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私たちが考える朴鐘顕くんの裁判に関しての重要な問題点

はじめに

この文章は、朴鐘顕(パクチョンヒョン)くんの大学時代の友人である私たちが、朴くんの担当弁護士(この文章の最後にコメントを掲載しています)・元同僚・お母様などに伺ったお話と、判決文などの公的記録に基づいて記載したものです。
どうか最後までお読みになり、私たちと同様この裁判が不当で納得のいかないものだとお感じになった際には、最高裁長官宛「私たちの友人に公正な裁判をお願いします!」の署名にご協力下さいますようお願い申し上げます。

*いただいた署名は、最高裁長官に提出されるのみで、どなたが署名されたかは一切公表されません。また、いただいた個人情報は、署名提出以外の目的では使用しません。

早川聡 佐野大輔 宮本昌和


署名の送付についてはホームページをご確認ください。https://freepak3.wixsite.com/shomei
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私たちが考える朴鐘顕くんの裁判に関しての重要な問題点

2016年8月9日、とても悲しい出来事が起こりました。

朴くんの妻、佳菜子さんが38歳の若さでお亡くなりになったのです。佳菜子さんが急逝されたことに大きなショックを受けていた中、さらに2017年1月10日、朴くんが妻殺害容疑で逮捕されるという信じがたい事態に直面しました。

朴くんは一貫して容疑を否認、無罪を主張しています。

2019年3月6日 、一審(東京地裁)は朴くんに懲役11年の実刑判決を下しました。朴くんは翌日控訴。

そして2021年1月29日、東京高裁は、朴くんからの控訴申し立てを棄却しました。


「衝撃的な高裁判決」

2021年1月29日、東京高裁は、朴くんに有罪判決を下しました。
それは衝撃的な判決内容でした。

外見上は一審と同じ判決の高裁判決が、このような衝撃を与えたわけは、
高裁において、膨大な新証拠、新証言が出され、
一審のときとは佳菜子さんが亡くなった事故現場の状況が一変しており、
「これは逆転無罪が出る」と思われていたためでした。

朴くんは無実であり、殺人などしておらず、
殺人事件などそもそも起きておらず、 
これは明白な冤罪だ、と私たちは考えています。

朴くんは一貫して、容疑を否認しています。

同時に、奥様の佳菜子さんがなくなって以来、佳菜子さんを自殺から守れなかった自身を責め続け、憔悴しています。

そして、ご遺族である佳菜子さんのお父様も、朴くんの無実を信じています。お父様は、朴くんの無罪を求める上申書を最高裁に提出なさいます。

どうかみなさま、この署名に加わり、朴くんとお子さんたちをお救いください。

これまでの朴くんの事件に関する数々の報道では、誤った情報や悪意のある憶測などが含まれておりますが、ここに書いていることはすべて、
裁判記録や判決文などの公的記録で裏付けられることです。

朴くんは本当に「殺人をした」のかどうか。
「これは殺人事件だ」と断定してしまっていいのか。
朴くんが裁かれた裁判は公正なものだったのか。
どうかみなさん、以下をお読みになり、ご自身でご判断ください。

①その夜、起きたこと(朴くんの供述と検察の主張)

朴くんの供述の概要は、以下の通りです。

2016年8月9日深夜。

朴くんが帰宅すると、佳菜子さんが2階のリビングで包丁を持って立っていました。様子がおかしいと感じた朴くんは包丁を取り上げようとしましたが、佳菜子さんはそのまま生後10か月の末っ子がいる1階の寝室に向かいました。朴くんはあわてて佳菜子さんを追いかけ、寝室でもみ合いになりました。朴くんがうつ伏せの佳菜子さんに覆いかぶさって押さえ込み、静かになったところで末っ子の様子を確認していると、佳菜子さんが再び包丁を持って立っていました。

朴くんは急いで末っ子を抱きかかえ、他の3人の子供たちが寝ている2階の子供部屋へと避難、ドアに背中を押し付け、ドアが開かないようにして閉じこもりました。(朴くんがドアに背中を押しつけていた痕跡(埃がない)と、ドアの反対側に佳菜子さんが包丁を突き立てていた跡が12カ所、証拠として残っています)

この間、朴くんは、ドアの向こうの階段の方からの「ドドドン」という音を聞いています。やがて末っ子は、朴くんの腕の中で再び眠りました。
数十分後、ドアの向こうが静かになったと思い、朴くんは恐る恐る子供部屋から出ました。

末っ子を寝かせに、寝室へ行こうとすると、
佳菜子さんが、階段の手すりに巻きつけたジャケットを使って、自死していました。

これが当日起きたことです。ドアに客観証拠はありますが、基本的には朴くんの証言のみが根拠です。
(お子さんたちも、朴くんの話を裏付ける記憶を持っており、警察による聞き取りにもそのことを話していますが 、裁判所は、不可解にもお子さんの証人申請を却下したので、裁判記録には存在していません)

