出来なくて苦手なことにこそ宝が眠っているのかもしれない(前編)
ブログがお久しぶりになりました。
書いてはまとまらず、書いてはまとまらず、下書きだけが溜まっていく……という状態で、綴ることが好きな私は久しぶりに心が折れかけました…w
好きとはいえ、エネルギーが乗ってないものは出したくない。
自分が納得して言葉になったことだけを書きたい。…ってね、鬼完璧主義なのですよ(笑)
それでも過去記事にアクセスがあって、なぜか読者さんが増え、読んでくださってありがとうございます。
さて本題ですが、最近ふと自分の音感について考えたことがありました。
(今日は本論まで長いです、ごめんね)
私は幼少期から絶対音感を持っているので、流れてくる音楽やメロディーは全て「ドレミファソラシド」の音階で聞こえてくるのが常です。
…って書いても、言葉だけじゃ意味分からないですよね(笑)
例えば、近くで救急車の音が鳴ったら「シーソーシーソー」にしか聞こえないし、LINEの通知音ももちろんドレミの音階で聞こえる…。
↓これ全部、ドレミで聞こえてるのでピアノで完全再現できます。聞いた瞬間に。即時。
これを最初に話したのは長い付き合いの親友だったんですが、めっちゃくちゃ驚かれて。
え、どういうこと?どんな世界に生きてるの?
って。私もその反応に驚いて、爆笑だったんですよね(笑)
私にとっては、音楽や生活の中で聞こえるメロディーが音階じゃなく聞こえることの方が「?」で仕方なくて、むしろ興味があります。
絶対音感が無い人って、どんな風に音を聞いてるんだろう……?って本気で思っているし、むしろ羨ましかったりもするのです。
というのも、
絶対音感があると小さな音ズレですらも気付いてしまって、カラオケや音楽番組が純粋に楽しめない…(笑)
あ~~~~ピッチがズレてるよ~~~~!!!
って瞬時に察知するから、もうそっちに集中しちゃって、それ以外が入ってこずw
そんな神経質さがあるので、耳にした曲は基本的にその場でピアノで弾くことができます。
いわゆる「耳コピ」なんですが、実態を言語化すると超まどろっこしいです(以下が私の感覚の言語化)
これは毎回いちいち考えている訳ではなくて、音を聴いてる瞬間から理解しているんですね。
理解しようと思考する時間がマジで寸分もなく、聴いたものを聴いたまんまで歌えるしピアノで弾けるし…みたいな感じ。
ってね、言語化すると超まどろっこしい!w
絶対音感がある人には共感だと思うけど、分からない人にとっては本当に意味不明なはず。
私にとっては「全て音が音階で聞こえてきて理解する」のがあまりに自然なことで、
わざわざ呼吸の仕方を説明しているような感覚です…
で、長々とこんな話をして何が言いたいか?
と言いますと。
自分が何も考えずにナチュラルに出来てしまうことって、まず自覚がない。
そして説明すらも難しいし、教えることも出来ないし、
あんまり学びが無いんです。
私がピアノや音楽を習っている子に「絶対音感を身に着けたいので、教えて下さい!」って言われても、出来ないんですよ…。
なんせトレーニングした覚えがないし、物心ついた時には”そうなっていた”ので身に着け方が分からない。
ピアノや他の楽器を習っている人でも、絶対音感がある人とない人がいて、その差も分からないし。
自然に出来てしまうことだから、その実態にあまり興味も持たないって感じなんですね。
私的には、呼吸や排せつと一緒…。
そんなことを考えていた時に、
「苦手なこと」「できないこと」って宝庫やん!
っとハッとしたのです✨
ちょっと前段で長くなりすぎたので、次の記事に続きます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?