見出し画像

「サットヴァ」からインド哲学を探る〜朝の瞑想メモ0126


こんばんわ、Kaloです。


ここ数日、イベントに参加したり、個人セッションをしたり、が、なんとなく連日続いていて、さらにはシェディングと思われる体調不良もあったりで、すっかり日にちが空いてしまいました。
この間、朝瞑想で見たイメージは1回ありましたが、そちらは個人セッション用に降ろしたものだったので割愛で。


今朝の瞑想メモから。

降りてきた言葉は「サットヴァ」のみ。(短っ(笑))

あとはこちらの図形。なんでしょうね?
(意味のわかる方がいらっしゃったらコメ欄で教えてください〜。)

米のような形と口。くっついているようなバラバラばような。



ーーーー
ということで、「サットヴァ」という言葉ですが。言葉の音は聞いたことがあるけれど、まったく意味を知らなかったので、さっそくググりました。

英語版wikiによると

サットヴァ(サンスクリット語: सत्त्व 、誠実さを意味する) は、3 つのguṇasまたは「存在のモード」(傾向、資質、属性) の1 つであり、ヒンズー教哲学のサーンキャ派によって理解される哲学的および心理的概念です。

他の 2 つの性質は、ラジャス(情熱と活動) とタマス(破壊、混沌) です。
サットヴァとは、ダルマとジュニャーナ(知識)に引き寄せられる、善良さ、積極性、真実、平穏、バランス、平和、美徳の質です。

ヒンズー教
サーンキャ哲学では、グナはサットヴァ、ラジャス、タマスの 3 つの「傾向、性質」の 1 つです。このカテゴリーの資質は、行動と自然現象を分類するためにヒンズー教のさまざまな学校で広く採用されています。3つの資質は次のとおりです。

サットヴァとは、バランス、調和、良さ、純粋さ、普遍化、全体論的、建設的、創造的、構築、前向きな姿勢、明るい、静けさ、存在感、平和、美徳の質です。

ラジャスとは、情熱、活動の質であり、良くも悪くもなく、時にはどちらでもあります。

タマスは、不均衡、無秩序、混沌、不安、不純、破壊的、妄想、否定的、鈍いまたは不活発、無関心、怠惰または無気力、暴力的、悪質、無知の性質です。

仏教
サットヴァ、またはパーリ語のサッタは、菩提サットヴァなどの仏教のテキストに見られます。仏教におけるサットヴァとは、「生き物、生き物、人、または感覚的な存在」を意味します。

ということで、サットヴァは3つのグナ(気質/性質)という中の一つ、ということでした。

が、なんだか消化不良で。

もう少し、詳しく知りたいなぁ…と思ったら、
インド哲学を解説されている、めちゃめちゃ素敵なサイトを見つけました。


こちら、読み込みたくなるような話ばかりでした!が、今回はサットヴァに関連する3つのグナについての部分を中心に転載させていただきます。

3つのグナ
3つのグナ(性質)には、サットヴァ、ラジャス、タマスと言われるものがあります。簡単に言うとグナは万物の性質を表します。グナという言葉と結びつけて、サットヴァグナ、ラジョグナ、タモグナといわれることもあります。


グナによって世界はできている
3つのグナは、世界を現す物質や力の原因で、マーヤー(※)、もしくはプラクルティ(プラクリティ)とも言われます。ブランマンという、ただ一つの真実にマーヤーが結びつくことによってこの世界はできています。
そして五大元素と結びつき、構造や機能を提供しているのが3つのグナです。そして、どんな割合で3つのグナが配分されているかによって、性質が変わってきます。

(※)"ただひとつの真実にマーヤーが結びつくことによってこの世界ができている"と書かれているこの「マーヤー」について。
別ページで解説が書かれていたのですが、めちゃ興味深いです!!!
まさにこの宇宙はこうしてできている。と理解ができたので、転載します。

マーヤーとは、サットヴァ、ラジャス、タマスの3つの性質を持ち、ブランマンに頼って存在します。

解説
ブランマンとは、真実、意識、自分自身、真我などとも訳されます。主に宇宙や世界の構造を話すときに使われるアートマーの別名です。一人の男性が、父親、息子、叔父さん、弟・・などと役割が代われば呼び方が変わるのと同じです。ブランマンは制限がなく、永遠です。アートマーの説明であったように、純粋な自分自身です。

原因と結果の法則
全ての結果には原因があります。そして、原因は結果が起こる前にあるはずです。世界も同じで、その原因となるものが前にあるはずです。真実(ブランマン)は、世界の名前や形、質が現れる前に存在しています。そのため、真実は世界の原因になります。しかし、真実は永遠で変わることはありません。それなのになぜ世界は常に変化するのでしょうか?真実は、存在、意識、至福の性質だ、と38章以降で学びましたが、世の中にはなぜ悲しみがあるのでしょうか?このような不変で永遠の原因から、なぜ変化や制限のある世界が生まれるのでしょうか?

