万下のかえで賞も勝利。順風満帆といえるスタートだった。3戦目に迎えた初重賞、GⅠ朝日杯では距離延長の影響もあり10着と大敗。以降は勝ち負けを繰り返していくことに。葵Sや北九州短距離といったOP戦では快勝するも、重賞となるとその壁に跳ね返されることが多く、競馬ファンからその素質を買われながらも、大一番では勝ちきれない、そんなレッテルを張られてしまった。
そんなライトオに転機が訪れたのは2002年、鞍上に大西直宏を迎えた頃だった。
大西はこの時42歳、すでにベテランの域に達していたが、97年にはサニーブライアン騎乗で皐月賞と東京優駿を制覇。押しも押されもせぬ、ダービージョッキーであった。

そして大西直宏の騎手人生もまた、毀誉褒貶の激しいものだった。

80年にデビュー、同年3月にダストシルバー騎乗で初勝利を挙げると、年間9勝の成績で「民放競馬記者クラブ賞(最優秀新人賞)」を受賞した。翌2年目には第1回のジャパンカップにゴールドスペンサー騎乗で出場。日本調教馬最先着となる5着を記録した。
翌年アラブ大賞典で待望の重賞初制覇を飾ったが、成績とは逆に大西への騎乗依頼は徐々に減っていった。
養成課程の頃から大西はその高い騎乗技術を評価され、逸材と言われていた。デビュー当時の活躍も先述したとおりである。しかし、騎手としての腕前だけでやっていける世界ではない。自らを厩舎や馬主に売り込んで騎乗依頼をもらう、いわゆる「営業」が大西は大の苦手だった。口下手でシャイな性格が災いし、武骨で愛想がないと不評を買ってしまっていた。もともと競馬関係者ではない出自、競馬サークルと無縁の境遇も不運だったといえる。
大西以上に悔しがったのが師匠の中尾だった。「あいつは腕はあるんだが、口下手で…」と、成績低迷の理由を騎手としての腕前ではないことを世間に喧伝していた。
91年には年間勝利数が1勝のみとなった。大西のことを「忘れられた騎手」として報じる競馬メディアもあった。それでも無口な騎手は、ただ寡黙に黙って、目の前の騎乗をこなすだけだった。

大西の運命を変えたのが97年、ダービー馬サニーブライアンとの出会いだった。
馬主は宮崎守保。埼玉県の市議として活躍した人物で、晩年は競馬に心血を注いでいた。
大西が第1回ジャパンカップで騎乗したゴールドスペンサーやGⅡ重賞で活躍したサニースワローの馬主でもあり、大西のことをデビュー当時から可愛がっていた。
馬主の宮崎は調教師の中尾と共に大西を主戦騎手に指名した。大西の風評は誤解であることを理解しており、その素質をいまだに信じていたからだ。
大西とサニーブライアンはその気持ちに応えた。
クラシック初戦、皐月賞を11番人気ながら逃げ切り勝ち。世間をあっと言わせた。この勝利は人馬にとって初のGⅠ制覇だけでなく、大西のその年2勝目でもあり、2勝ともサニーブライアンによる勝利だった。新規の競馬ファンは一様にみな口を開け、首を傾げた。あの凄腕は誰なんだと…。
次走の東京優駿も同コンビで挑んだ。前走の勝利をフロック視され6番人気と低評価だったが、このレースでも大西は果敢な逃げを敢行した。スタートからハナを奪うと、最後の直線に入ってもサニーブライアンに並びかける馬はいなかった。TV実況は叫んだ「これはもう、フロックでも何でもない!」
府中2400mを見事なまでの逃げ切り勝ち。「忘れられた騎手」大西直宏はデビュー17年目にして、遂にダービージョッキーの栄誉を掴んだのである。
勝利者インタビューの際、大西は自らの下馬評の低さを問われこう返した。