一方で、検察官の主張する「殺人事件」の概要はこの通りです。

朴くんは1階寝室でも揉みあっている中で、佳菜子さんの首を腕で絞め殺害した。その際、完全死となる一步手前で首を絞めるのを止め、脳死状態の佳菜子さんを7mほど離れた階段下まで運び、さらに階段途中まで担ぎ上げ、そこから突き落とした。 佳菜子さんはそのまま、脳死から完全死へ至った。というものです。

ただの絞殺ではない、複雑な構成になっています。
検察官がこのような複雑なストーリーを示さなければいけないのには理由があります。

階段や階段の下あたりに、多くの血痕があるためです。

亡くなったとき、 佳菜子さんのおでこには傷ができていました。どのようにして傷が出来たのかは、朴くんにもわかりません。

普通に考えれば、寝室でのもみ合いの後、佳菜子さんが階段で転んだか何かで怪我をし、出血した、と思われます。

しかし、それでは「殺人事件」とはできないのです。
検察官の主張する「殺人の証拠」は寝室の中にしかないからです。でも血痕は階段や階段下にあります。したがって、「犯人」は寝室で脳死状態まで首を絞め、その後、佳菜子さんを階段まで動かし、そこでおでこに傷を負わせた。という複雑なストーリーになっています。

朴くんと検察官、両者の主張はこのように真っ向から異なります。
(死因はいずれも窒息死です)

立証責任は検察官にあります。 検察官はこの殺人事件ストーリーが100% 確実であることを証明しなければいけません。 それが裁判のルールです。

佳菜子さんは自死したのか、それとも腕で首を絞められた殺人事件なのか。
「証拠」はどちらに有利でしょうか。見てみましょう。

②他殺か自死か(1):自死を示す証拠
②-1 索状痕

驚くべきことに、自死の証拠がはっきりとあります。

佳菜子さんの首に「索状痕」があったことが、法廷で明らかになりました。
索状痕(さくじょうこん)とはヒモやロープが巻きついた時にできる圧迫の痕で、首を吊っての自死の際にできる典型的な特徴です。手や腕で首を絞めたのでは、索状痕はできません。

オビ状の均一な赤い線。
そんな索状痕が、佳菜子さんの首の前半分だけにあったことが、
救急隊員さんの証言と「亡くなった直後の写真」で発見されたのです。
首の前側半分だけです。

この索状痕が鮮明な検視写真を、法廷で初めてみた法医学者は、
「これはオビ状痕とも言える、広めのはっきりとした索状痕であり、ヘッドロックよりも、何か幅広の索状物で首が絞まったとする方が考えやすい」
と証言しました。(この法医学者は、「ヘッドロック」を腕による首絞め全搬という意味で使用しています)

これは、他殺説の否定に近い証言です。

さらに、自死に使用されたジャケットを手にとって確かめ、
「このジャケットによる首つり自殺でできた索状痕だとして矛盾ない」と証言しました。

この司法解剖も行った法医学者は、日本でも指折りの優秀な法医だと言われています。
その法医が「自死」を支持しているのです。

索状痕は強力な自死の証拠です。
この自死の証拠よりも、より確かな殺人事件だという証拠があるかどうか?
みなさま、この先を読んでご判断ください。

②-2 ジャケット

自死の証拠はさらにあります。
佳菜子さんが自死に使用したジャケットに佳菜子さんの「だ液まじりの血痕」がついているのです。

窒息死する過程で首から上がうっ血したとき、毛細血管が破裂して、口の中に血がにじむことがあります。それが洩れ出たと思われる「だ液と血が混在したもの」がジャケットから検出されているのです。

このジャケットは寝室には持ち込まれていない*ので、この「だ液まじりの血痕」は、ジャケットによる自死の場合にしかつきようがありません。
これもきわめて有力な自死の証拠です。
この証拠は、高裁において初めて提出された新証拠です。

そして高裁判決は、この「ジャケットによる自死」の証拠について、一言も言及しておりません。

* 高裁判決では、寝室でのもみ合いの際には「被告人がジャケットを着用していた可能性は十分にある」と述べられています。一方、朴くんの腕にあった佳菜子さんの爪による傷について、医師は「服の上からではこういう傷はつかない」と証言しています。

