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私の本棚から3〜風になる 自閉症の僕が生きていく風景


こんにちわ、Karo.です。


「私の本棚から」シリーズ3回目は、" 風になる  自閉症の僕が生きていく風景 "(東田直樹著/ビッグイシュー日本)です。

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東田直樹さん、ご存知でしょうか?

私は6年ほど前に、NHKで『君が僕の息子について教えてくれたこと』というドキュメンタリー番組を観て、はじめて知りました。この番組は、イギリスの作家デイヴィッド・ミッチェルさんが、東田直樹さんが13歳の時に自分の気持ちを綴った本『自閉症の僕が跳びはねる理由』に出会ったことで、意思疎通の難しかった自閉症の息子さんについて理解を深めることができ、その感銘から東田さんの本を英訳し、イギリスでベストセラーとなり、世界20ヵ国以上で東田直樹さんの本が翻訳されベストセラーになったという、その経緯と日本でのふたりの再会の様子を記録したドキュメントでした。

東田さんは自閉症で、言葉を話すのが難しい中、お母さんと一緒に筆談をすることにより、徐々に自分の気持ちを文字で外に出すことができるようになり、多くの本を書いている作家さんです。

この本は当時、東田さんのNHKのドキュメンタリー番組を2本ほど観た後、私も感銘を受けて購入しました。Amazonのリンクを貼りましたが、私の持っているのは最後の章に宮本亜門さんとの対談が載っている増補版で、もう販売されていないのか、探しても見つかりませんでした。貴重本かもしれません。が、心が洗われるような素敵な本であり、私の周囲には自閉症の方はいないのですが、この本を読んで、自閉症の方を身近に感じることができ、理解も深まったので、ぜひぜひ読んでいただきたいし、いろいろな方にバトンしていただけたら、と思いますので、この本もご希望の方にお譲りしたいと思います。ご希望の方は一番下のお問合せからメールを入れてください。


ではでは、さっそく本の中から一部ご紹介します。

今回も読んでいて、いろいろ感じることがありましたが、それはこのあとコメントで書きますね。まずはお楽しみください。

〜記憶が線にならず明日を想像できない 49p
…普通の人のように自分で何でもできれば、今よりもずっと、僕は生きやすい人生を送れるとは思います。
しかし、今以上幸せになれるかどうかはわかりません。そう考えられるようになったのが、とてもうれしいことなのです。
幸せは、自分の心が決めるものです。いくら周りから見て、その人がかわいそうであっても気の毒そうに見えても、本人が幸せならいいのだと思いますしかし、どんなに幸せでも、それが永遠に続かないのも事実です。人生は、未来に向かって動いているということを僕はしっかりと認識しなければなりません。
僕には、明日が想像できません。記憶が線でつながらず、点のような感覚だからです。明日という日は、今日の続きではないのです。
たぶんみんなは、連続テレビドラマのような毎日だと思いますが、僕の明日は、新しい自分がそこにいるだけです。….
〜僕は脳の決めたルールに逆らえない 76-77p
...僕は、どんな時も平日は六時に起きます。しかし、自分がそうしたいから六時に起きるのではありません。誰かに命令されたわけでもありません。起きる時間が決まったら、脳がそのようにプログラミングしてしまうのです。
これは、みなさんが何となくそうしないと気がすまないというような感じ、たとえば、お風呂に入った時には、必ず髪の毛から洗うといった感覚とはまったく違います。自分の身体でありながら、僕は脳の決めたルールに逆らえないのです。それが守れなければ、とても苦しくなってしまいます。
寝坊した時には、戦場で敵がすぐそばにいるかのように、取り乱しあわてます。泣きそうになりながら、次のプログラミングされた時間までにやらなければいけない仕事を大急ぎで片づけます。タイムリミットまでに、毎日している自分の役割が終わればいいのですが、その時間に間に合わない時が大変です。捕らえられた捕虜のように、なすすべもなくなります。僕の場合は、わめいて大騒ぎします。
けれども、時間は止まってくれないので、なんとか気持ちに折り合いをつけようとします。普通の人なら、寝坊したくらいでこんなことにはなりませんが、僕は心の中を落ち着かせるのにも一苦労です。たぶん、気持ちに折り合いをっけると聞くと、どうしょうもないことだと自分に言い聞かせたり、たいしたことではないと切り替え、気分転換したりすることだと、みなさんは想像されるのではないでしょうか。
僕の気持ちに折り合いをつける方法は、寝坊したという事実を、脳の中で帳消しにすることです。失敗ではなかったと自分にではなく、脳に思い込ませるためです。
〜尋ねてほしい。見た目の行動から決めつけないで 106-107p
なぜ周りの人が、僕が望んでもいないことをさせようとするのか、それが不思議でした。
将来のために必要だからという場合は、理解できます。それとは別に、気持ちを勝手に想像して、僕がそうしたがっていると思い込まれてしまうのが問題なのです。
会話ができないのだから、僕の思いを推測して話さなければいけないこともあるでしょう。その言葉が僕の気持ちにそったものだったかどうかは、僕だけが知っています。だから、僕の気持ちを代弁したものだと勝手に断定されると、間違っていた場合、悲しい気持ちになります。
…(中略)...
僕について話をしているにもかかわらず、まるで僕がその場にいないかのような態度をされると傷つきます。自分は、その辺の石ころみたいな存在なのだろうか。ただ、周りの人の意見だけで動かされ、すべてが決められていく。自分の意思をみんなのように伝えられない僕は、なんて無力なのだろう。小さい頃、何度こんなふうに思ったことでしょう。
気持ちを伝えられないということは、心がないことではありません。周りの人がさせたがっていることが、本人のやりたがっていることだとは限らないのです。…
〜気になる相手の視線 目はその人自身 140p
誰かに会った時、僕が一番気になるのが、相手の視線です。相手の人が僕のどこを見ているのかではなく、その人がどんな気持ちで僕を見ているのか、それが気になってしかたないのです。相手に嫌われていないか、心配なのだと思います。
僕は視線に、感情が込められているのが怖いのです。
視線は、見えないのに、心に突き刺さることがあります。それとは逆に、視線が身体を温かく包み込んでくれることがあるのも不思議です。
冷たい視線で見つめられると、つらくなります。そのために、何とか視線から逃れようと、僕は慌ててしまうのです。けれども、僕に行き場はありませんだから、騒いでしまうのでしょう。
僕にとっては、人の視線も気持ちが混乱する原因の一つです。どうにもならないお天気のように、心を曇らせてしまいます。
〜雲は僕の友達、空は僕の心 73p
…人が、空を見上げるのは、自分の心を開放させたいからではないでしょうか。
空の向こうには、無限の字宙が存在します。本当は、宇宙の星たちも僕の目に映っているはずなのに、現実には青い空と白い雲が見えるだけです。
僕が見たいのは、空ではなく、自分の心なのかもしれません。見えない目に映る星たち、それは、自分の心と似ています。僕が向かい合わなければいけないのは、僕自身なのです。
ここに僕が存在するわけを知っているかのように、次々に雲はおもしろい形を見せてくれます。そんな、日常の風景の中にいる自分を、僕は愛おしいと思うのです。