「1番人気はいらないから1着だけ欲しい、
 そう思っていました。」

話を戻そう。
ダービー以降、大西への騎乗依頼は急増し、また本人も着実に勝鞍を挙げていった。
06年はじめてカルストンライトオに騎乗した大西は彼に対して「良いスピードが出せる馬、ただその後伸びる、という手応えは感じなかった。」といまいちな評価を下していた。
しかしこのコンビは絶妙に馬が合った。
コンビ初戦の福島TUF賞では抜群のスタートを決めるとそのままハナを譲らず勝利。確かな手応えを感じさせた。
そして2か月後の新潟、前年に新設された日本唯一の1000m直線重賞アイビスSDへ出走する。第1回もライトオは出走していたが3着に敗れていた。それでも1年前とは大きく異なる点があった。それは「新潟千直のスペシャリスト」大西直宏が騎乗したことである。
大外8枠からスタートしたライトオは二の脚で急加速、先頭に立った。
前年の安田記念2着馬ブレイクタイムの猛追をものともせず、2馬身差の逃げ切り勝ち。
カルストンライトオにとっては嬉しい重賞初勝利となった。
この時の勝ちタイム53秒7は、2024年になった今も新潟直線1,000mのレコードタイムである。またこの時残り400m〜200m間に記録した1ハロンのタイム9.6秒は、どんな名馬でも駆けることの出来ない、世界レコードでもある。

大西直宏という騎手は、例えるなら寡黙な職人気質のスナイパー、という印象である。
決して派手さも華やかさもないが、与えられた依頼を淡々とこなしていく。戦時下の英雄のように百発百中とまではいかないものの、その確かな技術はダービーをはじめ多くの勝利を撃ち抜いてきた。極寒の季節を耐え抜き、自信をもって放たれたその銃弾の如き早馬は、誰も寄せ付けないスピードで、新潟千直の王となったのである。
以降、勢いに乗るかと思われたライトオだったが、脚部に不安を抱え再び低迷することになる。03年はアイビスSDに出走することも叶わず、OPのアンドロメダSを勝っただけ。ファンからはピークを過ぎてしまったと囁かれ始めた。
しかし陣営も主戦の大西も、彼のことをまだ諦めてはいなかった。04年夏に休養明けのOPとGⅢを2、3着にまとめると、アイビスサマーダッシュに2年振りの出走。5枠5番からのスタートだったが、早々に「指定席」の外ラチ沿いへ馬を寄せ、02年を再現するような鮮やかな逃げ切り勝ちを飾ったのだ。「千直の王」はその健在ぶりをアピールすると、勢いそのままにGⅠ・スプリンターズSへと駒を進めた。昨年ライトオは13着と大敗を喫していたレースだった。

レース当日、鞍上の大西はどこか不思議な心持ちでその場に臨んでいた。
パドックを終え返し馬へ向かう。短距離馬というのは返し馬で気性を荒げる、掛かるような仕草を見せることが多いが、この馬だけはいつも違った。パドックでも返し馬でも、ゲートに入ってスタートする直前まで、ライトオはいつも落ち着き払っていた。
スタート前、後輩の仲舘英二が声をかけてきた。
「今日の馬場なら、大西さんのペースじゃないですか?」
「どうかな」と一言だけ返した。
自らの感覚が研ぎ澄まされていくのが分かった。大西はダービーを勝ったあの日のことを思い返していた。
誰からも期待されていなかった。フロックだと言われていた。それでも自分だけが馬の力を信じ、勝てると思い込んでいた。
ただなんとなく、サニーブライアンは大外枠を引くと思っていた。漠然とハナを切るだろうと、そしてそのまま逃げ切れるだろうと、なんとなく分かっていたのである。そしてそれは現実のものとなった。
ダービーを勝利してから自分の実力が認められ、騎乗依頼は増えた。だがダービーに乗れない年も多くあった。自身が出られない時は、必ずスタンドで観戦した。そうしないと、騎手として自分の中でなにかが薄れていってしまう気がしたからだ。
カルストンライトオ。この馬に乗っていると、あの時の、サニーブライアンに乗っていた時の自分を思い出す。
根拠はなかった。それでもただ確信だけが胸の内から湧いてきた。