マーヤーの世界とは?
それを説明するために、ヴェーダンタにはマーヤーという概念があります。マーヤーとは「本当にはないけれど、現れているもの」もしくは、「存在しないけれど、経験しているもの」です。

例を挙げて説明します。虫が苦手な人は少なくないかと思いますが、何かを虫と見間違えたことはありませんか?例えば、落ち葉が一瞬ゴキブリに見えたり、小さな糸くずが蜘蛛に見えたり、、、それがマーヤーの世界です。この場合の真実は「糸くず」ですが、それを蜘蛛と勘違いしてしまっている人は、糸くずが落ちている体験ではなく、蜘蛛がいる体験をしています。それが糸くずだと分かったとき、そこには蜘蛛は見えなくなります。

真実は何も創造しない
世界の観点からみると、真実(ブランマン)が世界の原因ですが、真実(ブランマン)の観点からみると世界はその結果ではありません。真実は、常に目撃者であり、行為者にはなりません。つまり何かを作り出すことはしないからです。例に当てはめると、蜘蛛の真実は糸くずですが、糸くず自体が蜘蛛を作り出したわけではありません。そのため、蜘蛛という幻想は糸くずが原因になっていますが、糸くずの結果が蜘蛛になるわけではありません。

マーヤーの2つの力
①包み隠す
無知の本質で、真実を包み隠す力です。この力自体では世界を創造できません。
②反映する
名前や形をもつすべての世界を反映する、創造的な力です。固有の印象を実体化していきます。これは包み隠す力がないとできません。糸くずに対する無知(包み隠す力)が、蜘蛛だと思ってしまうこと(反映する力)より先にあります。そしてどちらか一つの力では成り立ちません。


マーヤーの存在とは
マーヤーのエネルギーは計り知れません。不可能に見えることをリアルにします。始まりのない時間から境界のない宇宙を生み出し、それを永遠に続けています。しかし、マーヤーはブランマンから独立して存在することはできません。存在なしに存在できないからです。ブランマンのみが本質的に存在するものです。糸くずがなかったら、そこに蜘蛛がいると思わないことと一緒です。また、糸くず自体に蜘蛛の要素は全くないように、ブランマンの中にマーヤーの痕跡はありません。つまり、真実を知ることで、マーヤーは崩壊します。

マーヤーの3つの質
サットヴァグナ・・・知識
ラジョグナ・・・行動
タモグナ・・・惰性


この蜘蛛と糸くずの例え、めちゃわかりやすいと思いました。

もしかしたら私たちは、常に「真実」を無知のせいで、何かを見間違えているかもしれませんが、その無知から見間違えたチカラが世界を創っているわけです。つまり勘違い上等!なわけで(笑)
逆にもともともの真実とは?と、真実をいくら追求したとして、その真実を見つけたとして、その真実自体は何も創り出さない。ということが、なんだか感慨深いというか…。あれだけ追求してきた「真実」って…。なに?と、ちょっと呆然という感じもありました。

そして、この世界は幻想、幻影、と呼ばれています。それってまさにマーヤーの世界の中で生きている。ということだと感じます。
真実を知ったらマーヤーは崩壊する。と書いてありますが、ひとつのマーヤーが崩壊しても別のマーヤーの世界が立ち上がるだけかもしれない。ですよね。どこまでいけば私たちは本当の意味で「真実」を知ることができるのだろうか?とか、思っちゃいました。

ということで、3つのグナに話を戻すと
マーヤーは3つのグナの割合によって性質が変わる。つまり人生の体験のその質もグナによって変わるっていうことだなぁ。と感じました。

では、3つのグナの性質を一部を転載します。

各グナの基本性質

●サットヴァ:知識、幸福
愛の象徴、献身、喜び、知識、清浄、忠実、公正、正義、上品、知性など

●ラジャス:行動
反感の象徴、行動、欲望、痛み、横柄さ、話好き、自尊心、怒り、不正直、競争心など

●タマス:慣性
不安の象徴、混乱、無知、不活発、不安、無知、眠り、怠慢、悲しみなど


体の3つのグナ
3つのグナは、万物に浸透していますので、もちろん私たちの中にも浸透しています。もし無くなったら生きていけません。サットヴァの質のおかげで知識を得、ラジャスの質のおかげであらゆる行動ができます。またタマスの質のおかげで休息や睡眠をとることができます。


