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誰でも「悪魔」になり得る、「悪魔」はただの現象だった


こんばんわ、Karo.です。


先日、私の中にあった「悪魔」に気がついたという記事を書いて、

書き終えたあと、なんとなく「座りが悪い」感じがして、まだ他に気がつくべきことがあるような気がしていた。


なぜなら、今回目にした「悪魔」は、6年ほど前に別の鏡で気がついて、私の中からは、一度手放したと思っていた古いものだった。

だから、何をいまさら、という気もしていて、

でも、きっとまだ、なにか欠片のようなものが残っていたのだろう。とも思い、そのまま、ぼんやりと、そのことについて、ひきつづき観ていて、

気がついた。


あ、この「悪魔」は鏡の表面に映った現象なだけだったのかもしれない。


あまりに久しぶりに「悪魔」を目にしたので、動揺してしまったのだった。


そして、昨年秋からの一連の流れや、クリスタルボウルとの出会いは、悪魔祓いのようなものではない。

これは深い気づきを得ていくものであるはず。


ーー

今回、私に見せられているテーマは、確かにこの「悪魔」なのだろう。

よく考えたら、先日観た「プリズナーズ」という映画も、人の心に芽生える「悪魔」的なモノについて表現されていた。

ああ、きっと繋がっていたんだと、気がついた。


鏡を見なさい。 
すべてが、鏡の中に映っている。
ひとつの例外なく、そのすべてが自分なんだよ。と。

これは、目の前の鏡に映った「悪魔」ではなく、その奥。

三面鏡の奥の奥に映り込んだものを覗くべきだった。



そして、「悪魔」を祓う。のではない。

「悪魔」を許して受け入れる。ということだった。



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誰でも悪魔になりえる


むかーし、この人生の中で、もっともひどい状態だった30代前半の頃の私は、ある日、渋谷から新宿方面へ行くのに、バスに乗った。

そのバスは、ちょっと運転が粗暴だった。バスにしてはスピードを出しすぎている感じもしていて、曲がり角で曲がる時に、案の定、大きく揺れた。

私は座っていたので、別に倒れそうになった訳でもない。ただ揺れただけ。

でも当時の私は、心の中が常にイライラしていて、その瞬間、運転手に「死ねばいいのに」と、本気で殺意を抱いた。ということがあって、

その時、そう思った自分にびっくりしたことがあるのだけれど。


でも、その経験があるので、誰でも「悪魔」になりえると思っている。


そうした「悪魔」が宿る時というのは、人は本来の自分から切り離されてしまっている時。自分の存在はただの「モノ(物質)」になってしまっていて、自分はこの宇宙の中のちっぽけな存在だと、思い込んでいる。

だから「この世の不条理」を呪い、「誰も私をわかってくれない」というような、なんともいえない絶望に近いものを抱えている。

それは当時の自分を考えると、すごくわかる。



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「悪魔」の背後に在ったもの


今回、手に持った鏡に「悪魔」を映し出して立ってくれていたその女性に対して、私はいつも感じていたことがあった。

それは「常に自分を隠している感じ」だった。

本来の自分を箱の中に閉じ込めて、こんな自分をうっかり外に出したら、傷ついてしまう。それがコワイから、外の価値観に合わせて作った仮面をかぶって生きていくことで、自分を守ることにした。というようにも見えて、

また、あまりに大事な本来の自分を、大事にするあまり、誰からも触れさせないようにしている。ようにも見えた。


どちらにしても、そうして、本来の自分は箱に入れて、仮面をかぶって新しく自分を作り上げることにした彼女は、外の価値観に合わせるテクニックをみごとに身につけていった。

とにかくうまくやることが重要。なぜそんなにうまくやりたいのか。

と思ったが、とにかく箱に仕舞い込んだ本来の自分を傷つけないために、ありとあらゆることをして守っている。

そんなふうに感じていた。


そうして、昨年、鏡に映った悪魔を見てしまった。

飴と鞭を使いながら「あなたのために」と言い、親切なふりをして、仲良くなるが、常に相手の存在を否定し続け、支配しようとする。
なぜなら、自分が自分をずっと「否定しつづけて」いるから。

相手を自分の下に置き、相手が自分よりも上にくるのが許せない。
相手が水の上に浮上してこようものなら、頭を押さえつけて水中に戻す。そうして相手が苦しんでいるのをみたら、今度は優しい声で呪いをかける。
「大変だね。私が傍いるから、いつでも助けてあげられるからね。」
自分が水中に沈めているのにもかかわらず...。


この背景には、いろいろあるのだけれど、

ふと、仮面を被った彼女の「こんなにがんばっているのに、どうして私を認めてくれないの。」という叫びがあったことに、昨日気がついた。

あ〜〜....。そうだったのか。


仮面を被った彼女は、実際に、私に認めて欲しいと感じていた。私は認めていたつもりだったし、それは十分に伝わっているものだとも思っていたから、具体的に言葉には、あまりしてこなかった。

でも、仮面を被った彼女は、言葉や具体的な何かなど、カタチとなるモノを欲していたのだと気がついた。


そしてさらにその奥に、箱に閉じ込められてしまった本来の彼女が「私の存在に気がついて」「無視しないで」と言っている声も聞こえた。

これは、本来の彼女の声であると同時に、これこそが、私の中の声でもあったのではないか?と思った。



でも、さらにもうひとつ、気がついた。

その「悪魔」の姿を観てしまった私は、無意識に彼女を罰していた。

誰でもが「悪魔」になり得る。人が「悪魔」のようになってしまうとき、その奥には、必ずココロの叫びが存在している。と知っているにもかかわらず、それに気づかず、表面に起きている現象(=悪魔)だけを観て、それを心の中で非難し、そして罰していた。

彼女のその奥で感じていた「不条理」、「誰も私をわかってくれない」という叫び声に気がつかず、その存在を無視していた。

これは、つまりは、私が以前抱えていた自分の「悪魔」を、ずっと罰していたということでもある、と思った。


「悪魔」は現象だった。


だから本当は、罰することではなく、その奥に存在している気持ちに気がつき、それをを思いやり、受け入れる。

そして、許すことが必要だったんだ。と思った。



と、いうことで、満月前にひと段落。




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