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パチンコ屋さんの前を、通り過ぎよう。


こんばんわ、Karo.です。



何、このタイトル?(笑)


ちなみに私は、パチンコはやらないです。

(きっぱり)

と、別に胸を張って言うほどのことでもなかった(笑)。

そもそもパチンコするのが悪いとか、そういうたぐいの話ではなくて

この記事は、ごく個人的なパチンコ屋さん観を用いた比喩表現です。


ーー

確か、パチンコ屋さんに足を踏み入れたのは小学生くらいの頃、散歩していた途中の商店街にパチンコ屋さんがあって、入ってみたくて。その時は子供だから父親と一緒だったのかな?記憶がほとんどないですけど、多分それがはじめてで、

そのあとは大人になってから、こちらも、ほぼ、おぼろげな記憶すぎて、いつ誰と?は思い出せませんが、1〜2回入ったことがあるような...。という感じ。


あ、この記憶がおぼろげになったり失くなっていく感じって、加齢による健忘とか、トラウマによるものだけではなく、タイムラインが変化したら過去も未来も変わっちゃうみたいなことの影響もあるらしいです。

ちなみに私、最近、気がついたら初めてお付き合いした人とのファーストキスの記憶とか、元夫にプロポーズされた時の記憶が、おぼろげどころか、もう記憶ゼロで、全く思い出せない状態です。

あれ?これ加齢かトラウマかな?いやいや、トラウマはなかったと思うんだけど。(笑)

まぁ、思い出せなくてもいいのですが(笑)。



と、話が横道にそれましたが、

今住んでいる街では、私の行動範囲にもパチンコ屋さんはありません。あ、目に入っていないだけで、もしかしたら、あるのかもしれないですが。

そんな感じで、パチンコ屋さんがこの世界にあることは知っている。その存在は認知しているけれど、私の人生の中には、ほぼ存在していないのです。今のところ。

これこれ、この距離感って...。

世界を騒がしている昨今のいろんなこととかのニュースや情報との距離感と似ている気がして。

私にとっては、昨今のニュースは、この「パチンコ屋さんとの距離感」が、ちょうどいい感じかも。と思うんです。


パチンコには興味がないし、あの店内の爆音とかもちょっと苦手っぽいから、何も知らなかった小学生の頃とは違って、もう入ってみようと思わない。だから、通りすぎる。

そんな距離感。



ーー

例えば、政治のこととか、時事ネタ、事件や事故、災害のニュース、そういったものを知っているのが大人だって思っている時期がありました。

小学生の時にパチンコ屋さんに入ってみたかったのと同じように。


でも本当は、世界は自分の意識が創っているということを知れば、それらに意識を向けているかぎり、この現実、この世界は変わらない。のですよね。

そもそも必要な情報は探しに行かなくても自然にやってくるし、

だいたい、政治経済、時事ネタ、ゴシップ、事件や事故、災害のニュース...。それらの情報、本当に本当に、本当に、私の人生に必要だった?って思ったら、ほとんど必要なかったってことに気がつく。


そんなこと知っていたからって、別に素敵な大人じゃない。


私が思う素敵な大人は、パチンコ屋さんの前を通り過ぎている人だから。



ーー

それに、情報はパチンコみたいに依存性があると思う。

偶然、通り過ぎようとしたら、ネオンがキラキラして見えて、すごい爆音の音楽がたまたま好きな曲で、ちょっと足を止めて中に入って、1回だけと思ったのに気がついたら何時間もそこにいて、なんなら毎日通っちゃって...。みたいなことになって、気がついたら、私の世界がパチンコ台とパチンコ代に支配されている。ってことに、なりがち。


それよりも、目の前の今この瞬間、好きなこと、意識を向けたいことに夢中だったら、パチンコ屋さんのネオンは気にならなくなるんじゃないか?

だって別にパチンコ、好きな訳じゃないよね?

日々、パチンコ屋さんに通って、もうそれが日常になって癖になってしまっているのって、ココロが暇なのかもしれない。


あ、でも多分、暇なら暇なままでいい。それなのに、

それを、どうでもいい何かで、

埋めようとしなくていいのに埋めようとして、

熱くなるから、やっかいなのだと思う。


だって別にパチンコ、好きな訳じゃないよねーーーっ?


ーー

ということで自戒を込めて。


「パチンコ屋さんの前は通り過ぎよう。」



ねえね、他のこと、しよ。

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