③当日の佳菜子さんの状態

心理面でも自死と関連する事実があります。

佳菜子さんは、夏休み中ほぼ一人で0歳児を含む4人の育児をしていました。
当日、亡くなる数時間前、
佳菜子さんは、朴くんに15件ものメールを送っています。
その内容は、
「夏休みが長い。息切れ状態」
「1日1日過ごすのが精一杯」
「夕ご飯が決まらない。夕ご飯のこと考えられない」
「力が入らない」
「涙が止まらない」
「全部楽しくない」
などでした。
お子さんのハンディキャップについてのメールもありました。
 

佳菜子さんは当時、「産後うつ」と診断されており、
一審判決でも、佳菜子さんが当夜、普段とは違う状態にあった、と認めています。

④ 他殺か自死か(2):他殺の疑惑
④-1 自死の事実を伏せた理由

朴くんが疑われることになった、大きなきっかけは、はじめ、朴くんが 佳菜子さんの自死を隠していたことでした。

子供たちに対して、<ママが自殺したなんて絶対に言えない>と思った朴くんは、現場に臨場した警官に、
「階段から落ちたことにしてください」と言い、そのままその日は「子供部屋から出たら、階段の下に倒れていた」と、自死の事実を伏せました。
(自死以外の部分は、ありのまま話しています)
これが「怪しい」として、裁判でも朴くんは、検察官から糾弾されていました。
しかし、身内の人が自死で亡くなったとき、残された家族を悲しませないために、それを言いたくない、隠したいと思うのはむしろ自然なことではないでしょうか。
朴くんは、翌日の8月10日の聴取では 、佳菜子さんの自死を含め事実をありのままに話しています。

当初「階段の下に倒れていた」と言ったからといって、自死の話も嘘だと断じるのは、あまりに飛躍がすぎるのではないでしょうか。

④-2 寝室の失禁の痕跡

朴くんへの疑惑の裏付けとして、いくつかの「殺人の証拠」が指摘されてきました。
まず問題になったのは、1階寝室の布団(判決文ではマットレス)に残っている佳菜子さんの失禁の痕跡です。
人は窒息死する過程で、失禁を起こすことがあります。
したがってこれは、この布団の上で首を絞められて窒息死した証拠だ、というのが検察官の主張です。

しかし、これは裁判で法医学者によって否定されました。
複数の法医学者が「失禁というのは、ありふれた現象であり、わずかな時間、気を失っただけでも失禁は起こるし、激しく動いたり、興奮した状態でも失禁は起こり得る」と証言し、 失禁は殺人の証拠にはならないとしました。朴くんと佳菜子さんが、寝室でただ揉みあっている中で、失禁した可能性も十分にあるということです。

高裁でもやはり、失禁の痕跡を殺人の証拠とするのは不合理である、と認められています。
これが 検察官の出した最大の「殺人の証拠」です。 

さてこうして、寝室での「殺人の証拠」が希薄なものであることがはっきりしたため、裁判の焦点は次第に「寝室の後」に移ってきました。

④-3 おでこの傷と血痕

①で述べた、 自死の状况と、検察官の殺人事件ストーリーを比べてみてください。 両者の最も大きな違いは「寝室の後」にあります。

自死の場合は、寝室を出た後も、佳菜子さんは生きています。

一方で検察官のストーリーでは、
寝室を出た(出された)時点で佳菜子さんは亡くなって(脳死して)います。

この違いが、裁判の最大の争点として集約されたのです。 (「殺人の証拠」があまりに弱いため、朴くんを有罪にするためには、なんとかしてここを“新争点”にするしかなかったと思われます。)

その争点とは、寝室の後、佳菜子さんがおでこの傷を負ったとき、はたして生きていたのか?
それとも、すでに亡くなっていたのか?
ということです。

高裁ではこの新争点を中心に、審理が行われました。

素朴な疑問を抱く方もいると思います。「でも傷を負ったとき、すでに脳死していた、だなんてそんな不思議なことがありえるのか?」
「そしてそんなことを「証明」なんてできるのかしら?」と。

では、実際の裁判の「証明」をご覧ください。 
朴くんはこのようにして、「殺人をした人」となりました。
それは正当な判決だったでしょうか?

⑤高裁の示した有罪の根拠(1):「手に血がついていない」

高裁が朴くんを有罪とした第一の理由は「佳菜子さんの手に血がついていない」ことでした。 

どういうことか?

繰り返すと、
亡くなった佳菜子さんには、おでこの左側に傷がついていました。
おでこの左上のほう、やや外側です。
長さ3cmくらいの傷です。
これは、佳菜子さんが自死するよりも前に、転んだか何かで怪我をしたのか?
それとも、首を絞められて亡くなった後に、犯人によって怪我をさせられたのか?