GⅠスプリンターズS
このレースで俺は勝利するだろう。

果たしてレースは大西の、根拠のない妄信の通りとなった。
ゲートが開いた。皆様子を窺うように徐々にスピードを上げはじめる。そんな中カルストンライトオは早々と先頭に立つ。大西のイメージしていた展開だった。前年王者、名刀デュランダルは恐らく最後方から、中途半端なリードではあっさり差し切られてしまうだろう。
第4コーナーを回る頃には後方に5馬身差以上つけていた。今日は不良馬場、このリードならいける。直線で大西は果敢に鞭を入れた。残り100mを切っても並びかける馬は現れなかった。
4馬身差の圧勝をもってカルストンライトオは勝利した。一時は終わった馬と揶揄されたその短距離馬は、同じく不遇の時を過ごした騎手に導かれ、初のGⅠ制覇を成し遂げた。
鉄製の銃身に備え付けられた、照星と照門が、ピタリとはまった瞬間だった。
寡黙で口下手な職人気質のスナイパーが放った銃弾は、ただ真っ直ぐに飛んで行き、新潟とさらにその先にある単距離王の玉座を正確に撃ち抜いたのである。

大西直宏は2006年12月に26年間の騎手生活から引退した。通算6620戦521勝。歴代の練達らと比べると決して大記録ではないかもしれない。それでも熟練の狙撃手が残した数々のスナイピングは、多くの競馬ファンのハートを射貫いてきた。毎年ダービーの季節になると、あの世紀の逃げきり勝ちを思い出す者は私だけではないはずだ。

カルストンライトオは、05年のスプリンターズS10着をもって競走馬生活を退いた。生涯成績36戦9勝の記録は、圧倒的な強さの裏付けにはならない。スプリンターというカテゴリーで括ったとしても、彼以上の名馬は数多くいるだろう。
ただ、彼よりも速かった馬は長い日本競馬史の中でも他に類を見ない。新潟のあの直線、ライトオが記録したタイムを破る馬は、いまだ現れていないからだ。

今年もこの季節がやって来た。18頭のゲートという名の銃座から放たれる一斉射撃。その号砲が鳴り響く瞬間は、もうすぐそこまでやって来ている…。

照星と照門を合せ、引き金を引く。

解き放たれた銃弾はもはや、

何者にも止めることはできない。

撃ち抜くのは越の夏空か。それとも、

そのはるか先にある王の座か…。

「GⅢアイビスサマーダッシュ、まもなく出走です。」

「韋駄天」の愛称で親しまれたカルストンライトオ。
2024年2月、繋養先の日西牧場にて老衰のため死去。
天国でも思いのままに駆けていて欲しい…。R.I.P


はじめに -コース攻略-

お疲れ様です。久しぶりにnoteをしたためてみました。冒頭コラムをお読みの方、ご一読いただきありがとうございました。今回はウマ娘でも沸騰中のカルストンライトオの物語を書いてみました。主戦の大西騎手は、やはりなんといってもサニーブライアン騎乗でダービーを勝利しており、寡黙な職人気質な感じが大好きな騎手でした。共感していただける方がいらっしゃいましたら僥倖です。

さて今回はGⅢアイビスサマーダッシュということで、新潟直線1000mコースへの傾向と対策…多くの方が既にご存じかもしれませんが初心に帰るのも悪くないと思いますので…を解説してから、過去10年統計の有力データと推奨馬を挙げたいと思います。
今までのGⅠ攻略とは少し趣が異なりますが、GⅢ重賞ということでご了承ください。