心の3つのグナ
3つのグナは、心の傾向にも当てはめることができます。グナは3つとも大事ですが、心に関してはなるべくサットヴァの質の割合を高めることが大切です。

●サットヴァ
サットヴァの性質が心を支配すると、いつも至福を感じることができます。喜び、満足感があり、いつも穏やかです。知識を得ることに喜びを感じます。純粋で人の邪魔をしません。

●ラジャス
ラジャスの性質が心を支配すると、感情的、行動的になります。物質的喜びを重要視します。常に欲望があり、それを追い求めます。じっとしていることができません。よくしゃべって静かにしていられません。

●タマス
タマスの性質が心を支配すると、眠気や倦怠感に支配されます。何かをする意欲はありません。また、間違った信念に支配されます。

死ぬ瞬間の質が大切
インド哲学では死んだ後はまた違う肉体に生まれ変わるといわれています。次にどんな体で生まれてくるかは、死ぬ瞬間に自分がどの状態でいるかが影響するといわれています。例えば、サットヴァが優位で死んだ場合、次の生は苦しみがない世界へ、ラジャスが優位で死んだときは、行いにとらわれて苦しみと喜びが半々の世界へ、タマスが優位で死んだときは、正しいこととそうでないことの見分けができない人間以外の世界へと生まれ変わるといわれています。

グナを超越する
生まれ変わりのサイクルから抜け出すためにはこの3つのグナから解放されなけらばなりません。グナという性質がある限り、全てに制限があり、苦しみが生まれます。制限から解放されるにはどうしたらいいかがインド哲学で学ぶことができます。

ということで、今朝降りてきた言葉、「サットヴァ」の性質は、至福なんですね。まさに瞑想の時に感じているあのワンネス体験というのか、高次体験というのか、その状態のことそのままなのだなぁ。と思いましたが、なぜこの言葉が降りてきたのか。
もしかしたら、マーヤーの話も含めて、この世界のあらましを、私たちが生きているのはマーヤーの中の世界だと知らせるヒント、キーワードだったのかな?と思いました。



そして最後に、五大元素との関わりというのもあって、こちらも興味深かったので一部転載します。

五大元素とのかかわり
3つのグナは五大元素にもいきわたっています。その性質は下記のようにリンクしています。
[五大元素  優勢な性質]
●空 サットヴァ
●風 ラジャス
●火 サットヴァ&ラジャス
●水 サットヴァ&タマス
●地 タマス



五大元素とは?
五大元素とは、「空、風、火、水、地」の5つで、物質の状態や性質を表します。互いに影響をし合い、あらゆるものの中に様々な割合で存在します。この五大元素理論を、パンチャマハブータ(パンチャマハーブータ)とも言います。
まずはじめにが生じ、それに動性が加わりになります。それに激性(熱)が加わりが生じ、更に重性が加わりへ、それに暗性が加わりになります。五大元素はあらゆるものと関連しています。物質、心など、目に見えるものも見えないものも、全てはこの五大元素からなります。

例えば、1つの小さな細胞を例にとっても、完璧に5つの物質から成り立っています。細胞の構造は「地」、細胞膜や細胞質は「水」、細胞の代謝は「火」、細胞内のガスは「風」、細胞が存在する空間は「空」が支配しています。五大元素がどのような割合で組み合わさっているかで、この世界に無数のものが存在しています。


五大元素と体の関係
人の体ももちろん五大元素に対応しています。「空」は口の中、鼻の穴、お腹の中などの体の中のスペースに対応します。「風」は体の動きに関連します。特に筋肉や神経系の動きです。「火」は酵素の働きをコントロールします。そのため知性、消化、代謝のシステムに関わります。「水」はリンパ液、消化液、唾液などを含む全ての体液に対応します。「地」は骨、歯、髪、肉など体の個体の組織に対応しています。

こちらのサイト、私ももうちょっと読み込もうと思います〜。
なにか気づきがあれば、また追記するかもです。

ではでは〜!



この記事をお読みいただき、ありがとうございました! サポートはいつでも!何度でも!大丈夫です。 あなたの溢れる愛をこちらからお願いします❤️ Kaloはみなさまの愛にいつも支えられております❤️ どうもありがとう〜❤️ xxx.LoveLoveLove