単純に言うと、この傷ができたときに佳菜子さんは生きていたのか?
それとも、もう亡くなって(脳死して)いたのか?
それがこの裁判の最大の争点となりました。

生きているときの傷なら、自死

脳死しているときの傷なら、殺人事件

ということです。

この傷が 「疑いの余地なく」脳死中の傷だと証明されれば、
これは殺人事件となるのです。

そして1月29日、東京高裁は「佳菜子さんの手には血がついていないから」
これは自死ではなく殺人事件であるとしたのです。

「手に血がついていないから、このときすでに佳菜子さんは脳死していた」
どういうことでしょうか?

判決文では、このように説明しています。

「こうやっておでこを怪我したら、人は必ずその傷口や周囲を手でさわるはずだ。しかし佳菜子さんの手には、見た感じ血がついていない。
つまりこれは、このとき佳菜子さんはすでに意識がなく脳死していたという証拠だ。この傷は被告人によって、無理やりつけられた傷だという証拠だ。ゆえに有罪」ということです。

これは、ほころびの多い論理ではないでしょうか。
人はおでこを怪我したとき、必ず手でさわるのでしょうか?
それは絶対でしょうか?

傷口は手でさわってはいけないという、常識も私たちは持っています。
必ずさわるなどと言ってしまっていいのでしょうか?
それは、殺人事件の「証拠」となるほど、確固としたことでしょうか?

一審の法廷でも、朴くんの家の写真が出ていましたが、
佳菜子さんがこの傷を負ったとされている、朴家の階段下には、壁に大きめの貼り鏡が貼ってあります。
つまり佳菜子さんは顔を横に向けるだけで、傷を目で確認できます。
それでも必ず手でさわる。まず目で見る、のではなく、まず手でさわる。と断言してしまっていいのでしょうか?

…しかし、いったんいいことにしましょう。
今は仮に、人は必ず傷を手でさわるとしましょう。

実はその場合でもやはり、この有罪理由は不合理なのです。なぜなら、佳菜子さんは「一度(以上)手を洗っている」のです。
手が血で汚れたから手を洗う。普通のことです。
手を洗っていれば、手に血がついていないのも、当然のことです。

この「佳菜子さんが手を洗った」という事実には客観的な証拠があります。
たいへん重要な証拠です。

佳菜子さんが怪我をしたとされる場所のすぐそばにある洗面台に、血を洗った痕跡が残っているのです。血がついているのです。
さらに洗面所の照明スイッチにも血がついています。どちらの血も、佳菜子さんのDNAでした。
(この洗面台や照明スイッチの血痕は、高裁ではじめて提出された新証拠です)

明らかに佳菜子さんは、血のついた手でスイッチを押し、そして洗面台で手を洗っています。
つまり、手に血がついていなくて当然ですし、このおでこの傷を負ったあとも、佳菜子さんは生きていたのです。

ところが、これに対し高裁判決は
「自殺をしようとしている人が手を洗うのは不自然だ」
と言って排除したのです。洗面台の証拠については、一言も触れていません。

私たちは驚きました。
自殺をする前の人が手を洗うのは、不自然でありえないことでしょうか?
これは一体、どこの国の常識でしょうか。
普通に洗うだろうし、死を前にしていたら、むしろ洗う方が自然だと思います。
そもそも不自然もなにも、洗面台に手を洗った痕跡がはっきりとあるのです。証拠を無視して、不可解な感覚だけで決めつけるのは、公正な裁判とは言えません。

さすがに無理があると思ったのでしょうか、判決は最後にこんなことを付け加えています。
「もしも仮に手を洗ったとしても、また手で血をさわるはずだ」
だから手に血がついていないのは、やはり有罪理由となる、と。

これも、はっきりと不合理ではないでしょうか。
せっかく手を洗ったのに、いったいなぜ、また、その手で傷をさわるのでしょうか?
それは、人間の行動として、あまりに不自然だと思います。

まとめると、高裁の有罪理由はこうです。
「人は自殺前でも絶対に傷を手でさわる。何度もさわる。
しかし、自殺をする前の人は絶対に手を洗わない。
手を洗ったという客観証拠がある? それは無視します。
ゆえに有罪」と。

これは、正当な判断だとは、私たちは思えません。
これが有罪の証拠、殺人の証拠でいいのでしょうか? 
「疑いの余地ない証明」からは、ほど遠いものです。

私たちの国の裁判は、これでいいのでしょうか?

この常識感覚からは違和感のある判決によって、朴くんはもうすぐ刑務所に入れられようとしています。
4人のお子さんたちは呆然としています。

みなさん、朴くんとお子さんたちを救っていただけませんか?