日本唯一の直線コースは新潟競馬4コーナー奥のポケットからスタートします。当然のごとく距離は短いですが、単純なスピードだけで押し切ることは難しく、最後の300mでひと伸びする短距離馬としての底力が問われます。

意外と知られていないことが多いのですが、新潟千直は真っ平かというとそうではなく、スタート地点から上り坂になっていてその後で下り、その後もう一度緩やかなアップダウンを繰り返し、平坦になるという特徴があります。ダッシュ力だけでは押し切れない理由はこのあたりにあります
アイビスSDに限らずコース全体の統計として、芝1200mを逃げて最後に足を止めてしまうような馬が、変り身を見せるケースが散見されます。またダートを主戦場としてきた馬が激走をみせることもありますので、要注意です。

昨年のレースを振り返ってみましょう。勝利馬はオールアットワンス、内枠3番から外に出して後方を進み、前半3F32秒2、後半3Fはメンバー2位の32秒3で差し切り勝ち。鞍上石川騎手は見事な馬群の捌きっぷりでした。前走は前年のアイビスSD6着でした。1年ぶりのレースを9人気から制しました。オールアットワンスは21年の同レースも制しておりリピート優勝、重賞2勝目を飾りました。2着は前走韋駄天S3着のトキメキ。500㌔の超の大型馬が軽斤量55㌔で激走しました。


過去10年お役立ちデータ集

いわずもがな「基本は外枠」

当該コースの過去5年の枠番別成績をみるとやはり8枠が抜けており、勝率12%・連対率24.5%超と圧倒的です。それに比して1枠は率が極端に低く、勝率1%未満、連対率4.5%とかなり厳しい現実が。有力馬&推し馬が1枠に入った場合は素直に評価を下げることをお勧めします。
またアイビスSDに限れば8枠が【4-2-1-17】と6連対を記録しています。
ここの項目は過去5年の集計です。スイマセン…。

高齢馬&前走惜敗馬も外枠なら

17年は8人気のラインミーティアが、22年は7人気のビリーバーがそれぞれ8枠から優勝しています。2頭の共通点は前走韋駄天S4着の7歳馬だったこと。外枠なら、前走惜敗、下位人気、高齢馬でも買えると思います。

馬体重に注目

460㌔以下で連対した馬は過去10年2頭のみ、この2頭は51㌔の3歳牝馬でした。小柄な馬は活躍が少なく、もし狙うなら軽斤量の牝馬がよさそうです。平均すると480㌔前後の馬が多く連対していますが、500㌔以上で馬格のある馬は3人気以内であれば【2-2-0-6】というデータが。先述したトキメキのように、馬格を有し且つ軽斤量に恵まれた馬がいたら要注意です。

堅めか荒れるかは誰にもわからない?

Xのポストに「よくわからないレース」とのリプライをいただきましたが、本当によくわからないです笑
1人気は過去10年で8連対しており、信頼度は高めと言えます。一方6~9人気で5連対しており、昨年は馬連万馬券決着でした。過去2年は1人気が崩れて波乱を呼んでいます。上位人気から軸を1頭選出し、6~9人気を絡めて妙味を得るのが無難かもしれません。2桁人気の馬は10年で連対「0」でした。

逃げ・先行有利

過去10年のうち7年で逃げ馬が連対しています。先行馬は5連対。昨年のような差し切りもありますが、前残りの方が多いです。直線1000mでの連対実績を重視したいところ。

ダートでの激しい競争経験が生きる

過去5年の連対馬10頭のうち6頭にダート短距離での勝利経験がありました。連対した6頭は全て3人気以内。22年はダート短距離で4勝を挙げていたシンシティが2着に。ダート短距離実績馬に注目しましょう。

夏は牝馬。年齢は5歳馬が優勢

過去10年の連対馬全20頭のうち13頭が牝馬でした。
また馬齢別にみると
3歳【1-2-1-6】
4歳【2-1-0-22】
5歳【4-5-5-33】
6歳【0-2-3-33】
7歳以上【3-0-1-36】となっています。


