私の苦手なこと

先日、私の好きなことについて記事を書きました。

今回はその反対、私の苦手なことについて書きたいと思います。得意不得意といった能力の問題ではなく、好きか嫌いかといった性格由来の話ができたらと思います。


飽きっぽい

私を少しでも知る人なら誰しも、私が飽きっぽいことを知っていると思います。同じことをずっと続けるのが苦手で、集中力があまり持続しません。勉強やアルバイトなどで一定時間同じ作業を継続する必要があるときは、音楽やラジオを聴きながら作業したり、人よりこまめに休憩を挟んだりして自分を飽きさせない工夫をしています。物事を考えるときには、体を動かしながら考えることもあります。

ラジオリスナー Lv.1というべきラインナップ

一方で、多くの人が苦手とするようなてんてこ舞いの状況は私は好きな方です。上手くタスクの優先順位を立てて効率よく捌いていくときには爽快さを覚えますし、忙しさも後から振り返ると充実していたことの証拠だなと思います。

とはいえ、やはり効率性の面でいえば一つのことにある程度注力することは欠かせないでしょう。何をするにしても準備時間は要求されますから、次から次へとやることが変わるようなようでは、集中力が高まる前に次のことへ移ることになってしまいます。


自分が主体でないこと

また、自分が主体的に関与できないことも自分が苦手としていることの一つです。典型的な例としてスポーツ観戦があります。スポーツの試合では、試合までに選手の不断の努力があり、試合開始から試合終了まで様々な駆け引きがあります。しかし、それらを私たち観客に関係があると考えるのはあまりにもおこがましく、プロアスリートである選手たちに失礼です。だからこそ、私はスポーツ観戦をする度に疎外感を感じてしまい、苦手なのです。

身近な例でいえば、自分の専攻でないことを専攻している人同士の会話もそれに含まれます。確かに経済学といった大きなくくりでは同じ穴の狢ではありますが、自分の興味が薄い内容であることが多く、自分の知らないことが前提知識とされている場合もあります。そうするとどうしても敷居が高く感じられてしまい、なかなか自分から会話に混ざることが難しいです。


一人で研鑽すること

私の知り合いは半分以上が大学院進学をする予定か、あるいは既に進学しているのですが、彼らの一部には研究者になることを志望している研究者の卵が居ます。

彼らに共通して言えることとして、当然ながら勉強熱心なのですが、一人でコツコツと努力することが好きな人が多い印象を受けます。実際に研究者として一橋に所属されている先生方の学生時代の逸話でも、一人で図書館に篭もって本を読みふけっていたことや、今日でも使われている鉄板の教科書を一人で通読していたことを度々耳にします。

一方で私は、そうした見えない努力は苦手な方です。実際に成果が現れるわけでもありませんし、なにしろ自分がどれだけ成長したか測る術に乏しいからです。何事にもやるからには意味合いを持たせたいと思うので、どんなに小さくても目先の目標がないとあまり気乗りしません。

その意味では、勉強会は私に非常に適した学習法だと思います。勉強会の度に公開することを想定した資料作りをすることは小目標としてうってつけでしょう。また、勉強会は日取りも自分の好き勝手にはできないので、物事を先延ばしにすることなく、計画的に進めることができます。


苦手なことは、好きなことの裏側にある

振り返ってみると、私が苦手としていることの背景には、私が何を好きとしているかが深く関わっていることが多いですね。あくまで好きや嫌いというのは、その人が何に重きを置くかという価値観から生まれ出たものでしかないのかもしれません。

これが得意不得意の話になると、自分の能力が関わるようになり、自分ではどうにも修正しようのないことが増えてきます。例えば、記憶力の低い私に文字列を暗記させるようなことは向いていませんが、瞬間的な集中が得意な私に時間的猶予がないタスクを割り振るのは比較的適任と言えます。

今回はそうした向き不向きに左右されない性格に根差した好き嫌いの話をしました。自分の得意と好きの両方が噛み合うような分野で活躍できれば楽しいことこの上ないでしょうが、いつもそうなるとは限らないですから、不得意や苦手な状況でも上手くやりくりできる術を手に入れたいですね。


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