⑥高裁の示した有罪の根拠(2):「顔に血がついていない」

東京高裁が、真実にフタをする、という姿勢であったことを感じさせる一幕がありました。高裁の法廷で、左陪席の裁判官が、法医学者に質問しました。

「目に血が入ったら沁みますか?」と。

法医学者は答えました。
「いえ。血も体液なので沁みません」と。 

ところが判決では何度もこう言うのです。
「目に血が入ったら沁みるので手で血をぬぐうはず。だから手に血がついていないのは絶対におかしい」と。

聞けば左陪席の裁判官は、この法廷の主任裁判官だったそうです。つまり、この判事は自分で質問し、正解を確認したのにもかかわらず、自分でこうして嘘の判決文を書いたのです。

私たち国民が傍聴席で見ている前で…。

私たちが抱いていた「裁判所」のイメージが崩れた瞬間でした。
こんなふうであって欲しくなかった。
こんな嘘はついて欲しくなかった。
(それに、そもそも傷口は、必ず目に血が入るような位置ではありません)

この高裁の審理の進め方は終始、違和感がありました。
まるで検察官が二組いるような偏った質問ばかりでした。 

一審の裁判員さんたちのほうが、まだ真実をまじめに探そうとしてらっしゃるように思えました。 
もしも、一審の裁判員さんたちがこの高裁で明らかになった新事実・新証拠を目にしたら、ためらいなく、朴くんを無罪にしただろうと私たちは信じています。

本論に戻ります。
高裁が、もう一つの大きな有罪理由としたのは、
「佳菜子さんの顔に血がついていない」ことです。
どういうことか?

説明の組み立ては「手の血」のときと似ています。
佳菜子さんが左のおでこの傷を負ったとき、もしも生きていたのなら、そのあと立って動き回るので、傷から垂れた血がまゆやほおを伝い、たらたらと下に流れる。
そんな血が顔についているはずだろう。
しかし、佳菜子さんの顔には見た感じ、血が全くついていない。
つまりこれは、佳菜子さんはこの傷を負ったとき、生きていなかった。
これは、すでに脳死しているときの傷だという証拠だ。

だから有罪ということです。

実は、これは驚くべき有罪理由です。一審の裁判員さんの認定にも反するからです。
朴くんは「佳菜の顔の左側、おでこからアゴにかけて、血がべっとりついていました。それを可哀想に思って、タオルで拭きました」と証言しており、一審の判決でも拭いた事実は認められていたからです。
拭いたら血がついていないのは当たり前です。

ところがそれに対して高裁は、朴くんが佳菜子さんの顔を拭いたというのは「嘘に違いない」というのです。
なぜ嘘だと言えるのか?
その理屈はこのようなものです。

「佳菜子さんの顔がきれいに拭かれすぎている。こんなにもきれいに拭けるわけがない。だから、顔を拭いただなんて嘘だろう」と言いました。

これは、あまりに強引な論理ではないでしょうか。

朴くんは、佳菜子さんの顔を拭いたということを、事故のすぐ直後、救急隊や警官が家に来てくれたときから話しています。
血で赤く染まったタオルもその場で警官に渡しています。その時点で、いったいどうして このような嘘をつくというのでしょう?

判決では「血を拭いた痕跡が全く見当たらないほどきれいに拭くのは困難」と言っています。しかし「拭いた痕跡」とはいったい何でしょうか? 「拭いた痕跡」などというものがこの世にあるのでしょうか?
日常、よくあることだと思いますが、血であれソースであれケチャップであれ、それが肌や顔についたとしても、ティッシュで拭いたらたちまち消えます。タオルで一度、二度、しっかり拭けば、すっかり消えてしまうでしょう。
(佳菜子さんの顔や手に、ルミノール検査などの化学検査は一切行われていません)

タオルで拭いたら「拭いた痕跡」など見当たらないのが普通のことです。この判決の言い分は不合理です。
むしろ「拭いた痕跡」として明白なのはタオルです。白いタオルが一面ピンク色になるほど、血を拭いた痕跡が残っています。朴くんが、それだけの量の血を拭いたのは確かなのです。

そもそも
「きれいに拭かれすぎているから、きっと拭いてなんかいない」というのは、論理として矛盾しています。
この傷から血が流れたのは確かなのです。
タオルが真っ赤になるくらいですから。

血は流れた。
仮に、佳菜子さんは立ち上がってなくても構いません。
生きているときの傷であれ、脳死しているときの傷であれ。
いずれにしろ、血は流れ、その血は佳菜子さんの顔のどこかを流れたのです。
その血が顔に全くついていないとしたら、これは誰かが(朴くんが)血を拭いたからです。 顔に血がついていないとしたら、それはむしろ、顔が「拭かれた」証拠なのです。
拭いていない証拠ではなく。

そして、やはり重要なことは、この「血は佳菜子さんのほおを伝って流れ落ちた」つまり、佳菜子さんはこのとき生きており、立って歩いたということにも、客観証拠もあります。

当時、佳菜子さんか着ていたTシャツ(判決文ではパジャマ)の左側の首回りと、左肩の部分にだけ、たくさんの血がついています。右側にはついていません。
そのTシャツは、一審の法廷にいた全員が見ました。

みなさま、お考えください。 
佳菜子さんの左のおでこに傷があります。
Tシャツの左の首回りと左肩にたくさん血がついています。
さて、血はどうやって流れたのでしょうか?