森タイツ式推奨馬の紹介

夢を追う乙女

同じ新潟1000m走、アイビスSDと最も関連の深い韋駄天Sを勝利。
想定1人気、チェイスザドリームは優勝最有力とみてよいでしょう。
その韋駄天Sでは内枠に入ったマウンテンムスメにハナを奪われるも2番手を追走、残り400mを切った地点で加速し先頭へ立つと、そのままゴールインしました。走破タイム55秒はなかなか優秀で、19年ライオンボスがSDを勝利した際のタイムとほぼ同等です。

チェイスザドリームはロードカナロア産駒。国内外でGⅠを6勝。そのうち5勝が1200mと生粋のスプリンターでした。母であるゴールドチェイスはJRAダート1400mで1勝を挙げてます。血統的に注目すべき点は父がミスタープロスペクター系の馬で、母父サンデーサイレンス系の馬は近年好走傾向が強く、21年以降で【1-2-0-0】のデータがあります。下地としては十分に期待できると思います。

チェイスザドリームは長い間ダートで実績を作ってきた馬で、先述したデータに合致する点は大きな強みと言えるでしょう。
また、鞍上は前走勝利した丸山元気騎手から坂井瑠星騎手に戻ります。管理厩舎の矢作調教師との師弟関係はいわずもがな、今期もリーディング4位と好調をキープしています。懸念点としては新潟1000mでは過去1勝も挙げていない点。とはいえ既に多くの勝利の味を知る騎手となった若きエース、そこまで心配しなくていいかもしれません。チェイスザドリームの重賞初制覇に期待しましょう。

期待度は満点娘

韋駄天S2着、勝ったチェイスザドリームに一歩リードされるも、ここでの逆転も可能。マウンテンムスメです。
前走では3枠5番の内枠ながら抜群のスタートでハナを奪うと、14番人気からの激走であわやという場面を作りました。フロックではなかったことをここで証明したいです。

マウンテンムスメはアドマイヤムーン産駒です。アドマイヤムーンはJCなどを制しGⅠ3勝を挙げた名馬ですが、産駒で真っ先に思い出されるのがファインニードルではないでしょうか。高松宮記念とスプリンターズSの短距離GⅠの両方に勝っています。またセイウンコウセイやハクサンムーンなどやはりスプリント重賞で活躍している馬が多く、バリバリの短距離血統と言えるでしょう。気になる新潟芝1000mでも高い連対率・複勝率を誇っており、血統的にはまず問題ないでしょう。

この馬で気になっている点が一点。
前走の前、最後に連対したのが22年10月だったのですが、以降は調子を落とし低迷し続けてきました。その期間、この馬の馬体重はずっと460㌔前後を推移しており、昨年10月に増減+18で出走すると、前走韋駄天Sではさらに増の480㌔まで馬体重を増やしてきました。今年で6歳になりましたが、なんとなく、充実期に入ったのではないかと推測しています
今年のVMで2着に入ったフィアスプライド然り、この時期での牝馬の覚醒というのも決して珍しくないと思うので…。
今回同等の馬体重、もしくはややプラスまでだったら十分期待できそうな気がします。そして鞍上は「千直女王」藤田菜七子。過去5年では当該コースの勝率約1割をキープ。連対率は12%を超えます。
藤田騎手のおめでたいニュースも流れてきたばかりです。この重賞で勝利をおさめ、自らのウェディングロードに花を添えることが出来れば、最高ではないでしょうか。

グレイテスト・スプリンター

前走千直を走った馬を2頭挙げましたが、1200m戦組にも妙味はあると思います。7歳にして初の直線競馬参戦、ウイングレイテストです。
前走函館SSでは斤量59㌔を見込まれながら2着と好走。今までも距離短縮時に好成績を収めてきた実績があるため、さらに1F短縮のここも期待してもいいのではないでしょうか。

