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懐かしい山に行ってきました

こんにちは。 先日久しぶりに懐かしい山に行ってきたFREELIGHTの高橋です。毎年この時期は海外のフィールドに出ているのですが今年はいろいろな雑務で中止になり、それでは! と学生時代以来うん十年ぶりにとある山に用事も兼ねて登ってきました。

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この山、当時時間があれば通った山でしたが、その時の大変だった思い出も多く、それ以来山登りを再開してからも訪れていなかった山なのです。  今回はそんな昔の事を登っていたら思い出したのでお話をしてみますね。

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当時ワンゲル学生だった私たちが一番手軽にアプローチできたのはこの地域の山だったので、この山を私たちは『実家』や『本家』と呼んでおり、『今週は実家行くから よろしく!』と先輩の一言があると部室にあったモロモロをザックに詰め込み現地に向かう日々でした。

時には『本家でスイカ割りやるから』と声がかかり背負子にスイカを乗せて登ることがあったり、時には『明日は実家で模様替え』と言うのもあったのを思い出しました。この模様替えが大変で部室に横たわる家具(実は自分の名前を書いた岩)をザックに詰めて、実家山頂近くに隠してある自分のもう一つの家具と取り換えて来る、といったウルトラライトの真逆の登山が行われていたのです。

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そんな事を繰り返しているとどんどんと体力がついていき さらに馬鹿なことを学生は考えるようで、『せっかくだから実家から通学してみよう』と深夜の真っ暗な山頂に銀マットを敷いて薄い寝袋に入り準備を整えると『おはようございます!』の掛け声でスタート。下山後もバス道をひたすら走り始発に乗って学校に向かう事が始まりました。更にそれに慣れてしまうと山頂で誰かの荷物を抜き取って隠しておき、後から『あれ○○忘れ物してるよ、忘れ物が多くて困るな~』などとだいぶ進んでから言い出し、走って取りに戻るという事もありました。  まあこれが下級生だけに課された課題ならシゴキや虐めにもなるのでしょうが上級生も一緒になって笑ってやっているので、ただの馬鹿の集団と他の人には映っていたかもしれません。山道を走っていて怒られることもたびたびでした。

ただ その思い出が私を山から遠ざけたのも確かで、今回はそれ以来・・・

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そんな事考えていると 今日の目的地本家の山小屋に到着です。そして今回の用事は この人にお会いする事。

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Team MONSOON(GHT Project)のリーダー根本さんと打ち合わせをする事でした。 彼は今この小屋で小屋番として月の半分はここに詰めているのです。

さて 荷を下ろしゆっくりとお話ししましょう!

@山のルールは時代によってある程度変わるもの・・・昔話はフィクションとお考え下さい。