明白です。ほおを伝って流れたのです。

それ以外ありえないのではないでしょうか。

つまりこの傷ができたあとも、佳菜子さんは立って動いた。
この傷は生きていたときの傷であり、すでに亡くなっているときの傷ではない。
これは「殺人事件」などではないのです。高裁判決は間違っています。

そしてもう一つ。佳菜子さんの「顔の血」を証明する歴然とした証拠が存在しています。
それは、佳菜子さんが搬送された病院が撮影した写真にあります。
その診療記録の写真には、まさに佳菜子さんのおでこの傷から目尻、ほおへと血が流れた痕跡が、うっすらと写っているのです。

つまり、まさに高裁の言う「拭ききれなかった血の痕跡」です。
この証拠写真はすでに提出されている証拠であり、
あろうことか高裁は、この決定的な証拠を見落とし、法廷ではこの写真について審理されていません。に基づいて記載したものです。

写真では、血はおでこの傷から左ほおを伝って流れています。
朴くんの証言どおりの血の流れ方であり、こういった流れ方をしたということは、やはり佳菜子さんは傷ができた後に立って動いていた、生きていたということを証明しています。

この、市民の常識からは違和感のある高裁の判断によって、今、
朴くんとお子さんたちは、おそろしい不幸に見舞われています。

しかし、これは朴くんだけの不幸でしょうか?

このような裁判は 私たち全員の日常を危うくしている。そう思いませんか?

今こうして高裁判決の有罪理由を二つ見てきました。二つとも大きく、違和感を感じられたと思います。
そして、朴くんの有罪理由は
以上で全てなのです。

朴くんが「殺人をした」という有罪理由は、
証拠は、
この二つで、全てなのです。

愛しい人が亡くなったとき、
汚れた顔をきれいに拭いてあげることは罪ですか? 
おかしなことですか?
誰だって拭くでしょう?
それをしたために、朴くんは嘘つきと言われ、殺人罪の有罪理由とされてしまいました。

みなさん、どうかこの悲劇を止めてください。

⑦ 脳死中の傷か、活動時の傷か

すでに述べたとおり、朴くんの裁判では、
佳菜子さんのおでこの傷が、
生きているときの傷か、
脳死しているときの傷か、が最大の争点となっています。

「殺人事件だ」という明確な証拠が存在しないため、そのようになっています。

生きているときの傷なら自死、
脳死中の傷なら殺人事件、
ということです。

一審の裁判で有罪理由となったのは 「現場の血痕が少なすぎる」ということでした。

一審では、現場には15ヶ所血痕があるとされていました。 
佳菜子さんが傷を負った後、生きていて動き回ったのなら、血痕がもっと床や階段につくはずなのに少なすぎる。
だからきっと、生きていたときの傷ではないだろう。という有罪理由でした。

15ヶ所もあって、はたして少ないか?
という疑問は残りますが、この前提は高裁で一変しました。

新証拠によって、現場には、合計28ヶ所の血痕があったことが分かりました。
倍近くです。階段の上の方でも、血痕が見つかっています。明らかに佳菜子さんは、傷を負った後も生きて動き回っています。
さらに、傷からの出血の仕方も、一審では検察官側の法医学者が「この傷からは血が噴き出るように、400mlも出血する」と証言しましたが、高裁において、それは全く誤りであることが分かりました。
「出血量は数10mlであり、血はじわじわとしみ出るように出血する」
と、法医学者も救命救急医も証言しました。
また、生きている人間の傷を診るのが専門の救命救急医は二人とも、
「この傷は放っておいても、数分で自然止血する」
と述べました。その程度の傷なのです。

これによって現場の状況は一審とは全く違う景色になりました。

一審の有罪理由は、全く間違っていたことが明白となったのです。
証拠は自死を示しており、朴くんの無実が明らかになったように思えました。

しかし、青天の霹靂とも思える、「手に血がついていない」、「顔に血がついていない」という全く新しい理由によって、有罪とされてしまったのです。 

一審の有罪理由が完全に不合理となったことは、高裁も認めています。
本来であれば、その時点で、高裁は一審に差し戻すか、無罪判決を下すかしかできないのです。
「人を有罪にするのは、市民の手で」というのが裁判員制度の大原則だからです。
全く新しい、有罪理由を作り出すことなどは、高裁には許されていない、重大なルール違反なのです。
そんなルール違反をして、市民の意見を聞かずに判断してしまったので、このような市民の常識から外れた裁判になっているのではないでしょうか。
自殺をする人は手を洗わないのか?どうか?
顔に血がついていないのは、拭いた証拠か?拭いていない証拠か?

