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「大海原のソングライン」を観てきました。


こんばんわ、Karo.です。


ここのところずっと仕事が詰んでいて、昨夜なんとか一区切りをつけて、代々木上原にあるhakoギャラリーさんへ『大海原のソングライン』という映画を観に行ってきました。

この映画は、16カ国の島国、ハワイ、ソロモン諸島、台湾、マレーシア、シンガポール、マダガスカル、トレス海峡諸島(オーストラリア)、バヌアツ、バリ島、ラパ・ヌイ(イースター島)、タヒチ、アオテアロア(ニュージーランド)、パプアニューギニアなどなどの35の原住民族の人たちが奏でる楽器と歌からなる壮大なミュージックビデオのような映画です。

言葉より前に歌があった。
海に漂い、風に流されるが如く音と歌に身を任せる。
すると自分の奥底にさざ波が起きてくる。
その波が自分より大きな存在へと導いてくれるのだ。

ー ダースレイダー(ラッパー)

それぞれの島々で、古くから奏でられている伝統楽器や、それ以外にも、海沿いの民族は海に流れ着いた流木やプラスチックのポリタンクを楽器にしたり、竹のようなものをたくさん組んで楽器をつくったり、女性たちが大勢で湖の中で水飛沫を上げながら水を楽器にして歌ったりしています。なんというか、、、(ため息) 地球規模のすごいコンサートという感じでした。(←語彙力なしでごめんなさい)

私が以前に読んだスーフィーの本『音の神秘』の中でも「言葉より先に音があった」とありましたし、さらに「身体の中に音を響かせて歌うことが最大の癒しであり楽器である」というようなことが書いてありましたが、この映画を観ていると、まさにそのとおりで、さらにいえば目の前にあるものを楽器に作り替えて音を出すという、これこそがクリエイティブ(創造)だし本物だなぁ。と改めて思いました。

バブル期、拝金主義が進み、どんどん画一化されていく建物、書物、アート、広告を観て「人は創造力を失った。」と漠然と感じていた当時を思い出しましたが、それ以降、そんなことを思ったことすら忘れてしまうくらいの創造性の欠如した時代が続いている感じがします。この映画を観ていたら、周波数がどうのとか、正弦波がどうのとか、どこどこのメーカーの楽器だとか!ぶっちゃけどうでもいいのですよねー。(と、心の中では一瞬、クリスタルボウルを捨てたくなりました(笑))


自分で作った楽器を鳴らす。水を波立てて鳴らす。歌う。

風の音、波の音、動物の声。

それらはすべて神と繋がる音、もしくは神そのものであって、音そのものが、言葉を超えたエネルギーだということを、多分この人たちは知っているのだと思います。


ーーー

そして、こうした原住民の方々の音楽と歌は、もちろん生命を楽しむためにも在るのですが、もともとは「奉納」のようなものなのだったのではないかと思いました。

大いなる自然(神)への祈り。感謝。愛。


スピリチュアル界隈では「ライトランゲージ(=光の言葉)」というのがありますが、原住民族の人たちの歌は、そもそもがライトランゲージなのですよね。


昔から、おおいなる存在と繋がっていた。

そんなこと、あたりまえだった。



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現代文明になって(というか一連の洗脳で)それがマズいから、と、インディアンやアポリジニをはじめ多くの民族が迫害、根絶やしにさらされてきました。今は「原住民族」という言葉をわざわざ作って、自分たちと一線を引き、分けているけれど、今私たちが学ぶべきは彼らが当たり前としてやっていることばかりな気がします。

もともとは私たちも、大いなる存在と繋がって生きている存在だったはず。

そのことを忘れちゃって生きている自分たちは、実際は感度の低いおバカさんなんですが、それに気がついていないっていう罪深さよ....(ため息)。


ということで、何やらいろいろ考えさせられました。


自然の神を常に身近に感じながら大いなる自然とともに暮らしている人たちとは全く違う、バリっバリの現代文明の巣窟のような高層ビル群の中に生きている自分は、これから演奏家として、どうするのか?とか。

やっぱり自然や地球を感じて生きていきたい。と思うのですよね。

...と言っても今の自分は「大自然の中へ引っ越して自然と一体となった暮らしをします!」と言うのは「ちょっと違う」と感じているのです。

「田舎で暮らす」とか「自然と共に生きる」とかってものすごく憧れはあるのですが、一方で、昨今の流行りモノのキーワードっぽくて、そこに何かすごく抵抗があるんですよね。形にハマった感じとか。

まぁ、、、根っからのあまのじゃくなので。


あとは、またもうる覚えで正確な内容とは違うかも知れませんが、
マインドフルネスで有名な禅師ティク・ナット・ハン氏がプラムヴィレッジだったか、リトリートセンターだったか、拠点とする場所を選ぶ際に決めた建物が凄惨な事件があった場所だとわかり、弟子たちが「ここはふさわしくないのでは?」とティク・ナット・ハン氏に言ったところ、あえてその場所を選び、「この場所ごとすべてを癒すことを学ぶことができる、最もリトリートに最適な場所。」と話したとかなんとか...というのが、なぜか脳裏にずっと残っていて。

多分、今の自分は外からのエネルギーうんぬんよりも、内側からのエネルギーでどんなふうに自分も世界も変化していくのか、に、興味があるので、こうなったら、もうそれこそ、この訳がわからないくらい飛び交っている電波だらけのビル群の隙間から、狭っまい空にむかってひたすら愛と祈りを捧げる。ということにチャレンジしていこうと思います。


都会の「少数民族」です。


それもなかなかいい感じ。と思いました(笑)。








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