ウイングレイテストはスクリーンヒーロー産駒。この産駒の最も得意とする距離は芝1400m~1600m、イメージとしてはモーリスやグァンチャーレの印象が強いです。従ってこの直線重賞でその血統の力をどこまで発揮できるかはいささか不明瞭ではあります。過去データを遡ってみると、スクリーンヒーロー産駒の新潟1000m戦は過去21戦拾うことが出来て、1着2回2着0回でした。勝率・連対率ともに9.5%、複勝率は19%と悪くはないです。ただπとなる数字が少ないので、信頼に足るデータかというと少し怪しいですね。

今回も前走に引き続き59㌔の斤量を見込まれましたが、過去10年59を背負って馬券内に入った馬はいません。かなり厳しい展開にはなると思います。もともと差し脚質ですから、ここは外枠を期待するのではなく。中~内よりの枠を引いたときに思い切って賭けてみるのも面白いかもしれません。鞍上の松岡騎手は、かつて新潟開催でリーディング取ったこともあった騎手です。その腕はいまだ錆び付いてはいないでしょう。この人馬での出走はこれで20戦目、戦友という言葉がぴったりなコンビだと思います。7歳ベテラン馬の重賞2勝目をかけて、激走に期待です。



おわりに-短評を添えて-

ここまでお読みいただいた皆様、誠にありがとうございました。今回の推奨馬は3頭のみと少なくなってしまいました。まあ今回はGⅢ重賞ということで、このボリュームで終ることをお許しください。最近は仕事も多忙で、なかなか時間が作れない中徹夜で仕上げましたので…。現在木曜早朝5時、空が徐々に明るくなってまいりました笑
最後になりますが、イラスト抜きで有力馬の短評を添えて(いや添えるんかい)今回のnoteを了とさせていただきます。
次回は札幌記念を予定しています。また読んでいただけると嬉しいです。Xの方も引き続きよろしくお願いします。新規の方もお気軽に絡んできてくださいね!では。

📝ファイアダンサー

武藤雅騎手鞍上で大惨敗を喫した昨年のアイビスSD、あの時は夏バテという明確な理由がありました。それから5戦して馬券内に入ること3度、丸山騎手・丹内騎手を背に立て直してきました。今回はここでリーディング上位騎手である戸崎圭太騎手のテン乗りです。新潟では毎年のようにリーディング争いをする実力者、もちろん期待できると思います。新潟千直は過去67戦して勝率9%・連対率14.9%・複勝率32.8%と悪くないです。
この馬は韋駄天S3着でした、今年の韋駄天は上位3頭全て牝馬となりましたが、その流れがアイビスに来てもおかしくないような気がしています。

📝マイヨアポア

韋駄天S6着。この馬で注目すべきは昨年8月の稲妻S(3勝クラス)。馬番5番で恵まれていたわけではありませんでしたが、後方から馬群を縫って差し切りました。次走は不良馬場で9着、その次走韋駄天Sでは6着。仕上りは悪くなかったようですが、鞍上の横山琉人騎手は少しもったいない騎乗をしたな、という印象でした。今回はアイビスSDで実績十分の石川裕紀人騎手に乗り替りです、得意の差し脚を活かせる展開とコース取りが叶えば、上位進出も可能ではないかと思います。

📝モズメイメイ

北九州記念組から一頭、モズメイメイに注目したいです。昨年5月の葵Sでは武豊騎手を背に、奇跡のロケットスタートを決めて快勝。以降勝ちから見放され続けてましたが、前走北九州記念では人気薄からの激走、1人気で川田騎手騎乗のサーマルウインドを抑え込んでの直線は、非常に見応えがありました。鞍上国分騎手とも手が合っているようですし、騎手自身も調子を上げてきています。気性難の馬につき扱いには注意ですが、得意のスタートから逃切り勝ちも十分見えます。外枠を引いたら期待が膨らみますね。


今回参考にさせていただいたサイト


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