私たち市民なら、真逆の判断をするのではないでしょうか。

もう一度、正当な裁判をして欲しい。それが私たちの願いです。

さて。ところでしかし、この佳菜子さんの傷が、
生きているときの傷(自死)か、
脳死しているときの傷(殺人事件)かということについて、
結着がついている。

というと、みなさん驚かれるでしょうか?

実は結着がついたのです。高裁の法廷で。

高裁の法廷で、司法解剖をした法医学者が
「この傷には明確な生活反応があり、これは脳死状態の傷でなく、心臓が活発に動いていた、活動時(生きているとき)の傷です」とはっきり証言したのです。
*生活反応とは、生きて活動しているときにだけ起こる、 皮下出血や炎症の反応という意味です。

佳菜子さんの傷は、生きているときの傷である。これが法医学の答えなのです。
寝室の後も、佳菜子さんは生きていた。朴くんの話が真実であった、ということです。

検察のストーリーは成り立たず、これは殺人事件ではない。
朴くんは無実であるということです。

しかし、高裁の判決は
「法医学者は、個人差があるとも言っており、絶対に活動時の傷だと断言しているわけではない」
として、この法医学者の証言を握りつぶしてしまいました。
これは、はっきりと暴論です。

法医学者は一般論としての別の質問に答えて、
「窒息死する過程については、個人差がある」
と述べたのです。 

それに対して佳菜子さんの傷についての鑑定は、
その手で解剖し、その目で見た具体的な個別の事実です。
それは一般論でくつがえしてはいけないものです。

法医学者は、科学は、朴くんは無実だと言っているのです。

朴くんの裁判は、もう一度、正しく見直されるべきです。

⑧実現不可能な「殺人ストーリー」

ここで、検察官の主張する
「殺人事件ストーリー」をあらためて、詳しくお伝えします。

それは、
犯人は 1階の寝室で佳菜子さんの首を絞め、そこで心臓が止まる一步手前、脳死し死線を越えたその時に、絞めるのを止めた。
そして脳死し、完全死へ向かっているけれど、まだ心臓は動いている状態の佳菜子さんを7mほど離れた階段下まで運び、
それからどうにかして階段途中まで担ぎ上げ、そこから佳菜子さんを突き落としておでこの傷を負わせた。
まだ、なんとか心臓も動いているので、傷から血も流れた。
そして佳菜子さんは心臓も止まり、完全に亡くなった。

というストーリーです。

非常に凝った技巧的なストーリーです。「脳死中の傷」だなんて、まるでSF小説のような発想です。

さて、そんな漠然とした違和感は、いったん脇に置いて、
ここでは、この検察官の殺人事件ストーリーをもう少し具体的に、リアルにイメージして考えてみてください。

みなさん、はたしてこんなこと、実現可能でしょうか?

朴くんは当時身長168cm体重56.7kg。男性にしては小柄で、やせ型です。
佳菜子さんは、身長163cm体重51.6kg。女性にしては、しっかりした体格です。
二人には、ほとんど体格差がありません。

朴くんは一体全体、どうやって佳菜子さんを運ぶのでしょうか。
ぐったりして動けない人体はとても重いです。普通一人では運べません。
お子さんがいる方は分かると思いますが20kgの寝ている子供を運ぶのさえ、至難の技です。 
佳菜子さんは51.6kgです。運ぶなんて可能でしょうか?

時間をかければ可能じゃないか?と思う方もいるでしょう。

そう「時間」です。
それがまさに問題なのです。
このとき、この「犯人」には時間が全くないのです。

なぜなら、心臓が止まってしまうと、
人間は怪我をしても出血しないからです。
ほぼ全くしません。
しかし、佳菜子さんは生きていたときの傷と変わらないほどの量の出血をしています。(一審での法医学者の証言)
傷には生活反応もあります。

「犯人」はそれだけの血が流れるほど、心臓が強く、長く動いている間に、傷を負わせなければいけません。
そうでないと、検察官の殺人事件ストーリーを実現できません。

時間がありません。脳死状態は長くは続かないのです。
超特急で寝室から運び出して怪我をさせないと、どんどん心臓は弱まっていきます。止まります。

検察官の殺人事件ストーリーではそうなっているのです。
「脳死中の傷」とはそういうことなのです。
いったい犯人には、何分間くらい時間があるのか?これが問題です。10分か?20分か?

