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ほんの少しの贅沢な時間

最近、少し疲れが積もっていたような気がする。
体力的な面も確かにあるけれど、それと同じくらい、もしくはそれ以上に精神的な疲れもあった。

心の少し奥の方で
「ひとりになりたーい」
「静かなところでゆっくりしたーい」
とちっこい私が叫んでる。

長女も少し大きくなって、この間4歳になった。
下の子も1歳と半分を過ぎて、大分前に乳離れし、もう支えなくても1人で歩けるようになり、ここ最近では、しっかりとした発音ではないものの「あーぱん。きたー!(アンパンマン、いたー)」などおしゃべりも達者になってきた。

そこまで、大きく手が掛かるという時期は過ぎたようにも思われるけども、なんだかんだとどこかで別の大変さが生まれるのが育児というもの。(と、私は勝手に思うことにしてる)

今度は下の子の喃語混じりの日本語と、長女の少し達者になってきた日本語が、ほぼほぼ同時に繰り出される。そこにテレビでもついていて、旦那と話などをしていてならば、飛び交っている言葉が一体どれだけあるだろう。。それを各々聞き取って、ちゃんと反応しなければ、待っているのは、怒り混じりの子どもの大声と、まだ歩き始めたばかりのおチビの泣き声がこの混沌とした状況にプラスされる。

うん、混沌。ぐっちゃぐちゃ。

旦那はまぁ、おいておけるし、テレビなどは消せばよいだけなのだが幼子となると、どうにも出来ない。

と、まぁ、そんなわけで正直、子どもの声が無いところへ逃避したくなった訳である。


とは言え、この状況。
多少の差異はあるとは思うが、旦那氏も似たような状態である。

2人して、
「どこか静かな場所でゆっくりしたい」と思っている。


そんな中、私が感情的に
「もういやだ!ひとりになる!出掛けてくる!」
などと言い出せば、彼もまた「なんで俺ばっかり」となり、もれなく、お互いに幸せになれない休日の出来あがり。

そして、私はなんとなく、長年(といっても4年ほどだが…)の経験上、こういう時は感情的になると精神が休まらぬということを知っている。

その場限りなら
「あー、スッキリしたー!」となるが、家に帰って靴を脱いだ瞬間から、またすぐにストレスボルテージが上がるのだ。

うーん、良くない。
せっかく休むなら、気持ちよく休みたい。

なので、とりあえずは旦那氏との話し合いだ。

「さぁ、私はどうやら疲れている」
「アナタもどうやら、お疲れのようにみえる。どうたろう、ココは1つ、私が一時こどもらを連れて出掛けるので、一端アナタはひとりになって、少し静寂の時間をつくろう。」
「その代わり、どうか私にほんのひととき1人になる時間をくれないだろうか」

ザックリこんな内容。
旦那氏もOK、承諾。
よっしゃ。これで心置きなく、休めようと言うものだ。


そうして私は子ども一緒に小一時間ほどお散歩タイム。
旦那氏は後からゆっくり車で合流予定。

お散歩中に、次女がベビーカーにてお昼寝タイム。
そして、その間に長女の体力をすり減らす(笑)
走れ走れー(もれなく私も走ることになるけども)

そして、無事にその後合流。
寝ている次女っ子と少しHPを削った長女を引き渡し、ほんのささやかな手土産にドーナツを渡して、次は私のお一人様タイム突入だ。




今日はもう、スーパーには寄らない。
献立なんかは、考えない。
子どもの服も見なければ、家計簿の入力もしない!


紛うことなき、フリータイム!
とりあえずは、お茶だ。
お茶がしたい。
香りの良い温かな飲み物を隣に置いて、本でも開きたい。

まずは本屋で物色。
その後新しいカフェへ行く。
これで決まりだ。

ひとりで歩く。
ひとりで決める。
ペースが誰に乱される事もない。

ゆっくりと店内を見て回れる、なんてこと無いかもしれないが、それだけで十分心が弾む。軽い。


さぁ、うっかり買い忘れていた漫画の新刊も買った。少しパラパラと見られそうな雑誌も買った。

そして、本を片手に、
はじめて入るカフェの扉を私は開ける。


贅沢な時間の始まりと、参りますか。


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