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エッセイ

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主に筆者が日々の生活で感じた負の心情を書き殴っています。最悪です。
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2024年5月の記事一覧

散歩中に「運命」について考えた

 何の気なしに家から駅前のショッピングセンターまで散歩することがあるのだが、そこでよく犬の散歩をしている人にすれ違う。  そして何故か、私がすれ違った時に見る犬はちょうどその時に道端で排便をしていることが多い。  何回か散歩を重ねる内に、だんだんと私はある事実に気が付いた。  それは、私がその日のうちに1回犬がウンコしてるシーンを目撃してしまったが最後、必ず同じ日にまた別の犬のウンコシーンを2、3回目撃する、ということだ。  ある1日のうちに、連続で犬の排便場面に遭遇

言霊の「呪い」

 「推し」、という言葉を素直に使えない。  ご推察の通り、筆者の性格が捻くれているからである。  このnoteを定期的に愛読していただいている傑出した審美眼をお持ちの読者諸賢には改めて解説する必要もないだろうが、どれぐらい性格が歪曲しているかというとセブンイレブンの『カリカリコーン』ぐらい捻れている。  (ちなみにこの『カリカリコーン』ぐらい性格が捻れているという、パンチ力に欠けるショボい比喩を思い付くまでに30分ぐらいかかった。)  筆者は無駄に高慢なプライドと過剰

人の結婚式に行くと真面目に生き直そうと思うけど

 楽しかったGWも終わり、いつも通りの日常に戻っていきつつある今日この頃ですが皆さん如何お過ごしでしょうか。  僕のGWはやはり例年の如く一瞬で消滅したわけなんですが、一体何をやっていたかというと部屋の掃除をしたり読書をしたり、瞑想したり筋トレしたりアスファルトタイヤを切りつけながら暗闇走り抜けたりしていました。  あと大学時代の友人の結婚式にも行った。  毎回人の結婚式に参加する度に(といってもまだこれで3回目だけど)、『結婚』って概念は本当に実在したんだなと思う。

過去と未来を繋ぐための追想

 こちらの記事の続き。  これから述べるのはいつになくシリアスでセンシティブなテーマだ。だから本当は公開するか迷ったのだが、いつも私の記事を読んでくれている読者諸賢の広い度量や、noteユーザーの高水準なネットリテラシーを信用して書くことにする。  まだnoteという媒体を完全に信用はしていないけれど、良識を持った人たちが多い(と思われる)この場所でなら他SNSと比べても波風が立ちにくいだろう、ということで一種の賭けに出ることにした。  幼少期の記憶なのではっきりとは覚

苦しみの色は千差万別

 最近よく他のnoteユーザーが書かれた毒親やアダルトチルドレン関連の記事を読ませてもらっている。とりわけ関心を惹くのは親に過干渉に育てられたという趣旨の記事。  私自身が母親に過干渉に育てられたという自覚があるからだろう。  記事を読んでいると似たような境遇の人だったり、同じような苦しみを味わっている人がいたりして、悩んでいるのは自分だけじゃなかったんだと勇気づけられる…………なんて、そんな簡単にスッキリ片付けられる問題でもなく。  同じ悩みを共有出来たような気がして