ちなみに法医学者は、
この傷はそもそもそんな脳死しているときの傷ではないと証言しているので時間は全然ないことになります。

高裁の判決は、何と説明したでしょうか?

判決では、先ほどの「個人差」理論を用いて、
「1分間ほどはあった可能性がある」と、述べました。
( 私たちには法医学者の言葉を、どう拡大解釈しても 数秒としか思えません)

そして、「1分間あれば不可能とまでは言えない」と。

いや…、1分間では、およそ不可能ではないでしょうか。たった1分間で運び、担ぎ上げ怪我をさせるということは。

わずか1分です。いったいどうやって51.6kgもの重い体を運ぶのでしょうか?

佳菜子さんが「引きずられた」痕跡は全くありません。
現場の布団やシーツにもないし、佳菜子さんの体にもそんな痕は全くありません。朴くんが佳菜子さんをおんぶしていないことも、客観証拠で明らかとなっています。

つまり朴くんは、腕で持ち上げるしかないのですが、そんなことは常人には不可能でしょう。
しかもそれを、わずか1分以内で完遂させなければいけないのです。

そもそもこの「1分間」を捻出するのにも、たくさんの奇跡が必要です。
犯人はどうやって「今、死戦を越えた!  首を絞めるのを止めてOK!」と判断するのか。
長く絞め過ぎたら、たちまち心臓は止まります。そんなこと偶然に起きるでしょうか?

そしてなぜ犯人はその後すぐさまに、運ぼうとするのでしょう。
少しでもためらったり考えたりすれば、やはりすぐに心臓は止まります。こんなことあり得るでしょうか。

無理がありすぎるのです。殺人事件ストーリーには。
脳死中の傷という、奇抜なストーリーには。

高裁は「不可能とまでは言えない」と言いました。
裁判とは、
そこまで針の穴をいくつも通すようにしたら、
なんとかして殺人ストーリーを成立させられるからOK。
だから有罪。

などとしていいものでしょうか。

この高裁の判断は、なにか根本的にゆがんでしまっていないでしょうか?

最後に、繰り返しになりますが、解剖をした法医学者は、
「この傷は脳死しているときの傷ではない。 
生きているときの傷だ」と述べています。 

「犯人」が佳菜子さんを運ぶための時間は0分なのです。 

不可能。

「殺人事件」ストーリーは不可能なのです。つまり、そんなことは起きていない。「犯人」など、どこにもいないのです。

朴くんは無実です。

おわりに

以上、朴くんの裁判の主要な論点を見てきました。

みなさま、いかがでしょうか。
公正な裁判が行われた、といえるでしょうか?

自死には証拠があります。
有罪理由は市民の常識からかけ離れています。
そして、そもそも殺人事件ストーリーは実行不可能です。
客観証拠も法医学も朴くんを支持しています。

朴くんは無実です。これは冤罪です。

佳菜子さんのお父様も、朴くんの無実を信じて、最高裁に無罪を求める上申書を提出なさいます。お父様も“無罪判決”を願っておられるのです。

朴くんは、お子さんたちに頻繁に手紙を書いていて、 家に遊びに行くと、子供たちはその手紙を嬉しそうに自慢してきます。その様子に胸がいっぱいになります。

今、その朴くんが刑務所に送られようとしています。
子供たちは、この現実に、なすすべがありません。

みなさん、まだ間に合います。

今ならまだ。

どうか、ご署名をお願いいたします。
朴くんに公正な裁判を受けさせてあげたいのです。

そして、この文章を拡散し、たくさんの署名を募ってくださるようお願いします

署名用紙とその提出方法を「朴鐘顕くんを支援する会」ホームページに掲載しています。ぜひご覧ください。
ホームページ:https://freepak3.wixsite.com/shomei

*いただいた署名は最高裁長官に提出されるのみで、どなたが署名されたかは一切公表されません。また、いただいた個人情報は署名提出以外の目的では一切使用しません。

担当弁護士のコメント       

東京高裁の判決は、極めて不合理なもので到底容認することはできません。

高裁判決は、朴さんの奥様のご遺体の手に血がついていないこと、顔に血がついていないことを有罪認定の骨子としましたが、いずれも合理的な推論とはいえません。また、額の傷が活動時にできたという医師の証言を不当に過小評価した点も不合理です。

さらに、東京高裁は、一審の裁判員裁判の判決骨子を否定しつつ、裁判官だけで全く新たな有罪理由を持ち出して有罪としました。これは、国民が司法に参加するという裁判員制度の趣旨にも反しています。

私たち弁護人も、朴さんの無実を信じて戦っています。

最高裁は、東京高裁の不当な判断を見直し、朴さんに無罪を言い渡すべきです。

東京弁護士会  山本 衛


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