「ONE TEAM」について思うこと②

昨日、流行語大賞に選ばれた言葉「ONE TEAM」について、

思う事を書かせて頂きました。

「ONE TEAM」という言葉を上司が使う時は、

それ相応の「努力」をしているという信頼が

あってのことではないかと思う。

その言葉で終わりました。


そう言うと、こう思う上司の立場の方がおられるかもしれません。

「オレは努力している」。

だから「ONE TEAM」という言葉を使ってよいだろう、と。

この言葉をあからさまに言ったり、表に出したりはしないものの、

今月は忘年会のシーズン。

「オレはこんなにやってるのに、全然部下は言うことを聞いてくれない」

「こんなにみんなのために尽くしてるんだから、少しは何かあって良いのではないか」

そんな愚痴を言いたくもなる席でしょう。

そうした心は、誰もが少なからず持っているものですから良く分かります。


しかし、「努力」を勘違いしているのではないか。

こうした場面に出くわすと、私はよく思います。

それは、私がいつも自分にこんな言葉を言い聞かせているからです。

「善の独り占めは、善と言えるのか」

自分が頑張れる居場所、役割。

そういった私が善に励める、努力できる環境を用意して下さった方々には感謝しています。

しかし、そんな善や努力を独り占めしていて良いのか。

それは、自分さえ幸せになれば良い。

そんな心でやっている努力ではないか。

「他人にやらせるより、自分がやった方が早い」

「他人にやり方を説明するのは面倒くさい」

そして、全部自分でやろうとする。

他人を信じられない。他人に任せられない。

そんな心で「ONE TEAM」になれると、本当に思っているのでしょうか。


決して、頑張ることや努力することが間違いという訳ではありません。

まずは自分がやる。努力する姿を見せる。率先垂範。

それは大切なことです。

しかし、そうすればするほど知らされるのは、

自分一人の「努力」でできることは限られている、

ということではないでしょうか。

部下が動くようになるまで教える、伝えることは大変ですが、

自分一人の「努力」だけではできないことがあった。

自分一人の「努力」だけでは知ることができない世界を教えてもらえた。

そう知らされる時があります。

上司が部下に、という一方通行じゃない。

上司も部下も、お互いに教え、教えて頂くパートナー。

「ONE TEAM」とは、「他人のため」ばかりを強調し、

一方だけが「努力」を強いられる自己犠牲じゃない。

「自分のため」の「努力」にもなり

「他人のため」の「努力」にもなる世界。

良い所も悪い所も、お互い認め合う。信じ合う。

みんなが一緒になって、喜んで汗を流す。

「ONE TEAM」になった人たちの「努力」と、

「オレは努力している」という「努力」とは、

大きな隔たりがあるのではないかと思います。


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