コメント:

いかがでしょうか?

私は、この本を最初に読んだ時、もう、すごいなぁ〜。と思ったのを覚えていますが、今回改めて、すごい(語彙力なくてみませーん)と思いました。

私たち健常者とかって呼ばれている人は、ヨガやら瞑想やら哲学やらあれこれ模索して人生歩いてきてやっと理解するような、「今ここ」の感覚や高次とつながるような幸福感なんかを、すでにわかっちゃっているのです。

自閉症といえばサヴァン症候群と言われる記憶力、芸術、計算などに、高い能力を有する人たちがいますよね。

私は昔から、障害を持った人たちに対して一般的には冷たいといわれるのかもしれませんが「かわいそう」と思ったことは実は一度もなくて、どちらかというといつも「うらやましい」と思っていたタイプです。

それは自分が何かモノを作ったり表現したりする創造的なことを生業にしたいと思っていたのも関係あるかもしれませんが、究極的にはこうした障害を持った人たちには「かなわない」し、むしろそうでなければすごい作品は生まれない。というように思っているところがあるので、普通に生まれてきてある程度のことが器用貧乏的にできてしまう自分からしたら、もう、羨ましいわ、ずるいわ、みたいな嫉妬の対象でしかなかったのですよね。

とはいえ、東田さんのこの本を読むと、改めて、多くの葛藤があることも初めて知ることができました。たちえば、脳のルールに逆らえないっていう部分を読んでいてもそうですが、多分、自閉症の人の障害は、3次元の身体に魂がうまくウォークイン?というのでしょうか、それができなかったために、この地球で暮らすための言語や身体を動かすための命令系統の不具合などが起きているのかな?と思いました。

私からしたらそうした3次元的障害は「どうでもいい」って思っちゃいますが、本人からしたら、それはそれは大変なことなのですよね。

でもそれが自閉症であるがゆえに早くから自観ができて真理に気がつけているという点もやはり羨ましいです。健常者であるからといっても、みんなが地球での暮らしに馴染めるわけでもなく、私たちの中にも同じように持っている葛藤があって、それに気づきさえ出来ずにいる人も多いと思うので。

そして、気づきさえ出来ずにいる人たちの多くは、3次元世界が全てであり、きっと、障害=かわいそうって思っていると思うのです。そして言葉という物質に頼るので、その言葉が通じない対象は意思疎通ができないと思っている。つまりは、障害の人たちに対してもそうですが、動物や植物や、地球に対してさえも「かわいそう」って、思っていたりするのですよね。(私から観たらそういう人たちの方がかわいそうですけど...ね(笑)。)

それって、すごく傲慢なことなのだと思うのですよね。

私はここのくだりを読んでいて、

僕について話をしているにもかかわらず、まるで僕がその場にいないかのような態度をされると傷つきます。自分は、その辺の石ころみたいな存在なのだろうか。ただ、周りの人の意見だけで動かされ、すべてが決められていく。自分の意思をみんなのように伝えられない僕は、なんて無力なのだろう。小さい頃、何度こんなふうに思ったことでしょう。

たとえば、うちの猫たちは同じように思っていないだろうか?とか、仕事で相手の気持ちを先読みしているつもりが、気持ちを無視しているのではないだろうか?とか、、、自分の傲慢さにも改めて気をつけないといけない。と思いました。

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..と、いろいろと考えさせられたりして長くなりましたが、この本は、タイトルの「風になる」のとおり、本当に風を感じるような、素直で優しい文章で書かれていると思いました。



ではでは、また。



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